[#表紙(表紙2.jpg)] [#裏表紙(裏表紙2.jpg)] 星と祭 下 井上 靖 目 次  ヒマラヤ  月  野 分  桃と李  地 図 [#改ページ]     ヒマラヤ  京都から帰って四、五日すると、福岡の岩代から、こんどのヒマラヤ行きのスケジュウルが、タイプで打たれて送られて来た。最終決定のスケジュウルで、これに従って現地と交渉するので、もう変更できないことをご承知願いたいというようなことが書き添えられてあった。  出発は九月二十七日、羽田発午後三時十五分のL航空機でニューデリーに飛ぶ。ニューデリーに二泊、二十九日にインド国内航空機でネパールのカトマンズヘ。そしてそこに二泊して、十月一日にチャーター機でヒマラヤにはいり、ルクラに降りる。ルクラからヒマラヤの旅を始め、四日にタンボチェで月見、五日に帰路につき、七日あるいは八日にチャーター機でルクラからカトマンズに帰る。カトマンズには一泊|乃至《ないし》四泊、十一日にカトマンズからデリーに、十二日にデリーから香港に、十三日に香港から東京へと、——ざっとこうした日程が記されてあって、飛行機名もホテル名も書き込まれてある。羽田発の飛行機に特にL航空を選んだのは、そこの事務所に登山家が居て、何かと無理が利くからだというようなことが説明されてあった。  この表によると、東京を出るのが九月二十七日で、東京へ帰り着くのが十月十三日であるから、その間十七日ということになる。十七日間ぐらいなら、どうにかできないことはないと、架山は思った。  すると、そのスケジュウルの届いた日の夜、岩代から電話がかかって来て、 「もう五日ほど何とかなりませんか」  と言って来た。 「最終決定だと書いてあったじゃないの」  架山が言うと、 「そうなんです。最終決定のつもりだったんですが、社長がどうせあそこまで行くんなら、何とかしてダージリンに行って、カンチェンジュンガを見たいと言い出したんです」  岩代は言った。 「月見の方はどうなるの?」 「いや、ヒマラヤの月見をしたあとのことなんです。ニューデリーからすぐ帰るのをやめて、ダージリンまで足を延ばそうというわけです。そうなると、五日余分に見ませんと。——十七日が二十二日になります」 「僕の方は難しいね。十七日がぎりぎりというところだ」  架山は言って、 「では、君たちだけで行って来たらいい。僕だけは失礼しよう」 「それはいけません。みんな同一の行動をとりたいです。よし、社長に因果をふくめましょう。僕にしても、ニューギニアにしても、十七日というのがいい線なんです。よし、判りました」  岩代は言った。  その翌日、また岩代から電話があった。 「社長に電話をかけて、ダージリン行きはやめにしました。大体、社長自身がだめなんです。五日はとれないらしいんです。自分で言い出しておいて、二日か三日ならいいが、五日はだめだというんです」  岩代は言った。  ダージリン行きは収まったが、それから二、三日して、もう一度、スケジュウルのことで、岩代から電話がかかって来た。 「また叱られそうですが、一応事情だけを申しあげます」  そんなことを言う岩代の声が飛び込んで来た。 「スケジュウルの変更?」  架山が訊《き》くと、 「変更というほどの変更ではないんですが、こんどはニューギニアが、ポカラへ行って、アンナプルナを見たいと言って来ましてね。この方はカトマンズから飛行機で一時間ほどのところですから、飛行機さえ予約しておけば、別にどうということはありません」 「————」 「きれいな湖があって、アンナプルナの一峰から三峰まで見えます。すばらしい眺めです。折角カトマンズまで行くのですから、ポカラに行かないのは勿体《もつたい》ないと、彼は言います。そう言われれば、確かにそうなんです」 「では、行ったらいいね。カトマンズから一時間で行けるのなら」 「それにしても、一泊はしませんと。——その日のうちに帰るというわけにはいきません。このために二日は要ると思います」 「二日だけ? それぐらいなら」 「そうですか。構いませんか」 「僕は構わない。十七日が十九日になるぐらいのことなら。——画伯の方は知らないが」 「池野さんの方はオー・ケーです。すでに諒解《りようかい》ずみです」 「じゃ、僕もアンナプルナというのを見せて貰《もら》おう」  架山は言った。  その夜、社長の伊原から電話がかかって来た。携行品の中で伊原の方で用意したものの報《しら》せであった。その時、 「ダージリンの方は残念だったね。折角だったが、五日となるとね」  と、架山が言うと、 「がっかりしていますよ、邦ちゃんは」  と、伊原は言った。 「がっかりしているのは、君の方じゃないの」 「僕ですか、——僕じゃありませんよ。僕は初めから無理だと言っているんです。一日や二日なら何とかなるが、五日となりますと、ね。それに、絶対に五日ではすまないと思うんです。少くとも七日は要ると思います。ああいうところは、邦ちゃん、強引ですからね」 「それじゃ、話が違う。彼は、君が言い出したと言っていた」 「冗談じゃありませんよ。邦ちゃんの方から言い出したんです。——そうですよ。新婚のくせに、山となると、すぐ夢中になるんです」 「じゃ、ポカラの話は?」 「それも、邦ちゃんです」  伊原は言った。  次に岩代から電話がかかって来た時、架山はダージリン行きのことについて、岩代をからかった。 「伊原君の話だと、ダージリン行きの言い出しっぺは、君だと言うんだがね」  架山が言うと、 「驚きましたね。社長は本当にそんなことを言っていましたか。彼は自分で言い出して、自分で引込めたんです。そりゃあ、終《しま》いには、彼は確かにこの計画は無理だからやめようと言いました。言ったことは事実なんです。七日かかるからやめようと言いました。それで、私は七日はかからない、五日で大丈夫だと言ったんです。その時点に於《おい》ては、私は行ける、社長は行けない、と立場が逆になりました。確かに、その時点に於ては、——」  その岩代の言葉を遮って、 「ポカラの方も君が言い出したと言っていた。上松君ではないと言っていた」 「嫌になっちゃうな。ポカラについては、ニューギニアから電話で相談を受けたんです」 「まあ、その方は決まったからいいが」  架山は笑った。こういう話を電話ですることができるのも、ヒマラヤ行きのおかげである、と思った。何年にも、このような罪のない電話をかけたことはない。  岩代からの電話のあと、こんどは上松から電話がかかって来た。上松からの電話を受けたのは初めてのことである。 「いま岩代君から電話を貰いまして、ポカラ行きのことについて、架山さんに電話するようにと言われました。それで、お電話したんですが」  上松は言った。 「そりゃ、わざわざ——、何も電話を貰わなくてもよかったんです。岩代君をからかっただけですよ」  架山が言うと、 「もちろん、そうなんです。岩代君も、面白半分に、俺の冤《えん》を雪《そそ》いでくれと言って来たんです。——でも、ポカラ行きを言い出したのは僕ではないんです。本当は社長なんです。社長があまりポカラ、ポカラと言うんで、それで僕が岩代君に申し入れたんです。そして岩代君はそれに飛びついて、すぐ社長のところへ電話を入れたということになります。ですから、社長は岩代君が言い出したと言いますし、岩代君は僕が言い出したと言います。実際に、形の上では、その通りなんです。が、本当に一番行きたがっているのは社長なんです。その代弁を私がしたということになります」  それから、 「おかしいですよ。みんなダージリンにも、ポカラにも行きたいんです。このほかにもまだ行きたいところはあります。しかし、日数はかけたくない。仕事の方も心配だ。——無理なんですよ、大体」  上松は言った。これが本当のところであろうと思われた。  架山は毎日忙しく日を送っていた。二十日間ほど身柄をあけるだけのことで、会社の方にも、家の方にも、思いがけない仕事がふえた。出発前にやっておかなければならぬことが、次から次へ押しかけて来た。  しかし、架山は何年かぶりで気持の張った毎日を送っていた。仕事のための旅行とは違って、全くの浪費の旅であった。金の浪費でもあり、時間の浪費でもあり、精力の浪費でもあった。 「——へえ、ヒマラヤへ? して、また、何のために、そんなところにお出掛けになるんですか」  架山は何人かの人からこうした質問を受けた。 「遊びに行くんです。レクリエーションです」 「本当に山にお登りになるんですか」 「山には登りません。登山家ではないので、鯱立《しやちほこだ》ちしても、山には登れません。エベレストの麓《ふもと》まで行くだけのことです」 「それにしても、またとんでもないことを考えたものですね。そりゃ、空気はいいに違いないでしょうが」  こういう言い方をするのはまともであるが、中には、 「そんなところまで、くるまで行けるんですか」  と、とんでもないことを言うのもある。 「くるまでは行けません。いくら麓だと言っても、山の中ですから」 「くるまがだめだとすると、お歩きになるんですか」 「歩きます。全部で七日ほどですが」  すると、 「元気なものですな」  と、感心してくれるのもいるし、 「そりゃ、あなた、いけませんよ。そりゃ、無理だ。七日も歩くのはいけません」  本気になってとめるのもいる。また時には、 「いいですな。ホテルの窓から雪の山が見えるでしょう。あそこまで行けば、温泉もありますよ。羨《うらやま》しいことですな。熱海《あたみ》で湯につかっているのと違って、同じ温泉でも、そりゃ、気持いいですよ」  こんなことを言うのにぶつかる。こういう場合は黙っている。何を言っても無駄だと思うからである。  と言って、架山にしても、ヒマラヤに関する知識を、相手の何倍も持っているというわけではない。温泉ホテルの窓から雪山を眺めるイメージこそ持たないが、果していかなる旅になるかは、架山とて見当はつかない。自分の足で歩かなければならぬことぐらいは判っているが、その歩くということが、楽しいか、辛《つら》いかということになると、それを判断する知識の持ち合わせはない。楽しそうでもあり、辛そうでもある。  これから自分が為《な》そうとしている旅が、堪《た》まらなく楽しいものか、あるいはその反対に予想以上の苦難に充《み》ちたものかは見当つかなかったが、そのために忙しい毎日を送っていることによって、架山は自分の精神も、肉体も、若々しいものに充たされるのを覚えた。  ある銀行の頭取からピッケルを届けられた。このピッケルの措置に関して、架山はすぐ岩代に電話をかけた。 「ピッケルを貰《もら》ったんだが、どうしようかね」  架山が言うと、 「困りますね、そんなものを持って行かれては」 「全然、要らないかね」 「要りませんな」 「杖《つえ》代りに持って行ってみようか」 「邪魔だけですよ、そんなもの」 「じゃ、やめよう」  それから、誰かに懐炉を届けられたのを思い出して、 「懐炉は? これも貰ったんだが」 「小さいものでしょう」 「そう」 「それなら邪魔にならぬから持っていらしったらどうです」 「君たちは持って行く?」 「持って行きません」 「じゃ、これも置いて行こう」 「いや、僕たちは持って行きませんが、総裁は持っていらしった方がいいでしょう。寒くて眠れないかも知れませんから」 「そんなに寒いかな」 「夜中は冷え込みます。寝袋というのが暖かそうでいて、案外寒いんです。懐炉が役に立つか知れません。懐炉を抱いてお寝《やす》みになればいいですよ」  それから、岩代はおかしそうに笑った。 「変な笑い方をするじゃないか。やはり、懐炉はやめよう」 「いいですよ。湯婆《ゆたんぽ》ではありませんから、お持ち下さい。持つことをお勧めします。持った方が安全です」  仲間と、こうした会話を取り交しているのは楽しかった。若い時、兵隊として大陸へ渡ったが、どこか大陸へ渡る前夜に似ていた。同じ見当がつかないにしても、野戦生活を送る大陸に渡るより、ヒマラヤに出掛けて行くことの方が明るかった。 「ご出発までに、もう何日しかございません」  毎朝のように秘書課員は言った。そういう言い方をされると、ひどく気忙《きぜわ》しかった。家でも同じだった。冬枝は毎日のように買物に追われ、自分が出掛けでもするように、時折り溜息《ためいき》をついた。荷物はむやみに多くなった。肌着だけでも、鞄《かばん》の半分の容積を占領した。 「戴冠式《たいかんしき》に招《よ》ばれて行くんじゃない。ヒマラヤに行くんだよ」  架山が言うと、 「だから荷物が多くなるんです。お店もないんでしょう。買いたくても買えません。やはり、荷物を谷の底へ落した場合のことも、考えておきませんと」  冬枝は、いかなるヒマラヤ行きを瞼《まぶた》に描いているのか、時折り奇妙なことを言った。  出発の九月二十七日に一週間ほどしか残されていない時、会社へ大三浦から電話がかかって来た。今年の仲秋の名月は、十月四日であるが、その満月の夜、琵琶湖に船を出したいと思っている。もしお暇だったら、お出《い》で願えないだろうかという、観月の宴《うたげ》への正式の招きの電話であった。例によって、頗《すこぶ》る鄭重《ていちよう》を極めた言い方で、架山は途中で言葉をさし挟もうと思ったが、その機が掴《つか》めなかった。結局のところ、相手の喋《しやべ》るのを、最後まで聞いていなければならなかった。 「いかがなものでございましょうか。お越し頂けますならば、二人ともどのように悦《よろこ》ぶことでございましょうか」  そういう言葉で、相手は長い話を切った。 「たいへん残念なことですが、この二十七日に発《た》ちまして、外国へ旅行することになりましてね」  架山が言いかけると、 「ご旅行? 左様でございますか。それは、それは——。いつもお忙しいことで結構でございます。それでは致し方ございません。来年のことにいたしましょう。来年と申しましても、三百六十五日先のことになるだけでございます。宜《よろ》しゅうございます。お待ちいたしましょう。来年の月見はぜひごいっしょさせて頂きましょう。二人にも、よくそう申しましょう。待ちなされ、待っていなされ、——噛《か》んでふくめるように、よく言い聞かせましょう」  大三浦は言った。妙に陰にこもった調子で、聞いていて、あまり気持のいいものではなかった。黙って聞いていたら、泣き声にでも変ってしまいそうであった。 「外国の旅行と申しましたが、実はヒマラヤに行こうと思いまして」 「ヒマラヤ? ヒマラヤと申しますと、あの高い山のヒマラヤでございますか」 「そうです。もちろん山には登りません。麓《ふもと》まで行くだけです。お招き頂いた十月四日は、エベレストの麓のどこかの村に居ります。私は私で、そこで月を見ましょう。琵琶湖の月を見る代りに、そこで月を見ることにいたしましょう」 「ほう」  大きい感歎《かんたん》の声が聞えてきた。 「左様でございますか。エベレストの麓で、満月をごらんになる! それは、それは、また格別なことでございます。結構なことでございます。どうぞ二人のために、世界的な高山のてっぺんで、——」 「てっぺんではありません」 「いや、麓でも、てっぺんでも同じことでございます。さぞ美しい月でございましょう。有難うございます。有難うございます」  大三浦は言った。  大三浦は、ヒマラヤの月見に関して、なおもくどくどと話していたが、架山は黙って、受話器だけを耳に当てていた。何を勘違いしたのか、相手はひどく昂奮《こうふん》している。何も琵琶湖と、ヒマラヤとで、相呼応して月見をやるわけではなかったが、大三浦の方はどうやらそんな風に受け取っているらしい。架山は頃合を見て、 「この間、十一面観音を拝みに坂本へ参りましたよ」  と言った。話題を変えるために観音さまのことを持ち出したのである。すると、果して、 「ほう、観音さまを拝みに坂本にいらっしゃいましたか。それは結構なことでございました。さぞ観音さまもお悦びだったことと思います。坂本と申しますと、あの盛安寺の——」 「そうです」 「ほう、盛安寺のあのふくよかなお顔の観音さまを拝んで下さいましたか。有難うございました。あの観音さまは声を出してお笑いになります」 「え?」 「いえ、笑うと申しましても、実際にお笑いになるのではございません。しかし、あの前に立っておりますと、そのような気持になります。どうも、いま、観音さまはお笑いになったのではないか、そんな気持になります」 「それから、湖北の宗正寺の観音さまも見せて貰いました」 「ほう、宗正寺と申しますと、あの海津の山際のお堂でございますか。お立ちにならないで、坐《すわ》っていらっしゃる観音さまでございますか」 「そうです」 「ほう、それは、それは、さぞお悦びだったことでありましょう。遠いところによくお出掛け下さいました。私からもお礼申しあげます。そういたしますと、渡岸寺の観音さま、石道の観音さま、坂本の観音さま、海津の観音さまと、四体お拝みになったことになります」  大三浦は言った。 「そのほかにも拝んでいますよ。赤後寺の観音さま、それから——」  架山が言いかけると、 「いや、もう結構でございます。有難うございました。二人も、さぞ悦んでいることでございましょう。私も、怠けてはおれません。精を出しまして、まだ拝んでおりませぬ十一面観音さまを拝むことにいたしましょう。もう五、六体の観音さまだけが残っておりますが、なかなか、それが難物でございます。どこにも梃《てこ》でも動かない気難しいのが一人二人居りまして、首を縦に振りません。もしかしたら、観音さまはお堂の中にいらっしゃらないのではないかと思うくらい頑強でございます」  それから思い出したように、大三浦はまた話をもとに戻して、 「左様でございますか。ヒマラヤにいらっしゃいますか。どうぞ充分お体にお気をつけ下さいまして、——有難うございます。有難うございます」  何か急に用事でもできたのか、あとは慌しく電話を切った。  出発前に一応健康診断を受けておくべきであるという意見が家で持ち出された。言い出したのは冬枝か光子か判らなかったが、反対すべき理由もなかったので、架山もそうしようと思った。  架山は池野に電話をかけて、池野にも健康診断を受けることを勧めた。岩代、伊原、上松の三人はまだ壮年で、現役を外れたばかりの登山家であったので、その心配はなかったが、池野と架山の方は、ヒマラヤに行こうと、行くまいと、いつ体に故障が起きてもふしぎでない年齢であった。すると、池野は、 「僕もこの際人間ドックにはいろうと思っているんだ。親しいのがK病院の内科部長をしているんで、それに話したら、半日ずつ二日来てくれれば、すっかり診てくれると言っている。それで、丁度君を誘おうかと思っていたところだ。君も酒は飲むし、煙草は喫《の》む。一応|験《しら》べておかないと、危いよ、空気の薄いところに行くんだから」  と言った。 「では、君の方に便乗しよう。日が決まったら連絡して貰《もら》いたい」  架山は言った。それから二、三日して、池野から電話があって、病院へ行く日を報《しら》せて来たが、あいにくその日は架山の方の都合がつかなかった。池野だけに病院に行って貰い、架山の方は他の日を指定して貰うことにした。  すると、また二日ほどして、池野から電話があって、 「僕も君といっしょに行くことにして、あの日は見合わせたんだ。ところが、さっき病院から連絡があって、あすはどうかと言ってきた。あすとなると、僕の方はだめなんだ」  池野は言った。架山の方は都合できないことはなかったが、それにしても、なるべくならあすでない方がよかった。そのことを池野に伝えると、 「お互いに忙しいものな。よし、病院にもう一回交渉しよう。僕の方の都合を言うと、出発の前日と前々日の二日なら大丈夫なんだ」 「僕の方も、それなら一番安全だが、病院の方の都合もあるだろう」 「いや、無理に頼み込むよ」  そんなことを言って、池野は電話を切ったが、すぐまた電話がかかって来て、 「出発の前日の午後に診てくれるそうだ。何でも三時間ほどの時間でいいらしい。午後一時に病院の玄関口で落ち合うことにしよう」  池野は言った。 「三時間とは簡単だね」 「心臓と血圧だけを診るんじゃないかな。こんどの場合は、それだけで充分らしい。山でひっくり返るのは心臓の異常か血圧関係らしいからね。——それにしても、前日一日で助かった。今となっては二日はさきにくい」  その口振りから察すると、池野の方も仕事に追いまくられているらしかった。  出発の日が迫るにつれ、架山の方は忙しくなった。毎晩のように帰宅は遅くなり、冬枝が一か所に集めてくれた荷物は、いつまでもそのままになっていた。普通の海外旅行なら、鞄《かばん》の方は冬枝に任せたが、こんどはそういうわけにはいかなかった。  出発前々日になると、まだ片付けなければならぬ小さい用事が山積していた。その夜、池野から電話があった。 「あすの病院行きは大丈夫?」 「それがね」  と、架山が言いかけると、 「じゃ、やめようや。僕の方も少し無理なんだ。それに今となって、心臓が悪いとか、血圧がどうのこうのと言われたって、ヒマラヤ行きをやめるわけにはいかないだろう。どうせ出掛けて行くんなら、診て貰わないで行った方がいい」  そんなことを池野は言った。多少開き直った言い方だった。 「じゃ、やめよう」  架山も賛成した。考えてみれば、池野の言う通りであった。今になって健康診断を受けても始まらなかった。 「ひっくり返ったら、ひっくり返った時のことだ。まあ、めったなこともあるまい」  架山が言うと、 「山に登るわけではない。麓《ふもと》を歩くだけのことだ。ゆっくり歩けばいい。息が切れたら休めばいい。平生酒を飲んでいるから、どうせ少しぐらいは息切れもするだろうが、そんなこと心配していてはどこへも行けないよ。ヒマラヤでひっくり返るくらいなら、とうに銀座でひっくり返っているよ」  理屈に合っているような、合っていないようなことを、池野は言った。 「そりゃ、そうだ。酒を飲まなければいいだろう。山へはいったら禁酒するよ」 「そう、禁酒すればいい。禁酒さえすれば、どうということはない」  甚だ無責任な会話を交した上で、電話は切れた。その夜もう一度、池野から電話があった。 「医者の方に、あすの健康診断取りやめのことを諒解《りようかい》して貰った。どうしても時間がとれないので堪忍してくれ、酒は飲まないからと言ったら、おどかされてしまったよ。酒を飲まないのは決まりきったことだ。酒を飲んだりしたら、瞬間、おだぶつだと言うんだ。どうも酸素の少いところでは、アルコールはいかんらしいね」 「そりゃ、そうだよ。決まりきったことだ」 「そりゃ、そうだよ、と言っても、君だって、この間の電話では、余りその方の知識は持っていなかったようだ。まあ、そんなことはどうでもいい。もうあす一日だから、お互いに頑張ろう」  池野は言った。架山の方は仕事の目鼻はついていたが、池野の方はまだたいへんらしく、言葉づかいが妙に殺気だっていた。  出発の日、羽田空港には見送りの人が多かった。特別待合室というのを借りたが、そこに人が溢《あふ》れた。殆《ほとん》ど全部が架山の仕事関係の人たちだった。 「こんどは大変ですね。どうかご無理をなさらんように」  そう言う者もあれは、 「ヒマラヤというところは存じませんが、やはり山の方へ?」  と頼りないことを言うのもあった。料亭のお内儀《かみ》らしい女性の姿も二、三見えた。そのうちの一人は御守を持って来た。 「これを身に着けていらしって下さいまし。この前、メキシコの山の中へいらっしゃる方に差しあげて悦《よろこ》んで頂きました。ピストルでおどされて、たいへん怖い目にあったようですが、時計を奪《と》られただけで、かすり傷ひとつ負わなかったらしゅうございます」 「そう、それは有難う。悪者は出ないと思うが」  架山は御守をポケットに入れた。  架山が見送り人に挨拶《あいさつ》しているところへ、池野がやって来て、 「たいへんだね、なかなか」  と言った。 「ヒマラヤに商売しに行くと思っているのが半分ぐらい居る」 「そうだろうね。岩代君が驚いている。ヒマラヤには三回目だが、こんな奇妙な見送りを受けたことはないと言っていた」 「すまんね」 「すまんことはないよ。賑《にぎ》やかでいい」  そこへ上松がやって来て、 「いま見送り人の一人から、架山さんはどこへ行くのかと訊《き》かれましたよ。ヒマラヤだと答えましたら、何しに行くのかと、また訊いて来ました。月見に行くんですと言ったら、本当にしないんです」  と言った。 「まあ、適当に答えておいて下さい。月見でも、仕事でも、何でもいい」  そこへ、こんどは親しくしている保険会社の重役がやって来た。 「忙しい最中《さなか》に変な気を起したもんだね。アルプスへ行くんだって?」 「アルプスじゃない。ヒマラヤだ」 「どっちだって、同じようなものだろう。歩かない方がいいね」 「歩くなと言っても、無理だよ。山に行くんだから」 「歩かないでも行かれるだろう」 「そういうわけにはいかん」 「尤《もつと》もゴルフをやっているから、少しは歩けるだろうが、それにしてもアルプス、いやヒマラヤか、——ヒマラヤなんぞに、どうして行く気になったのかね」 「雪の山を見てくる」 「余り近寄らん方がいいよ。雪崩がくるから」 「そんなに近くまでは行かない」  架山は次から次へ来る見送り人の応対に忙しかった。  ひどく長く思われた待合室の落着かない時間が終って、漸《ようや》くにして飛行機に乗り込んで仲間だけになった時、 「いや、どうも、——すまなかった」  架山はみなに詫《わ》びを言った。 「僕たちが出掛けるのと違って、架山さんの場合はたいへんですね。いかにも、みんなから架山さんを奪《と》りあげた感じです」  岩代は笑いながら言った。 「別に吹聴《ふいちよう》したわけではないが、ああいうことになってしまった。家の者にはさよならも言えなかった」 「そうでしょう。でも、奥さんやお嬢さんとは、僕たちがずっと話していました。奥さんはしきりに荷物を持たせないで貰《もら》いたいと言っていました」 「めいめい勝手なことを言ってるね」  架山が言うと、 「箸《はし》以上重い物は持たせないと言っておきました」  岩代は言った。  飛行機が飛び立った時、架山はこれで漸く東京の生活から離れることができたと思った。全身から力が脱《ぬ》けて行くような気持だった。架山は池野と隣り合わせて坐《すわ》り、ほかの連中は前の席に三人で坐っていた。 「カメラは持って来たろうね」  池野が訊いた。 「持って来た。だが、撮り方は知らないから、あとで教えて貰おう」 「撮ったことはないの?」 「ないね」 「驚いたな。でも、そんなことではないかと思っていた。湖畔の観音さんを見に行った時、カメラを持っていなかったから」  それから思い出したように、 「あの時の写真はうまく撮れていたよ。しかし、実物のよさは出ないね」 「そりゃ、そうだろう」 「でも、山の方は大丈夫なんだ」  そんな言葉を交したあと、架山はすぐ眼を瞑《つむ》った。そして再び、これで自分だけの世界にはいれると思った。家庭からも、仕事からも離れた、こうした立場に身を置いたことは、社会に出てから初めてのことである。ずいぶん羽田からも飛び立っているが、いつも行先には仕事が待っていた。それが、こんどは違っていた。仕事とは全く無関係な旅であった。  これから二十日間ほどを、何も考えずに過ごそうと思う。考えるとすれば、みはるのことぐらいである。もともとみはると会話を取り交すために、この行に加わったのである。  ——何もかも切り捨てだ。  架山は自分に言った。未解決なまま残してきた仕事もあったが、みはるのためにいっさい切り捨ててしまおうと思う。  ニューデリーでは第一級ホテルとされているアショカ・ホテルに泊った。ヒマラヤに行くというのに、こういう高級ホテルでは気分がでないというのが、池野と架山をのぞいた三人の登山家たちの東京を発《た》つ前からの意見であったが、架山の方はどうせ一生に一回ヒマラヤという贅沢《ぜいたく》なところに行くのだから、ホテルも第一級を選ぶべきだという考えだった。池野も架山の方の肩を持った。そういうわけでアショカ・ホテルを予約しておいたのであるが、いざそのホテルに落着いてみると、誰も文句を言う者はなかった。夕食の時、 「贅沢に慣れてはいかん」  そんなことを言いながら、社長の伊原は、一番贅沢なものを注文した。 「こんどは登山ではなくて、月見なんだから、まあ、いいでしょう。まず、葡萄《ぶどう》酒で乾盃《かんぱい》することにしますか」  口数の少い上松が、むっつりとした言い方で言った。隊の会計を握っている岩代は、役目柄神妙に、 「総裁、いかがですか」  と、架山の意見を訊いた。すると、架山が答えない前に、 「どれ、僕が選んで進ぜよう」  池野が言った。  万事こういう調子であった。その夜、架山は初めて自分の鞄《かばん》の中の物を点検した。結局のところ全部冬枝と光子に任せざるを得ない結果になっていたので、何がどこに詰まっているか見当がつかなかった。  翌日一日、ホテルで休養した。誰も町には出ないで、自分の部屋でごろごろしていた。多かれ、少かれ、出発前の疲れが全員を襲っていた。  翌々日の朝五時にホテルを出て空港に向かった。七時半に飛行機が離陸すると、架山の隣の席をとっている伊原はすぐカメラを取り出して、 「山が見えると思うんです。よく晴れていますから」  と言った。 「山が見えるの?」 「ダウラ・ギリも、アンナプルナも見えると思います」 「そりゃ、たいへん。——カメラにフィルムを入れて貰わなくては」  架山もまたカメラを取り出した。 「フィルムの入れ方だけは憶《おぼ》えておいた方が便利です。山にはいると、やたらに撮りますから」  岩代が言うと、 「よく教えておいて貰いたいね。いちいち持ち込まれかねないからね」  傍から池野は言った。窓から見ると、下には灰白色の大平原が拡がっており、その中を無数の中洲《なかす》を抱えた大河が流れている。ところどころに耕地が短冊型に青く見えているが、それはかぞえるほどで、あとは何の緑もない平原の拡がりである。 「大きな川だね。ガンジス川かな」  架山が言うと、 「ガンジス川の支流の、またその支流の上流といったところではないですか。デリーからカトマンズへ飛んでいるんですから、ガンジスの上流地方を西から東へ向かっていることになります」  岩代は言った。支流の、またその支流かも知れないが、それにしても大きな川だと、架山は思った。川筋は千々《ちぢ》に乱れている。大きな中洲もあれば、その中洲を囲んでいる流れの中に、また中洲があったりする。支流かと思っていると、その上《かみ》の方で本流に繋《つな》がっていることもある。そのうちにこんどは本当の支流が現われてきた。しかし、川幅も本流と同じくらいの大きな支流で、どちらが本流で、どちらが支流か、ちょっと見分けがつかないくらいである。  そうした乱れに乱れた川筋の地図の上を、時々薄い雲が早いスピードで流れて行く。下界は薄絹を透かして見るようである。 「まだ山は見えませんか」  時折り、岩代は同じ言葉をかけて来る。 「まだ見えんね。大平野が拡がっているだけ」  架山は四十分ほど大河の流れだけを見ていた。が、そのうちに川筋はどこかに行ってしまい、大平野に森か林らしい黒い点が無数に見え出した。 「もう、そろそろ山が現われていい筈《はず》ですが」  その岩代の言葉で平原の果ての方に眼をやると、なるほどいつ現われたのか、遠くに雪の山脈が置かれている。 「雪の山が見え出している」 「そうでしょう」  岩代は席を立って、窓を覗《のぞ》き込むと、 「ダウラ・ギリです。きれいですねえ。白い山という名ですが、その名の通りまっ白ですねえ」  その白い山は次第に大きくなって来た。ニューデリーの空港を飛び立ってから丁度一時間ほど経っている。 「高さは八〇〇〇です。去年の秋、同志社隊が二度目に登った山です。あの裏側はチベットになります。あの山のどこかを越えて、チベットとの交易路が通じています」  架山は岩代と席を替ってやった。岩代は窓にカメラを近づけてぱちぱちやり出した。むやみにシャッターを切っている。  それから三十分ほど、岩代は窓から顔を離さなかった。たまに顔を離すこともあるが、それは、 「席を替りましょう」  という言葉を口から出す時である。 「いいよ。見たい時には覗かせて貰《もら》うから」  架山は、いつもそう答える。ダウラ・ギリがいかに美しくても、岩代のように、そういつまでも眺めているわけにはいかない。こういうところが登山家と非登山家の違いというものであろうかと思う。  前の席では、池野がひとり窓際に坐《すわ》っている。伊原と上松はさっきカメラを持って、どこかへ行ってしまったまま帰って来ない。前の方のあいている席にでも移ってしまったのであろう。そのうちに、 「晴れました。一峰から六峰までよく見えます」  岩代が言ったので、架山は横から窓を覗いた。なるほどさっきとはまるで違った眺めである。雪の山脈が白い稜線《りようせん》を長く波打たせてくっきりと見えている。六峰というのであるから、波打っているところをかぞえたら六つあるのであろう。 「きれいだね」  架山が身を引こうとすると、 「ダウラ・ギリの落ち込んでいる、そのすぐ右手にアンナプルナが顔を出しています」  岩代は言った。なるほど新しい山塊が見え出している。 「あれも八〇〇〇の山です。一九五〇年初めてフランス隊が登りました。あの山の麓《ふもと》にポカラがあります」 「ポカラって、こんどのスケジュウルにあとから加えたところだったね」 「そうです」 「あの山の麓に行くの? 驚いたね」  架山はあの山の麓まで行くとなると、たいへんだなと思った。すると、 「アンナプルナの主峰がよく見えます。マチャプチャリも見えています。マチャプチャリというのは魚の尾という意味ですが、いまに正面に来ると、そう見えて来ます。アンナプルナ山塊の一つです。おや、遠くにマナスルも見え出しました。こりゃ、凄《すご》いや。こういうのを見ていると、胸がわくわくしてきます。八〇〇〇以上の山を、僕たちはジャイアントと呼んでいますが、ジャイアントともなると、風格がありますね。さあ、僕はよそに引越します。ここで見ていて下さい。こんなによくヒマラヤ連峰が見えることは少いですから」  岩代は立ちあがった。架山がそのあとに坐ると、岩代は何となく心細く思いでもしたのか、もう一度復習でもするように、白い山脈の峰々について、一つ一つその名前を口に出し、 「判りましたね」 「判った」 「マナスルが正面に回って来たら、また説明に来ます」  岩代は席を立って行った。  架山は初めてヒマラヤ連峰というのを眺めた。確かに壮観だった。いつか雪の山脈は機の正面になっている。架山の眼には、ひときわ堂々たる貫禄《かんろく》を見せているダウラ・ギリが一番立派に見えた。まるで大理石の置物のようである。アンナプルナは、細長いテントと、大きな三角のテントを並べて張ったように見える。  眼を下に移すと、相変らず大平原が拡がっている。平原がひどく黒っぽいものに感じられるのは、雪の山脈が白く輝いているからであろうか。岩代がやって来た。 「マナスルが少し大きくなりました。三つの峰が見えているでしょう。一番左がマナスル、次が大阪大学のP29、次が慶応のヒマルチュリ。——いいですか、もう一度言います、左からマナスル、P29、ヒマルチュリ」  それだけ言うと、岩代はまたどこかに行ってしまった。  架山の眼には、そのマナスル山塊の三つの峰は、大洋上の三つの白いヨットに見えた。しかし、それから暫《しばら》くして再びその方に眼をやると、こんどは白いヨットには見えないで、三つの白いテントに見えた。  ヒマラヤ連峰は、次々に正面に回って来た。アンナプルナは白い大|城廓《じようかく》になっている。こうなると、ダウラ・ギリを一番立派だとするわけにはいかなくなる。ダウラ・ギリも立派であるが、アンナプルナも、これはこれで堂々たるものである。  やがて、マナスル山塊が大きく正面に近づいてきた。もう白いヨットでも、白いテントでもない。これも白い殿堂に変りつつある。この頃になって、ヒマラヤ連峰のところどころに雲がかかり始めた。  三人の登山家たちは、それぞれの席に戻って来た。岩代は、 「マナスルの頂きに雲が棚引いているでしょう。あれを見ると、どうもまだモンスーンはあけきっていないようです。マナスルの頂きに雪煙りがあがっているでしょう。見えませんか」  そう言われれば、雪煙りでもあがっているのかも知れないと思う。 「眼がいいんだね」 「あれは間違いなく雪煙りなんです。いまあそこは吹雪《ふぶ》いています」 「ほう」  架山としては�ほう�とでも言うほかはなかった。  下を覗くと、いつか大平原はなくなって、機は山塊の上を飛んでいる。こちらはこちらで、凄い山が幾つも重なっている。 「下も山になってしまっている」 「そうですか。じゃ、それを越えると、カトマンズ盆地になります」  岩代は言った。  岩代が言ったように、山の重なりを越えると、突然盆地がひらけて来た。カトマンズ盆地である。機上から見る限りでは、丘も、平野も、集落も日本に似ている。日本的風景である。  機が高度を下げて行くに従って、盆地に散らばっている民家が大きく見えて来る。屋根の小さい玩具《おもちや》のような家が、ところどころに固まって見えている。岩代が窓を覗き込んで、 「この盆地には、カトマンズのほかに、パタン、バドガオンという二つの街があります。いま下に見えているのは、そのうちのどちらかでしょう。いずれにしても、もうすぐカトマンズです。——ああ、ヒマルチュリがきれいですね」  と言った。が、架山にはどれがヒマルチュリか見当がつかない。幾つかの尖《とが》った山が鋭く雲の上に出ている。  やがて、機は盆地のまっただ中の民家の密集した地域をめがけて、ゆるく旋回しながら降りて行った。まるで獲物を見付けた鳶《とび》が舞い降りて行く感じであるが、こうした感じがするのも、盆地が広く、都市が小さく、そしてすべてが澄んだ空気の中に置かれてあるからであろうか。  カトマンズ空港に降り立つと、 「ここはネパールなんだね」  池野が念を押した。空は青く、陽ざしは白く、強く、東京の真夏の暑さである。 「想像していたところとは大分違う。山の麓の斜面にでもある街かと思っていた」  池野ばかりではなく、架山もまた何となく頭に描いていたカトマンズとは違っていると思った。もっと暗い感じの山の街を想像していたのである。  インドとは違って、一行は短い時間で、空港の建物から外に出ることができた。タクシーでホテル・シャンカーに向かう。  池野、上松、伊原の三人は先のくるまに乗り、架山は岩代といっしょに、空港に出迎えていてくれた大使館の水口という若い館員と後のくるまに乗った。 「まだ雨期はあけていません」  若い館員は言った。 「例年ならもうからりとしているんですが、先週などは三日も続けて大雨が降りましてね」 「飛行機のチャーターの方は大丈夫でしょうか」 「大丈夫です。ただ朝になってみないと、飛べるか、飛べないか判りません。週に三回、ほかの仕事で飛んでいるんですが、こちらを飛び立っても、向うに雲があると引き返して来ます。そんなことの方が多いようです」 「あすはどうでしょう」  岩代が言うと、 「さあ、天気次第ですが、パイロットというのが、また気難しい人物でしてね」  館員は心細いことを言っている。  飛行機の問題は岩代の方に任せておいて、架山は初めて見る異国の風物に眼を当てていた。ひと口に言うと、色あせた煉瓦《れんが》の町である。建物は全部煉瓦造りで、時折り眼にはいって来る塀まで煉瓦で造られてある。白、青、黄、いろいろな色で建物は塗られているが、それがどれも褪色《たいしよく》している。  くるまの窓から見ている街は、今まで架山が眼にしたいかなる街とも異っていた。街全体がその色彩のためか古ぼけて見え、それに白く強い陽光が降っている。東洋の古い植民地の町でも見ている感じである。空が青いためか、時たま眼にはいる赤い花が美しく見える。  くるまはやがてホテル・シャンカーの門をくぐった。この町で一番古いホテルだそうであるが、正面から見ると、なかなかしゃれた白い建物である。もとは王族の一人の住居であったと言う。  ホテルにはいって、部屋の割り当てが終ると、すぐ岩代の部屋に集った。若い館員を混じえて、あすのルクラ行きの打ち合わせをしなければならないということで、岩代から召集がかかったのである。 「今日はよく晴れているので、この分では、あすも大丈夫じゃないですか」  伊原が言うと、 「どうも、それが当てにならないんです。問題は朝七時から九時ぐらいの間、晴れているかどうかなんです。九時過ぎると、着陸地のルクラの方に雲がかかって着陸できなくなります。ですから、どうしても七時にはこちらを飛びませんと」 「こちらが晴れていれば飛び立つことができるんですね」 「そういうわけですが、飛び立つも、飛び立たないも、その時の機長の判断で決まります。ルクラの方に雲がかかっていると判断しますと、こちらは晴れていても、見合わせるということになります。——こちらを飛び出しても、向うに着陸できないと、また引返さなければなりません。どうも、このところ、そういうことが多いようです。無線の連絡といったものはありませんから、機長の判断に頼る以外仕方ないわけです。こういう状態ですから、万事、あす空港に行ってみないと判りません。——また、肝心の機長なる人物がなかなか気難しい人物でして、岩代さんに今日のうちに一度会っておいて頂きませんと」 「会いに行きますよ」  岩代は言った。 「もしかすると、六人は乗せられない、五人にしてくれなどと言い出しかねません」 「それは困りますね。僕たち五人と、もう一人シェルパが乗り込むことになっています。——もともと六人乗りなんでしょう?」  岩代は言った。  若い館員の説明によると、チャーター機は確かに六人乗りには違いないが、こんどの場合のように、木材や物資の運搬でなくて、人間を運ぶことになると、ネパール政府の役人がひとり乗り込む規定になっていると言う。 「うっかり国境でも越えて飛行するとたいへんですから、それを監視でもするといった意味でしょうか。とにかく役人がひとり乗ります。ですから、こちらは五人でないと、——」  若い館員は言った。 「それは困りますね。ひとりぐらい、どうにかならんですか」  岩代も表情を真剣なものにしている。 「ならないようですね。——私も、うっかりしていまして、こういうことになっているとは知りませんでした。申し訳ありません」  しかし、もともと館員に責任あることではなかった。こんどのトレッキング・ビザを貰《もら》うことも、チャーター機の交渉も、現地に於《お》ける面倒臭い雑用は、いっさいこの館員にやって貰っていた。岩代こそ以前に一度面識があったらしいが、他の者はみな初対面であった。もしこの青年がやってくれなかったら、誰かひとり、こんどのことのために先にやって来なければならなかった筈《はず》である。  架山は空港で挨拶《あいさつ》した時から、この若い大使館員に好感を持っていた。見るからにおとなしい誠実な人柄であった。カトマンズに来てから一年か、一年半しか経っていないらしかったが、彼自身登山家であるということであったから、そんなことからネパールの日本大使館に勤めるようになったのではないかと、架山は勝手な想像をしていた。 「まあ、何とかして六人乗せて貰うより仕方ありません。僕たちだけだったら、丁度よかったんですが、この町に家を持っている親しいシェルパに、いっしょに飛行機でルクラに行くように手紙を出してあるんです。ルクラで落ち合うようにしておけばよかったんですが、事情が判らなかったもので」  岩代は言った。そして、 「もう直きに、このホテルにやって来ると思うんですが、彼とも相談してみましょう。別にいい智慧《ちえ》も浮かばないでしょうが」 「もし、どうしてもだめだったら、そのシェルパに一日遅れて来て貰うということにしたら」  架山が口を出すと、 「それがそういうわけにはいかないんです。飛行機の方がほかの仕事で予約されています。それも、この天候で、飛んだり、飛ばなかったりしていますから、仕事が皺寄《しわよ》せになっているようです。ですから、機長も自然に気難しくなります」  館員は言った。 「その飛行機はこことルクラ間ばかりを飛んでいるわけではないんですか」 「仕事によって、ほかのところにも飛んでいますが、ルクラに飛ぶことが多いようです。それにしても、定期便という恰好《かつこう》のものではありません」  架山はチャーター機なるものに関して何の知識も持っていなかった。何となく定期便様のものがあって、それとは別にチャーター機が自分たちを運んでくれるぐらいに考えていたが、どうもそういうものでもないらしい。 「それから、機長は荷物に関しても非常にうるさいんです。重いものは困ると言っています。その点、できるだけ荷物は軽くして頂きませんと——。うるさいことばかり申すようで、まことに相すみませんが」  館員は言った。 「でも、必要なものだけは運んで貰わないと困りますね。山で何日か生活するんですから」  横から伊原が言った。思いがけず厄介な問題が次から次へと、前途に顔を出して来る感じだった。架山は黙っていたが、なるほど、いろいろと面倒なものだなと思った。上松も、池野も、それぞれ浮かない顔をして、成行きを見守っている恰好である。 「とにかく、これから機長に会いに行ってみます。僕ひとりでもなんですから、社長に同行して貰いましょうか」  岩代が言うと、 「よし」  伊原は大きな声で返事してから、 「ここから自分の足で歩き出せば、なんの問題もないんだが、十五日歩くのを倹約して、坐《すわ》ったまま、いっきに飛んでしまおうというような了見を持つと、こういうことになる」  確かに、その言葉通りであった。すると、今まで黙っていた上松が、 「あんまり面倒だったら、歩くことにするか。半月歩くだけのことだ。往復で一か月か。もうここまで来てしまったんだから、一か月余分にかかろうと、かかるまいと、たいしたことではない」  と言った。半ば冗談のようでもあり、半ば本気のようでもあった。 「本当か」  伊原が、上松の顔を覗《のぞ》き込むようにして、 「今になって、大きなことを言って! 二日でも帰りが遅れると、会社がつぶれそうなことを言っていたじゃないか。ニューギニアさえ異存がなかったら、俺は歩くよ。もともと歩きたいんだ」 「店がつぶれる、つぶれると言っていたのは、社長の方じゃないか」 「そりゃ、俺も確かにそう言っていたが、もう、こうなったら、そんなことはどうだっていいんだ。——歩くか」 「おい、おい」  池野が口を入れた。 「変なことを言い出されては困る。約束が違うよ。俺たちのことを忘れて貰っては迷惑する」  その池野の言葉を引取って、 「僕の方は、歩いてもいいんだ」  架山もまた軽口をたたいた。うわっという笑声が起った。厄介な問題は押しやられ、何となくみんな明るい表情になっている。 「僕は反対しますよ。もし歩き出すようなことになったら、僕はここから引揚げます。みなさんとは違って、新妻が居ますから」  それから、岩代は、 「では、社長と僕は機長のところに行って来ます。それまで各自、自由にしていて下さい」  と言って、伊原を促して、若い館員といっしょに席を立って行った。  架山は池野と連れだって、ホテルの庭を歩いた。 「やっぱりたいへんなもんだね、山へ行くということは」  池野は感深い言い方をした。架山も同じ気持だった。いろいろと厄介な問題があるようである。その厄介なことは、何もかも岩代たちに任せて、自分は体だけを運んで来たのであったが、ここまで事を運んで来るだけでも、容易なことではなさそうである。  初めてカトマンズというネパールの都へ来たのであるから、街の見物に出てもよかったが、あすのルクラ行きの問題に支障が生じているらしかったので、何となく、二人はそれを遠慮する気持になっていた。 「少しヒマラヤの本でも読んで、ヒマラヤに関する常識を養っておこうかな」  池野はそんな言葉を残して、部屋に引揚げて行った。架山もまた部屋にはいったが、架山の方は寝台の上に寝ころんでいた。東京の疲れがまだ抜けていないのか、むやみに眠かった。  二時間ほど眠った。眼をさますと、窓から異国の青い空が見えた。午睡をとったのは何年かぶりのことである。  夕方近くなって、岩代から召集がかかった。すぐ出向いて行ってみると、池野、伊原、上松、みんな顔を揃えていた。 「飛行機には全員乗れることになりました。ここからいっしょに乗るつもりでいたシェルパは、もうルクラに行って、僕たちを待っているそうです。それで、人員の問題は自然解消です。ただ全員乗れますが、荷物は膝《ひざ》の上に載せることのできるぐらいの大きさに制限されました」  岩代が言った。 「膝の上に載せることのできる大きさというと、ずいぶん小さいじゃないか」  上松が言うと、 「仕方ないよ。まあ機長の言う通りにするんだな。僕もいろいろと掛合ってみたが、だめなんだ。あんまり執拗《しつよう》にねばって、飛ぶのをやめるなどと言い出されると困るからね」  伊原が言った。 「機長というのはそんなに気難しい奴か」 「気難しいには、気難しいが、しかし、実際にだね、あんまり重いものを乗せると、飛べないんじゃないかな」 「心細いんだな」 「どうも、そうらしい。ちいちゃな飛行機だからね。まあ、先方の言うようにして、飛んで貰《もら》うんだね」 「じゃ、そうするとして、膝に載せるだけの大きさとなると、サブ・リュック一つか」  すると、岩代が、 「それも、できるだけ軽くして下さい。余分のものはいっさい持たないように」  と、言った。機長の代弁でもしているような言い方であった。  夕食後、みんなそれぞれの部屋でヒマラヤ行きの荷物ごしらえに取りかかった。架山は東京から持って来た大きな鞄《かばん》二個のうち、山行き用のものばかりを詰め込んである一個を開けて、その内容品を全部床の上にあけた。  サブ・リュック一個となると、どれほどもはいらなかった。寒さの用心のために、セーターだけでも何枚も持って来ていた。雨で濡《ぬ》れてしまった場合のことを考えて、肌着も何組か持って来てあったが、その大部分をこのホテルに残しておかなければならぬことになった。  時々、池野がやって来て、懐中電燈はどうするかとか、レインコートはどうするかとか、携帯品のことで相談を持ちかけた。 「なにしろ、僕の方はスケッチ・ブックも大きいの、小さいのと何冊かあるんだ。これだけは商売道具だからね」 「リュックに詰めないで、肩にかけて行ったら?」 「カメラも肩、スケッチ・ブックも肩、そのほかに肩にかけるものはたくさんあるんだ。凄《すご》い恰好《かつこう》になるな」  池野は、来る度に、そんな言葉を残して、また部屋に帰って行った。  みなの荷造りが終った頃を見計らって、岩代が顔を現わした。携行品の検閲にやって来たのである。 「できましたか」 「どうにか」  岩代はリュックを両手で持ちあげてみて、 「なかなか重いですね。しかし、まあ、このくらいならいいでしょう。一つ一つ、重さを計られて、機外に投げ出されたら困りますからね」 「そんなことをするかしら」 「そこまではしないでしょう。でも、なかなか気難しいスイス人です。美貌《びぼう》の若い青年ですが」 「青年?!」 「青年と言っても、三十三、四歳にはなるでしょう。要するに神経質なんですね。神経質なのは、いくら神経質であってもいいと思います。ヒマラヤの山の上を飛ぶんですから」 「危険なことはないだろうね」 「そんなことは、絶対にありませんよ。小さい飛行機ですから、すいすい雲の中を飛んで行きます。あすは、さぞ快適だと思いますね。——それにしても、荷物だけは軽くしないと! これから池野さんのところへ行って、荷物を半分にして貰います。さっき行ったら、サブ・リュックのほかに、小さい鞄と、風呂敷《ふろしき》包と、——」  笑いながら、岩代は部屋を出て行った。  荷物ごしらえが終ってから、みなでホテルの近くの小さい中国料理店に行って、ビールを飲んだ。岩代は何年か前に、二か月ほどカトマンズに滞在したことがあり、中国料理店の主人とは、ある程度親しい間柄らしかった。二人が半ば肩を抱くようにしているのを、架山は気持よく見ていた。  一同が卓を囲んで、ビールを注文した時、 「何か料理をとらなくては悪いんじゃないか」  架山が言うと、 「オードブルを頼んだら、ここの主人がご馳走《ちそう》すると言っています。ご馳走になっていいですよ。いまに何か持って来るでしょう」  岩代はそんなことを言った。 「では、あす無事に飛び立てますように」  伊原の言葉で、みなグラスを取りあげた。上松が、 「きれいな星がたくさん出ていた。この分では大丈夫ですよ」  と言うと、 「どれ」  と、池野が店の戸口まで出て行った。そして帰って来ると、 「なるほど、きれいに晴れ渡っている。雲などひとかけらもない。では、壮途を祝して」  と言った。また、みながグラスを取りあげた。  ビール壜《びん》が四、五本からになり、料理を平らげ終った頃に、 「では、あすは五時半起床、六時にホテル出発。朝食はルクラに行ってから摂《と》ります」  伊原は言った。店にはいってから、一時間ほどしか経っていなかった。 「折角の記念すべき夜だからもう一本、飲みたいね」  架山が言うと、池野も賛成した。 「でも、あすは早いから、もう引揚げましょう。折角の良夜ではありますが」  その伊原の言葉で、みなは席を立った。戸外は、なるほどみごとな星の夜であった。星が降るように光っている。  架山はひとりだけ遅れて店を出て来る岩代を待って、人通りの殆《ほとん》どない静かな通りを、ホテルの方に歩いて行った。先に歩いて行った伊原が、途中に立ち停まっていて、 「月が出ています。タンボチェの僧院で、あの月のまるくなったのを見るわけです。ニューデリーでも月を見ましたが、実に正確に少しずつまるみを帯びて来ています」  と言った。架山も月を仰ぎ、岩代も仰いだ。しかし、架山の眼には皎々《こうこう》と照り輝いている月の周囲に、淡くはあるが、大きな暈《かさ》が置かれてあるのが見えた。月が暈をかぶると、雨になると言われるが、多少そのことが気にならないでもなかった。しかし、言葉には出さなかった。  架山は五時にベッドから出た。飛行機が目差すルクラというところが、暑いのか、寒いのか、全く見当がつかなかったので、いかなる身支度をしていいか判らなかった。岩代はいずれにしろ、ルクラから歩き出すのであるからすぐ暑くなる、なるべく薄着をして行った方がいいと言うし、伊原は反対に、飛行機では一時間足らずで到着するが、歩けば半月かかる地点である、相当寒いものと思った方が安全であろうと言う。  結局、各自、思い思いの身支度をするほかなかった。架山は日本の十一月頃の気候を想定し、肌シャツを着、薄い毛の合シャツ上下で身を包んだ。そしてゴルフ・ズボンにアノラック、キャラバン・シューズ。帽子は鞄の中から出てきたゴルフ帽。ざっとこういった出立《いでた》ちである。  もう一度サブ・リュックの内容品を点検し、要らないものはホテルに残して置く鞄二個に詰め込む。東京から持って来た大部分の山行き用品は、ホテルに残留することになった。  一時間はすぐ経った。架山は久しぶりで中学時代の、修学旅行に出立する朝の慌しい気持を思い出した。六時に階下の集合場所であるフロント前に降りて行くと、ニッカーズに厚手のワイシャツ、それにチロル・ハットといった恰好の上松がひとり立っていた。なかなかしゃれた出立ちであるが、よく見ると、登山家らしく寸分の隙もない感じである。  池野がやって来た。池野は隊が支給したサブ・リュックは用いないで、自分が持って来た少し大型のリュックを右肩にかけ、あとは別段これといった山支度はしていない。靴も普通の靴である。ちょっと一泊のスケッチ旅行へ行って来るといった恰好である。 「やあ、凄い恰好をしているな」  池野は、架山を見て言った。 「君の方こそ、そんな恰好で大丈夫?」  架山が訊《き》くと、 「山へ登るんじゃないから、これでいいだろう。寒くなった時の用心に、着る物だけはたくさん詰めて来た」  と言った。岩代と伊原がいっしょに階段を降りて来た。岩代は普通の旅行者の恰好で、パナマ帽を手に持っており、伊原の方は完全な重装備の感じである。 「ゆうべ、あんなに晴れていたのに、今朝は少し曇っている」  上松が言うと、 「こっちはいくら曇っていてもいいんだ、向うさえ晴れていれば」  伊原が言った。くるまが来ると、それぞれ勝手な恰好《かつこう》をしている一団は、二つに分れて乗り込んだ。  空港に着いた時、架山は時計を見た。六時半である。これと言って手続きもないらしく、建物の横から、十機ほどの機体があちこちに置かれている広場の一隅に出る。  空を仰ぐと、青空は見えていず、完全に曇っている。ルクラ行きの小型機の置いてあるところに、若い大使館員と、こんどのヒマラヤ山地に於《お》ける設営を取りしきってくれた旅行社の、これも若い日本人社員と、もう一人機長らしい人物が姿を見せている。  架山たちはそこに近付いて行った。 「大丈夫ですか」  岩代が最初に声をかけると、 「さあ」  と、日本人二人は、はっきりしない顔で空を仰いだ。  岩代がみなに機長を紹介した。なるほど気難しそうな人物である。長身を少し前屈《まえかが》みにして、手をズボンのポケットに突込み、架山たちの方には眼もくれないで、黙って、そこらをぶらぶら歩き回っている。そして時々立ち停まっては空を仰ぐ。 「飛ぶのか、飛ばないのかな」  伊原が言うと、 「何とも判りませんね。あいにく曇ってしまいましたからね」  館員は言った。 「とにかく、荷物だけはいつでも積み込めるようにしておきましょうよ」  岩代が自分の荷物を機体の搭乗口のところへ持って行ったので、他の者もそれに倣った。何個かのリュックが固まって置かれた。  機長は相変らず、みなから少し離れたところをぶらぶら歩き回っては、時々空を見上げたり、煙草に火をつけたりしている。  いつまでもこうしていても仕方ないので、岩代と館員と旅行社員の三人が機長のところへ行って、様子を訊いてみることにした。  三人が機長を囲んで何か話しているのを、少し離れたところから、架山たちは落着かない思いで見守っていた。  岩代だけが戻って来た。 「天気の具合はどうかと訊いたら、お前、自分の眼で見ろと言いました。——もう少し、そっとしておきましょう。飛べないなら飛べないと言うでしょうが、ああしているところを見ると、実際に空模様と相談しているんでしょう。少しでも、どこかが晴れたら飛ぼうと思っているようです」  岩代は言った。架山は、飛べないなら、無理に飛ばない方がいいという気持だった。小さな竹トンボのような飛行機に乗って、雲の中にはいって行くのは、あまり有難いことではない。池野も同じ思いなのか、 「帰って、出直せばいいじゃないか。そうしようや」  そんなことを言った。 「いや、飛べますよ。このくらいの雲で飛べないことはないですよ。勇敢にやってみればいいのに、あの機長」  上松は言った。ニューギニアの航空隊に居たというだけあって、大胆である。  若い館員がやって来て、 「機長は、もう十分ほど様子を見てから決めると言っています。黙って待っている以外仕方ありません。それから例の政府の役人のことですが、きょうは乗り込まないようです。ですから、乗るのはみなさん五人だけです。役人が来て六人だったら、荷物を乗せるわけにはいかないが、五人だから、軽い荷物なら乗せてもいいと、機長はそんなことを言っています」  そう言って、苦笑してから、 「飛ぶんじゃないかと思いますね。どうも、飛びそうな気がします」 「なるほど、ね」  架山は言った。甚だ筋道の通らない機長の言い方だと思った。政府の役人が来た場合は、荷物は乗せられないというような言い方はできない筈《はず》である。荷物を軽くすれば乗せるというのが、きのうの取極《とりき》めである。だから、携行品をできるだけ切り詰めて、サブ・リュック一個にしてしまったのである。どうも、その時々で勝手なことを言う奴だと思う。しかし、異国人の機長を相手に文句を言っても始まらなかった。それにまた、考え方を変えれば、この機長のわがままや、気難しさも判らないではないという気持もあった。小さい飛行機を操縦して、ヒマラヤの雲の中にはいって行くのだから、多少は気難しくもなって当然かも知れない。こちらは遊びであるが、向うは仕事なのである。  架山がそんな思いにはいっている時、 「もう大丈夫ですよ、ヒマルチュリが顔を出して来ました。ジュガール・ヒマールも見えて来ました」  岩代の弾んだ声が聞えた。なるほど幾つかの雪の山が、雲の中から顔を出しかけている。 「よし、これで飛べる!」  伊原が言った。そこへ、今まで機長と話していた旅行社員がやって来て、 「あそこに山が見えるでしょう。空港のすぐ向うに小さい山が」  と言って、みなにその山を示して、 「あれはシバプリーという山です。シバプリーが晴れている時は、ルクラも晴れているんだそうですが、いいあんばいに、晴れて来ました」 「あの山が晴れている時は飛ぶんですか」 「どうもそうらしいですね。さっきから、機長はあの山を気にしていましたから」  シバプリーが晴れたためかどうか知らないが、機長の動きは今までとは違ったものになった。機体内に乗り込んだり、そこから出たり、プロペラの具合を確かめたり、操縦席から箱を持ち出したり、何となく忙しく立ち回り始めた。明らかに出発準備であった。  空は一面にまだ重い雲をかぶっていたが、さっきと違うところは、北方に雪の峰の幾つかが、その頭部を鋭く、美しく見せていることであった。上松と伊原はその方にカメラを向けている。  みなが機の前に集ると、機長は、すぐ乗れというように軽く手をあげ、それから責任者は自分の隣の席に腰かけるようにと言った。 「社長、乗って下さい」  岩代が言うと、 「だめだ、そんな大役は」  伊原は後込《しりご》みした。 「一番いい席なんではないのか」  架山が言うと、 「では、総裁お願いします」  岩代が言ったので、架山はまっさきに操縦席の隣に腰を降ろした。と言って、別に仕切りがあるわけではない。同じような椅子が並んでいて、その一番前の席であるというだけのことである。いい席か、悪い席か判らない。なぜ責任者がこの席を与えられるかも、架山には判断がつかなかった。 「そとで見ていて、ずいぶん小さいと思ったが、乗ってみると、もっと小さいな」  池野が言った。池野は岩代と並んでおり、そのうしろに伊原と上松が並んでいる。そのうしろにもう二つ席がある筈であるが、何か段ボール箱のようなものが置いてあって、椅子は取り除かれている。  池野は正直に小さいと口に出して言ったが、誰もそれに対して言葉は出さなかった。小さいことを改めて認識することは、余り気持のよいことではなかった。  一同を乗り込ませてから、機長はまた辺りをぶらぶら歩き出した。長身の背を少し折って、ズボンのポケットに手を突込み、何か考え込んでいるように地面を見て歩いている。そして時々首を捻《ね》じ曲げるようにして、空を仰ぐ。これもあまり快適な見ものとは言えない。 「早く飛べばいいのに、ぐずぐずしていると、何とかいう山にまた雲がかかる」  上松が言った。 「まあ、無理はしない方がいい。機長に任せることだね」  架山が言うと、 「飛んでもよし、飛ばないでもよし」  伊原が言った。すると、 「社長、気が弱くなってはいけません」  岩代が言った。 「冗談じゃないよ。気なんて弱くなるか。なんなら俺が操縦してやってもいい。簡単だろう、こんなちいちゃなやつは。俺、小さい時から機械を取り扱うのは好きなんだ」 「そうなったら、僕は降ろして貰《もら》います」  池野が言った。そんなことを言い合っているところへ機長は乗り込んで来た。プロペラが回り出した。 「では」  と言うように、機長はうしろの席を振り返った。それまで機体の傍に立っていた若い二人が、 「行っていらっしゃい」  と、手を振っておいて、機体から離れた。その二人に対して、架山たちもまた手を振った。  機は動き出した。スピードを速めたと思う間もなく、地面を離れ、空に舞いあがった。ひどく簡単だった。  架山の隣で機長は煙草をくわえたまま、前方を睨《にら》んでおり、時々フロント・グラスを透して空を見上げている。空を見上げる時は、いかにも首を捻じ曲げるといった感じの、首の捻じ曲げ方をしている。  時計を見ると七時である。舞いあがった時、カトマンズの町が美しく見えたが、すぐ雲に遮られてしまった。機内では誰も喋《しやべ》らなかった。神経質な機長を刺戟《しげき》しない方が安全であった。気分次第では、いつまた空港に舞い戻らないとも限らなかった。それに、誰にも一言も喋らせないだけの緊張したものを、機長は身に付けていた。首を捻じ曲げては空を見上げているが、それは雲の切れ目でも見付けて、その間から機体を上昇させて行こうとでもしているかのように見えた。  架山は煙草をくわえたかったが、隣の機長のために遠慮していた。機長の方は煙草をくわえづめにくわえており、時折り、煙草をもみ消しては、また新しいのにライターで火をつけている。自分は煙草をくわえていても、隣で煙草を喫《の》まれるのは嫌いだと、そんなわがままなところが、この機長にはありそうに思われる。  機は雲の中にはいったり、雲の中から出たりしていた。雲の中から出た時だけ、下界を覗《のぞ》くことができた。機は盆地東方の山岳地帯の上を飛んでいる。無数の山が波のように置かれてあり、その上に雲が真綿を撒《ま》きちらしたように散らばっている。山はどれも苔《こけ》むした感じだが、時折り低い山で山頂まで耕されているのが見えたりする。  次第に山波は大きくなって行く。機は前の高い山に向かって上《のぼ》って行く。それを越えると、新しい山が現われ、機はまたそれに向かって上って行く。山は次々に、際限なく出てくる感じである。機は相変らず雲の中にはいったり、出たりしている。眼下はよく視界が利いているが、機の前に次々に立ちはだかって来る山はどれも、雲のために、その形をぼんやりしたものにしている。  山は更に高くなってくる。機は山の斜面を這《は》い上って行くような感じで飛んでいる。時には山に這い上らないで、山と山との間を飛ぶこともある。飛行機の道かも知れない。  眼下に渓流が見えた。くねくねと渓谷の間を泡立ち流れている。時計を見ると、三十分経っている。 「カム・バック」  突然、機長の顔が架山の方に向けられた。引返す宣言である。これを聞くために、架山は隣の席を与えられていたのである。  機長はまた何か言った。ひどく早口でもあり、ドイツ語なまりの英語で、架山にはよく聞きとれなかった。  しかし、機は相変らず、前に立ち現われて来る山をめがけて這い上って行く。次々に山は現われて来る。煙草をくわえたまま、機長は処置なしといったように首を横に振って見せる。なるほど処置なしであろうと思う。雲は厚く深くなっており、突然機の前方に屏風《びようぶ》のように立ち現われて来る山の壁を見るのは、あまり気持いいものではない。 「帰るらしい」  架山はうしろを振り向いて言った。 「そうらしいですね。仕方ないですよ、これでは」  岩代が言った。飛行機に乗り込んでから初めて交した会話だった。 「折角、ここまで来たのに惜しいね。本当なら、もう十五分ほどでルクラに着くんじゃないのかな」  池野も、いかにも残念そうな顔をしている。 「なんとかならないかな」  一番うしろの席から伊原も、そんな言葉を投げてよこした。  そうしている時、機長は、うおっというような短い歓声をあげて、架山の腕を肘《ひじ》で突《つつ》いた。雲が切れた間から、遠くに大渓谷の一部が見えている。もう前方に山が迫っていないところを見ると、山岳地帯は終ってしまったのかも知れない。 「ルクラの飛行場が見えます、ルクラの」  岩代が叫んだ。どこがルクラの飛行場か架山には判らなかったが、瞬間、あらゆる事情が好転しているに違いないことを感じた。  やがて機は雲の下に出てしまったのか、架山は眼下に、平原とも、高原ともつかぬ、正確な言い方をすれば、地殻の表面とでも言うしか仕方がない地盤の大きな拡がりを見た。谷もあれば、丘陵もあり、断層もあった。大斜面もあった。樹木の茂りもあれば、岩石の地帯もあった。そんなものを全部載せて、地盤が大きく拡がっている。  機はその一劃《いつかく》に近づいて行った。大きい眺望は次第にしぼられて、渓谷と、斜面と、岩石だけが視野に収まって来た。 「右手に青く飛行場が見えています」  岩代の言葉で、架山はその青い部分を探した。なるほど山の裾《すそ》と渓谷の間に滑走路らしいものが小さく短冊型に嵌《は》め込まれている。  その時、機は機首を下げて、大渓谷の一劃を目差していた。獲物を見付けた鷹《たか》の舞い降り方に似ていた。渓谷が近づき、斜面が近づき、青い短冊が近づいてきた。機は渓谷を斜めに切るようにして、いったん近づいた斜面から離れた。地盤が大きく傾いた。そして、それが正常の位置に戻った時、架山は行手に玩具《おもちや》のような小さく青い滑走路が置かれてあるのを見た。機はまっすぐに青い短冊の中にはいって行った。 [#改ページ]     月  小さい飛行機から吐き出されると、架山はふらふらと二、三歩よろめいた。機内で両足でも突張っていたのかも知れない。いやに膝《ひざ》の関節ががくがくする。  雨が降っている。いま降り出したといった降り方である。着陸した滑走路は聞いていた通り一五〇メートルほどの長さの草地で、かなりの傾斜があるので、そのおかげで機は停まることができたといった恰好《かつこう》である。  架山たちが一人一人、機長と握手していると、大人やら子供やら十人ほどが駆け寄って来た。その中の一人が岩代の知っているシェルパらしく、岩代と半ば抱き合うようにして再会を悦《よろこ》び合っている。  架山は近寄ってきた少年の一人にサブ・リュックを取りあげられた。池野や岩代たちも、それぞれの荷物をほかの少年たちに渡している。  一同は雨の中を、山裾の家の方に向かって歩き出した。岩代が、いっしょに歩いているシェルパの言葉を、時々、みなに披露した。 「こっちは毎日雨らしいですよ。やっぱり雨期があけていないんですね」 「困るね。月見は大丈夫かな」  伊原が言うと、 「大丈夫だよ。月見までにはまだ三日ある。それまでにはからりと晴れていい月が出る」  上松は言った。架山は、上松とは違って、この分では月見はだめだろうと思った。 「きょう、この雨の中を歩くのかな」  池野は心配そうに言った。それに対して、 「これからシェルパの家に行き、そこで朝飯を食べ、そしてすぐ出発しましょう。まだ八時前ですから、九時半には出発できます。なるべく早く今夜の宿営地まで行って、そこで休んだ方がいいと思います」  岩代が答えている。 「いずれにしても、寒いね。山へはいったら、もっと寒くなるだろうな。セーターを持って来るべきだったかな」 「持って来なかったですか」 「二枚あるうちの、薄い方を持って来た」 「それで、充分でしょう」 「傘はあるかな」 「傘ですか。シェルパの家に一本や二本はあるかも知れません。しかし、雨具は持って来ているでしょうね」 「雨具、ねえ」  池野は心細いことを言っている。架山も、今になってみると、着るものについてはあまり自信がなかった。今朝になってから、防寒用の衣類をホテルに残しておく方の鞄《かばん》に移している。これから毎日雨に降られたら、ちょっと困るな、と思った。予備の衣類は必ずしも充分とは言えない。飛行機から吐き出されてからいやに心細くなっている。  シェルパの家だという建物の前まで来た時、架山は飛行機の爆音を聞いた。機体は見えなかったが、いま自分たちを運んで来てくれた小型機が飛び立って行ったのである。 「どうぞ」  岩代と親しい中年のシェルパが、日本の言葉で言った。家は石を積みあげて造ってある。屋根だけは板切れで葺《ふ》いてあるが、あとは石垣で囲ったような家の造りである。道路に面した方に、扉を持った出入口が一つ開《あ》いている。 「暗いですから、足許《あしもと》に注意して下さい」  そう言って、岩代が先にはいって行った。架山はそのあとに続いたが、内部は真暗で、眼が慣れるまでは身動きできなかった。岩代もまたそこに立っているらしく、 「このへんの家はどこも、一階が家畜小屋で、二階が人間の住居になっています。そこらに牛が居ると思いますよ」  そう言われると、向うの暗い中に牛でも立っていそうな気がする。 「ここに階段がありますから、気を付けて下さい」  眼が慣れたのか、岩代は階段をあがり始めた。気を付けるように言われても、架山は依然として身動きできぬ状態にあった。すると、上の方から、誰かが懐中電燈の光を投げてくれた。二、三人でがやがや言っているその声から推すと、架山たちの荷物を先に運び込んでくれた少年たちらしかった。なるほど二階にあがる粗末な階段が眼の前に置かれてある。架山はそれに足をかけたが、二段目で足を踏み外した。これから毎日、このようなことをして過ごすのかと、多少暗然たる思いがないでもなかった。  二階にあがってみると、予想していたより立派な居間があった。二十人ぐらいははいれるかなり広い板敷の部屋である。通りに面している方の窓際に大きな竈《かまど》が据えられてあって、そこに赤々と火が燃えていた。竈には大きな鍋《なべ》や薬罐《やかん》がかけられてあり、この家の人らしい女たちが三、四人、その傍で立ち働いている。  架山たちは、女たちの間に割り込んで、その火を囲んだ。体はひどく冷え込んでいる。伊原も、池野も、上松も、みな黙って火の方に手をかざしている。少年たちが、お茶を運んで来てくれた。紅茶だった。  岩代が中年のシェルパをみなに紹介した。名前を言ったが、架山にはすぐは憶《おぼ》えられそうもなかった。 「シェルパ、ポーター、炊事係、——みなで十九人が僕等に付添ってくれます。シェルパはみな少年たちで、シェルパの見習といったところです。大人のシェルパはみな登山隊といっしょに山にはいっていて、今はこうした子供たちしか残っていないんだそうです。でも、子供たちの方が純真で、僕たちの一行には却《かえ》っていいと思います」  岩代は言った。五、六人の少年たちは居間の隅の方に固まって、神妙にしている。  女たちの手によって、スープが配られた。架山はひと口吸ってみて、奇妙な味だなと思ったが、これから当分は贅沢《ぜいたく》を言ってはならぬと、自分に言い聞かせた。パン、卵焼、野菜、最後に馬鈴薯《ばれいしよ》のふかしたのが出た。馬鈴薯が一番|美味《おい》しかった。  簡単な食事が終ると、岩代が、 「アンタルケはサアダーとしては、こんどのこの僕たちの隊に付くのが最初だそうです」  と、言った。すると、自分の名が岩代の口から出たのを知って、例の中年のシェルパが、みなの方に向かって、ちょっと頭を下げた。サアダーというのは、シェルパ頭《がしら》のことで、キャラバンを組んでいる時、隊のシェルパたちはサアダーの命令下に置かれねばならなかった。伊原の説明によると、この資格をとるのはなかなか難しいということであった。人間もできていなければならないし、何より多年にわたる登山の経験がなければならない。 「アンタルケ君か、ちょっと憶えにくいね。——ア、ン、タ、ル、ケ」  架山が言うと、 「じゃ、サアダーと呼んで下さい。サアダー、サアダーでいいですよ」  岩代が言った。 「一体、サアダーはいくつぐらい?」 「三十八です、確か」  それから、 「簡単な英語なら話します。向うの子供たちも、かたことですが、英語は話すと思います」  岩代は、アンタルケに少年たちが英語を話すかどうか訊《き》いた。アンタルケは笑顔で首を振り、殆《ほとん》ど話せないが、一人だけ話すのがいると言った。その英語を話す少年が呼び出された。目の澄んだ小柄の少年であった。少年は名前と年齢を言った。名前の方は憶えられなかったが、年齢は十七歳、日本の同年配の少年に較べると、ずっと子供っぽかった。やがて、 「じゃ、このシェルパは、架山さん、どうぞ」  そんな言い方で、伊原がシェルパの配分に当った。少年は一人ずつみなの前にやって来て、自分がこれから何日か仕える主人の方に頭を下げた。みな十七、八歳の少年たちだが、見るからに純真そうであった。 「ほかにポーターや炊事の係のおっさんや内儀《かみ》さんがいるようですが、この方は特に紹介しません。自分のシェルパの名前だけは憶えておいて下さい。用事があったら、名前を呼べば、すぐ飛んで来ます」  伊原は言った。 「では、出発しますか」  岩代が言った時、 「デハ、ソロソロ、デカケルトスルカ」  少年シェルパの一人の口から、そんな言葉が飛び出した。 「驚いたな」  みな口々に言った。一座の者の注意をひいたことが恥ずかしかったのか、少年は急に下を向いてしまった。架山付きの少年である。 「ほかに、どんな言葉を知っている?」  架山が訊くと、少年は何も知らないというように首を振って、手を頭に持って行った。日本の若い登山家たちが教えた言葉に違いなかったが、いかにもある感じがあった。 「では、そろそろ、出掛けるとするか」  上松は自分付きのシェルパといっしょにまっさきに部屋を出て行った。  架山は自分付きの少年に、もう一度名前を訊いた。 「——ツェリン・ピンジョ」  童顔の少年は、架山のリュックサックを背に負い、カメラを肩にかけた姿で言った。架山は一応その名前をノートに記した。生れはあす架山たちが通過するナムチェバザールという集落、年齢は十七歳。父親はシェルパ、生母は何年か前に亡くなっている。架山は一応これだけの少年に関する知識を頭に入れた。  架山はピンジョと二人で、再び暗い階段を降りて、戸外に出た。依然として雨はばらついている。さほど烈しくはないが、雨の中の行軍は余り有難くない。  架山はリュックサックからレインコートを取り出して、それをアノラックの上に纏《まと》った。  池野がホテルを出た時とはまるで異った恰好をして現われた。池野付きのシェルパは�テッチン�という名か、池野はテッチン、テッチンと、少年を呼んで、リュックからカメラを出したり、入れたりしている。  サアダーがやって来て、池野が口にしている少年の名を訂正した。 「——プルバ・チッテン。——テッチン、ノー、チッテン」 「ああ、そうか、チッテンか。チッテンでも、テッチンでも、どっちでも同じようなものだが」  池野は言ってから、サアダーの方に、 「——チッテン、チッテン」  と、正しい少年の名を口に出してみせている。そんなやりとりが、架山には面白かった。 「俺の方はチッテンだが、君の方はなに?」  池野が言ったので、 「ピンジョ」  架山は答えた。 「君の方は?」  池野はこんどは上松の方に顔を向けた。 「ドルジー・シェルパ。——僕の方は憶えやすい。シェルパですから。——邦ちゃんの方は厄介ですよ、ナムギャル」  それから手帳を出して、 「邦ちゃんのはパサン・ナムギャル。社長のはリンジー・ノルブ」  上松は言った。  やがて、どこからともなくそれぞれ背に荷物を持ったポーターたちが集って来た。歯が全くなくなっている老人も居れば、若い男も居る。中年の女も、娘も居る。それに馬が三頭。  サアダーが�出発!�とでも言ったのか、サアダーの言葉を合図にして、ポーターや炊事係の一団は、雨の中を出発して行った。サアダーのアンタルケも、その一団の中に加わっていた。  辺りが静かになると、 「僕たちは僕たちのペースで行きましょう。ゆっくり歩いて下さい。まだあすも、あさってもありますから、きょう一日で疲れてしまわないように」  岩代は言った。先頭は上松、それに続いて伊原、池野、架山、殿《しんがり》が岩代である。五人はそれぞれポーターの少年を従えて歩き出した。雨はさっきより烈しくなっている。 「どこへ行くのか知らないが、こうして雨の中を歩き出すのは、心細いものだね」  池野が言った。架山も何となく同じ気持だった。天気がよくて、陽でも当っていたら、きっと楽しいに違いないが、雨に濡《ぬ》れそぼって、生れて初めて大きな山に向かって歩いて行くことになると、意気|軒昂《けんこう》というわけにはいかない。  キャラバン・シューズというもので歩くのも初めてなら、雨の中を傘をささないで歩くのも初めてである。 「そのレインコートは防水してありますか」  うしろから岩代が声をかけて来た。 「レインコートだから、このくらいの雨なら大丈夫じゃないのかな」  架山が言うと、 「さあ、どうですかね。大体、レインコートというものは雨を通しますよ。雨の日に、傘をさした上で、濡れないように着るものですから」 「そうかな」  架山は言ったが、そんなことはないだろうと思った。レインコートという名が付いている以上、このくらいの雨なら大丈夫ではないかと思った。  岩代はよくゴルフの時に使うビニール製の薄いやつを身に纏っている。なるほど歩くには軽そうだが、雨具としてはひどく頼りなく見える。 「君の方こそ、大丈夫かな」 「大丈夫です。これが一番です。どちらがいいか、験《ため》してみましょう」  道は山|裾《すそ》に沿って走っている。小石のごろごろした道である。段落ある平原が拡がっていて、農家が点々と散らばっている。どれも石積みの家で、石積みがあらわになっているのもあれば、その上に土を塗ったのもある。屋根は板|葺《ぶ》きで、その上に小さい石を載せている。  道は間もなく山の斜面を這《は》い始めた。かなりの急坂である。 「ゆっくり、休み、休み登って下さい」  岩代は言った。 「すごい坂だね」 「だから、ゆっくり登って下さい」 「この山のてっぺんまで登るのかな」 「心細いことを言わないで下さい。これから何十回も上ったり、下ったりするんですから」 「これでは、まるで、登山だね」 「そりゃ、登山ですよ」 「僕はまた平地ばかり、ぶらぶら歩くのかと思った」 「そういうわけにはいきません」  池野と伊原はそんな会話を交している。架山は黙って足を運んでいた。何年かぶりの山登りである。こんなことを何時間もやらせられたら、到底体は続かないと思う。が、いずれにしても、ヒマラヤの山地にはいって歩き出したのだから、もはや目的地まで行き、そこから引返して来る以外仕方がないだろうと思う。  少年シェルパのピンジョは架山の先を歩いているが、足場の悪いところへ来ると、立ち停まっては、架山の方へ手をのべてくる。  三十分ほど登ると、道は山の尾根近いところを巻き始めた。いつか下は渓谷になっている。 「下は谷だね」 「そうです。ドウトコシの渓谷です」 「いつ、こんな谷が現われたのかな」  架山は驚いた。自分の足許《あしもと》だけしか見て歩かなかったので、四囲の地形が大きく変って来るのに気付かなかったのである。渓谷を隔てて、対岸は山になっていて、その山の中腹に小さい集落が見えている。  路傍にはシャクナゲと松も多い。松の方はどれも丈が低い。 「門松の松にもってこいだな」  道が平らになると、架山も、池野も、多少ほかのことに気を配る余裕ができるが、少し上りになると、二人とも唖《おし》になってしまう。  道は、やがて、渓谷に向かって下り始める。雨は依然として降り続いている。時折り、近くの集落の者らしいチベット人の女や子供たちと擦れ違う。みな裸足《はだし》で、頭から雨に濡れている。  渓谷に下って、ドウトコシの本流にかかっている木橋を渡る。歩き出して一時間か、一時間半しか経っていないのに、すっかり山間部にはいっている感じである。橋の袂《たもと》で、雨に打たれながら、立ったままで休憩する。 「これからこのドウトコシの流れを、何回も右に渡ったり、左に渡ったりします。氷河から流れ出している川です」  岩代が言った。架山はルクラを出てから、初めて煙草をくわえた。雨はすっかりレインコートを通っている。びしょ濡れのレインコートを脱ぐと、ピンジョが受け取って、それを自分が背負っているリュックサックの上にかけた。  道はドウトコシの岸からすぐ上りになる。このへんから、架山はもう口をきかなかった。急斜面の石ころ道を一歩一歩拾って行くのが精いっぱいであった。  道は上ったり、下ったりしている。アノラックにも雨が通っている。  ガール部落で昼食。部落といっても農家が小さい谷川に沿って一軒あるだけで、ほかに民家らしいものは見当らない。先にルクラを出発して行ったポーターや炊事係の連中が、薄暗い土間の中でひしめき合っている。土間の一隅に竈《かまど》があって、そこで火が焚《た》かれているのが何より有難かった。ピンジョがしきりにアノラックを脱げというので、架山はその言葉に従った。ピンジョは濡れたアノラックを持って火の傍に行き、それを木の椅子の一つに拡げている。そんなことをしているピンジョ自身はずぶ濡れである。  熱いスープとピラフが運ばれて来た。 「どう?」  架山は池野に言葉をかけた。 「相当なものだね。雨の中をずぶ濡れで歩くのは初めてだ」 「雨具は?」 「商売道具のスケッチ・ブックを包んでいる。こんど来る時は、完全装備で来て、こんなへまはやらん」  傍に居た岩代が、 「みんな、プリントに書いて渡してあるんですがねえ」  と、慨嘆するような言い方をした。 「忙しくて、読まなかった」  池野は言った。架山もプリントは鞄の中に入れて持って来てあるが、結局はそれだけのことで、出発前は眼を通す暇がなかったというのが実情であった。冬枝や光子は読んだ筈《はず》であるが、別にそれに従って衣類を調えたわけでもなさそうだ。そういうところが、手抜かりだったと思う。  他の三人は、さすがに登山家だけあって、雨ぐらいで悲鳴をあげたりはしない。よくしたもので、別段衣類にも雨は通っていないらしい。 「キャラバン・シューズというやつもね」  架山は言った。これは岩代が勧めてくれたものであるが、すっかり雨が滲《し》み込んで、靴下まで濡れている。 「なかまで滲みましたか」 「滲みるどころの騒ぎじゃない。なかはプールになっている」 「でも、それが一番いいんですよ。雨が滲みることは滲みるでしょうが、乾くのも早い。ひと晩火の傍におくと乾きますよ。僕たちの革靴はその点、容易に乾きません」  なるほど、そういうものかも知れないと思う。 「大体、これっぽちの雨で、ずぶ濡れになるということがおかしい。日本の雨と、どこか違うんだな」  池野は言った。  ガール部落を出発、相変らず雨の中の行軍である。道は上ったり、下ったり、平地を歩くということは殆《ほとん》どない。上りも石の積み重なった急坂であり、下りも同じような急坂である。  時折り、農家の二、三軒ある集落を過ぎる。そうした集落の入口には、必ず石を積みあげた高さ二間ほどのずんぐりした塔がある。いっしょに歩いている上松がチョルテンというものだと教えてくれる。 「ヒマラヤ登山の本には、大抵このチョルテンの写真が載っています。ラマ教の塔らしいです。魔ものが村にはいれないように、村の入口に造ってあります」  しかし、架山はそのチョルテンにも、あまり視線は投げなかった。チョルテンどころではなかった。ひたすら歩くことに夢中だった。 「これもチョルテンです。こういうのを壁チョルテンと言うようです。もちろん、チベット人は別の言い方をしているでしょうが」  見ると、塔ではなくて、高さ一メートル、幅一メートルぐらいの石垣のようなものが、道の真中に造られていて、道を二つに分けている。奇妙な分離帯である。 「この積みあげている石には、どれも経文が彫ってあります」 「なるほど、ね」  一応は返事をするが、別にその方へ眼を向けるわけではない。伊原が引返して来た。 「このチョルテンの右側を歩くことになっているんだそうです。左側を歩くと災難があるらしい」  伊原はご苦労さんにも、十メートルほどの長さの異様な石の分離帯を、改めて回り直して、また先に歩いて行った。 「余力があるね、彼は」  感心して、架山が言うと、 「疲れましたか」 「疲れたというのかな、こんなのを」 「あすは、らくになりますよ。きょうは初日ですから、誰も疲れます。あすになれば慣れて、何でもなくなります」  上松は言った。 「画伯は大丈夫かな」 「邦ちゃんがついています。さっきまで、僕が画伯係でしたが、邦ちゃんと交替しました」 「すると、あなたが僕の係?」 「そういうことになります」  上松は笑った。うしろから、ポーターたちがやって来た。道をあけてやると、みんな重そうな荷物を背負って、同じペースで通り抜けて行く。一番最後に、一見二十歳ぐらいの娘が一番大きい荷物を背負って通って行った。 「なかなか美人ですね、彼女は。——もう一人同じ年配の娘が居るでしょう。二人は姉妹です。いま行ったのが姉さんの方です」  こうなると、否応《いやおう》なしに体力の差というものを感じざるを得ない。余力があるということは怖しいものである。チョルテンにも、チベット人の娘にも、いまの架山としては無関心であらざるを得ない。  夕方、モンジョ部落にはいった時は、架山はくたくたに疲れていた。大きな岩山を背負った平坦《へいたん》な広場に、先に到着しているポーターたちが、サアダーの指揮のもとにテントを張る作業に従事しているのが見えた。  ここもまた、部落と言っても、付近に一、二軒の民家があるだけである。あるいはここから離れたところに集落があるのかとも思うが、両側に山が迫っている地形から推して、どうもそういうことはありそうもない。  架山は池野と二人で、雨の中に立ったまま、テントの張られるのを待っていた。シェルパの少年たちは、テント造りの作業に加わっている。 「ずいぶんきょうは、急な坂を上ったね。上るのはいいが、上ると下らなければならないし、下ると、また上らなければならない。どっち道、助からんよ」  池野は足踏みしながら言っている。架山もまた足踏みしていた。体はすっかり冷え込んでいる。 「でも、やはり下る方がらくだな」  架山が言うと、 「下る方がらくなことはらくだが、しかし、終《しま》いに僕は思ったね。折角、これだけ上ったのに、また下るのかと。——どうも、無駄なことばかりしている」  池野は言った。二人がこんな会話を取り交している間、三人の登山家たちは、雨の中を動き回っていた。何をしているのか判らないが、やはりやるべきことはあるのであろう。  そのうちに岩代がやって来て、 「一番向うに、雨の漏らない上等なテントを張りました。それにお二人ではいって下さい。風邪をひかないように、すぐ着替えをして下さい」  そう言って、またどこかへ行ってしまった。架山と池野は、岩山の裾《すそ》に張られたテントの方へ歩いて行った。  二人がテントにはいって靴を脱いでいると、二人のシェルパの少年が、それぞれリュックサックを持ってやって来た。  テントというものの中にはいるのは初めてのことである。なるほど一応雨は落ちないようになっており、草地の上に一面に同じ防水布が敷かれ、その上にマットと寝袋が重ねて置かれてある。 「まあ、かかるところで辛抱せずばなるまい」  いきなり池野はうしろにひっくり返った。架山もまた同じようにした。  ピンジョが入口で、手真似をして、何か喚《わめ》いている。着替えをしろということらしい。架山は起きあがって、忠僕の言に従った。雨はすっかり肌着にまで通っている。  やがて夕闇が迫って来た。雨は相変らず降り続いている。ピンジョとチッテンは何回もテントへやって来ては、架山と池野の濡《ぬ》れたものを運んで行ったり、紅茶を運んで来たりしている。どこかに炊事場のテントが張られてあって、少年たちはそこに集っているらしかった。  岩代が顔を出して、テントの具合を調べて行ったあと、上松が少年たちを連れて来て、テントの周囲に溝を掘らせた。雨の水がテントの内部に流れ込まないための措置なのであろう。  それぞれにみな忙しそうだったが、その間、架山と池野は寝袋の上にひっくり返っていた。少年たちが運んで来てくれた紅茶も、腹這《はらば》ったまま飲んだ。 「外はいかなることに相成っているかな」  池野は一度だけ起きあがって外を覗《のぞ》いて、 「なかなか壮観だな」  と、何が壮観なのか、そんなことを言った。  ピンジョが、夕食の支度が隣のテントにできていることを告げに来た。夕食と聞いて、架山は初めて寝袋の上から起きあがった。何でもいいから、食物を胃の腑《ふ》に入れたかった。ひどく寒かった。それにしても、どこへ行くにも、靴を履かなければならないということは面倒臭かった。靴は濡れたままテントの入口に置かれてある。すると、同じ気持らしく、 「靴というやつは厄介なものだな。こんど来る時は、紐《ひも》のないやつにするよ。あの、いきなり足を突込めるやつがあるだろう。あの方がよさそうだね、山登りには」  池野もそんなことを言いながら濡れた靴を履いている。  テントを出ると、夕闇の落ちかかっている広場に、いくつかのテントが並んで張られているのが見えた。七つか八つはあるだろう。さっき池野が壮観だと言ったのは、このことかと思った。大きいテントもあれば、小さいテントもある。 「ドウゾ」  ピンジョの口から出た二度目の日本語だった。案内されたのは、隣のテントであった。そこでまた、架山と池野は靴を脱がなければならなかった。もう三人の登山家たちは集っていた。狭い中にくるま座になるように席が造られている。席につくと、 「どうですか、ヒマラヤの印象は?」  と、笑いながら岩代が言った。 「いや、なかなか——、相当なものだな」  池野は言った。 「あいにく雨でお気の毒でしたが、あすは晴れるでしょう」 「きょうは歩くのに夢中で、どんなところを歩いたか、よく憶《おぼ》えていない」  すると、伊原が、 「架山さん、池野さんがよく歩けたと、僕たち、感心しているんです。飛行機から二四八〇のところに降りて、いきなり歩き出した。しかも雨ときています。いい加減バテますよ」  と言った。 「一体、ここはどのくらいの高さなの?」  架山は訊《き》いた。 「きょう、ルクラを出てからドウトコシを一回右岸に渡ったでしょう。それから、この部落にはいる前に、こんどは左岸に渡っています。その二度目の橋を渡ったところ辺りが二八〇〇メートルです。ここも、大体、同じくらいではないですか」  岩代が言った。 「二八〇〇か、相当高いんだね」 「今夜、いくらか寝苦しいかも知れませんよ。誰も、少しは高山病にかかっていると思います」  そう言われれば、そうかも知れないと思う。自分ながら、きょうはずいぶんだらしない歩き方をしたが、あれも高山病のせいかも知れない。平生ゴルフをやっているので、足は自信のある方であるが、その自信がきょう一日で吹飛んでしまった恰好《かつこう》だった。 「いま、橋を二回渡ったと言ったが、もっと渡っているよ」  池野が言った。 「ドウトコシの橋を渡ったのは二回だけです。初め右岸に渡り、次に左岸に渡っています。いま、僕たちは左岸にいます。ほかにも橋は渡っていますが、どれも支流の橋です」 「支流も、本流も、何が何やら判らなかったな」  そういう池野の方に、 「それ、高山病のせいだよ。僕も歩くのに精いっぱいで、幾つ橋を渡ったかなどということは、さっぱり念頭になかった」  架山は言った。シェルパの少年が蝋燭《ろうそく》を三本持って来て、食卓代りの板の上に立ててくれた。外は真暗になっている。料理が運ばれて来た。雑炊のようなものと、カツレツまがいのものである。  食事中は、食べるのに忙しくて、誰も話さなかった。食べ終ると、上松がコーヒーをいれてくると言って、立って行った。  暫《しばら》くすると、少年たちがコーヒー茶碗《ぢやわん》を運んで来、そのあとから上松がコーヒーをわかした土瓶を持って来た。 「インスタントではないですよ」  そんなことを言って、上松は五つの茶碗をそれで充《み》たした。  その夜、架山は寝苦しかった。雨がテントを打つ音を聞きながら、夜半まで目覚めていた。池野も同じように、寝袋の中で、寝返りばかり打っていた。 「ずいぶん前から山へはいっているような気がしているが、考えてみると、今朝来たばかりなんだね」  暗い中で、一度、池野は話しかけて来た。架山はスイス人の機長の神経質な顔を思い出し、今頃彼はどこで眠っているのであろうか、と思った。  暁方、架山は小用を足すために、懐中電燈を持って外に出た。雨は落ちていなかった。  六時半に、ピンジョとチッテンが、モーニング・ティーを持って来た。ゆうべ六時半に起床すると言っておいたが、時計を見ると、きっかり六時半である。驚くべき正確さである。  寝袋の中に腹這ったまま、架山も、池野も、あつい紅茶を飲んだ。 「洗面所はどこにあるのかな」  架山が言うと、 「そんなものはないだろう。まあ、諦《あきら》めるんだね。またいくつも川を渡るだろうから、その時顔を洗えばいい」  池野は言った。きのうより大分|逞《たくま》しくなっている感じである。有難いことに、曇ってはいるが、雨はやんでいる。  身支度して外に出ると、伊原があちこち飛び回って、カメラのシャッターを切っている。 「顔は洗ったの?」  架山は洗顔にこだわっていた。 「いいえ。ドウトコシの磧《かわら》まで降りて行けばいいんですが、ちょっとあります。途中の川で歯を磨きましょう」  伊原もまた、池野と同じようなことを言っている。  ゆうべ夕食を食べたテントに集って、簡単に朝食をすました。テントを出てみると、そのテントだけを残して、他のテントは全部畳まれている。テントを取り払ってみると、宿営地にはもってこいのなかなかいい広場である。その広場の一隅に近くの農家の内儀《かみ》さんや子供たちが立って、シェルパたちの宿営の後片付けの作業を見ている。粗末な着物を纏《まと》って、みな裸足《はだし》である。傍に近寄って行ってみると、気の毒なほど薄着をしている。内儀さんが抱いている嬰児《えいじ》まで、ほんの二、三枚の衣類で体を包んでいるにすぎない。  架山は、広場に漂っている朝の大気に日本の真冬の寒さを感じているが、大人も子供も、いっこうにそんなことに頓着《とんちやく》している様子は見受けられない。シェルパの少年たちもまた同じである。着ぶくれている者など一人もない。  サアダーのアンタルケの率いる先発隊が出発して行くと、広場は急にがらんとしたものになった。 「どこか、やはり日本にはない風景だね」  池野は言った。さっきからカメラを構えたり、スケッチ・ブックに鉛筆を走らせたりしていたが、池野は架山の方に近付いて来た。手拭《てぬぐい》を首に巻き付けているところは、画家の池野には見えない。  出発。宿営地を出ると間もなく、道はドウトコシの流れに沿う。きのうは気付かなかった渓流の音が高く聞えている。雨が落ちていないので、架山は初めて四辺の風景に視線を投げて歩くゆとりを持つことができた。日本の山間部の風景とさして変りはない。 「今日は午後ナムチェにはいります」  岩代が言った。ナムチェというのはナムチェバザールという集落のことで、シェルパの集落として、登山家の間では有名なところである。岩代も、伊原も、上松も、ナムチェにはいることはよほど楽しいらしく、ゆうべの食事の時も、それぞれが何回もナムチェという名を口から出していた。カトマンズから歩き出すと、十五、六日目にこの部落にはいるので、登山隊にとっては、一つの目標でもあり、懐しい集落でもあるらしかった。  道はずっとドウトコシの川岸を這《は》っている。一、二回川岸を離れて、ぽつんと一軒だけ立っている農家の横から、その背戸に回って行ったりしたが、暫くすると、道はまた川岸に戻った。ドウトコシに流れ込んでいる支流を、橋とは名ばかりの粗末な木橋で渡る。きのうとは異って、一歩一歩、深山に分けいって行く感じである。  架山も、池野も、きのうのように他の者に遅れることなく、きょうはいっしょに歩いて行く。二人ともシェルパの少年たちに言葉をかけるぐらいの余裕はできている。やはり空気の薄いことに馴《な》れて来たのかも知れない。 「ナムチェ、ナムチェと草木もなびく。ナムチェ居よいか、住みよいか」  伊原は一度歌ったことがあった。伊原のあとに続いている架山も、そういう歌を聞いていると、どういう集落か見当はつかないが、そこに一歩一歩近づいて行くことに楽しさを覚えた。  やがて、ドウトコシを木橋で右岸に渡る。そして一時間ほど経って、また左岸に渡る。この辺りのドウトコシには大きな石がごろごろしており、その間を泡立っている水がほとばしり流れている。まさに大渓流である。  集落は全くない。左岸から、もう一回右岸に渡るところで、大休止をとった。釣橋の袂《たもと》で、思い思いそこらにある石の上に腰を降ろした。 「ヒラリーのプル」  ピンジョが言った。プルというのは釣橋のことらしかった。 「エベレストの最初の登攀《とうはん》者のヒラリーが造った釣橋なんです」  岩代が説明した。架山はその釣橋の上に乗って、ドウトコシの流れを見下ろした。流れの両岸には大岩壁が迫っている。歩いている時は気付かなかったが、いつか四辺の眺めは全く異ったものになっていた。  架山は釣橋の上から、両岸に迫っている大岩石の峭壁《しようへき》を見上げていた。さっきまでさして日本の風景と変らないと思っていたのに、いつ自分を取り巻く世界がこのようなものになったか、ちょっと信じられぬ思いであった。  ドウトコシの急湍《きゆうたん》は、さながら陣太鼓でも打ち出すように、四辺の静けさをどよもし、どよもし流れている。上流に眼をやっても、下流に眼をやっても、さして遠くないところで折れ曲っているので見通しは利かない。釣橋は、ドウトコシがS字型に折れ曲っているところにかかっているのである。  磧での休憩を打ち切って、この釣橋を渡って、再び右岸に出る。道は川筋に従って折れ曲って行くが、間もなく、二本の川が烈しい勢いでぶつかり合っている合流点に出た。一つは他の川筋に殆《ほとん》ど直角にぶつかっている。どちらが本流で、どちらが支流か、川幅からみても、水量からみても、見当がつかない。地図で見ると、まっすぐな川筋を見せている方がドウトコシの本流であり、その横腹に直角にぶつかっている方が支流のボウテコシである。  道は本流を離れて、支流のボウテコシに沿い始めたが、何程も行かないうちに、また木橋でその流れを渡る。このボウテコシの木橋上から見る眺めも大きかった。ここもまた両岸には大岩石の屏風《びようぶ》が立っており、下流に眼をやると、すぐそこに合流点が置かれてあるが、どうしても合流点には見えず、ボウテコシの流れが正面の大岩壁にぶつかって、さながら直角に折れ曲っているかのようである。  ドウトコシも、ボウテコシも、どちらも見るからにひどく荒々しい気性の川である。その二つの荒川がぶつかり合う地点は、すっかり四囲を大岩石の壁で囲まれているが、さしずめ神様もこのようにする以外、二つの川の出会いを処理することはできなかったのであろう。  そのボウテコシの木橋を渡ると、道は対岸の岩山に這い上っている。  架山がシェルパの少年たちに橋の名を訊《き》くと、口々に、 「サンバ、サンバ」  と言っている。そこへカメラを抱えた岩代がやって来て、 「シェルパは、サンバ、サンバと呼んでいますが、ネパール語のサンゴ、つまり木橋の意味らしいです。前の釣橋をプルと言っていたでしょう。プルというのはウッド・アンド・ワイヤの意味らしいです。こちらは木の橋、さっきのは木と針金の橋、つまり釣橋ということになります」  と言った。シェルパの少年たちの言い方で言えば、ドウトコシをプルで渡り、次にボウテコシをサンバで渡り、そして岩山の急坂に取りつくということになる。  上松、伊原、池野、架山、岩代の順に、岩石のごろごろしている急坂を上って行く。この辺りは架山も知っている穂高の本谷の出合に似ている。ドウトコシとボウテコシの合流点付近の大渓谷はすぐ眼の下になり、やがてそれも視野から消えて行く。  架山は頻繁に足を停めて休んだ。その度にピンジョも足を停めて、いっしょに休んでくれる。  ——心臓は苦しくないか?  と言うように、ピンジョは両手を自分の胸に当てて、苦しそうな顔をしてみせる。大丈夫だと架山が言うと、  ——それでは、安心!  と言ったように、安堵《あんど》の表情をしてみせる。一番|殿《しんがり》の岩代も先にやり、架山とピンジョの二人が、みなより遅れて、二人だけで歩いて行くと、時々池野とチッテンが並んで腰を降ろしているのにぶつかる。この二人もなかなかいい主従に見える。  急坂を上りつめると、道は尾根を巻き出す。この頃から左手にボウテコシの大渓谷が現われ出す。岩代と伊原は到るところで、カメラのシャッターを切っているが、架山にはその余裕はない。ゆっくりとそうした連中の横を歩いて行く。時々スケッチ・ブックを開いている池野を見かける。そんな時、必ずその傍で、忠僕のチッテンが、池野の手許《てもと》を熱心に覗《のぞ》き込んでいる。  尾根を巻いている時、路傍で休憩している女を混じえた数人の白人のパーティに会う。カトマンズを出て十七日目だという。 「もうすぐナムチェだ」  一人はいかにも嬉《うれ》しそうな顔をして、半裸体の恰好《かつこう》で、煙草をくわえている。登山家ではなくて、植物学をやっている一行らしかった。 「あなたたちは、いかなる目的を持っているか」  一人が訊いて来た。 「タンボチェの僧院で、十月の満月を見るためだ」  岩代が答えると、一人が大袈裟《おおげさ》な表情で驚いてみせて、 「月は大丈夫か」 「おそらく、今夜から月が出る」 「それはすばらしい。自分たちもそれをどんなに望んでいることか」  架山はそういう会話を聞いていて、いま自分たちはヒマラヤの山地にはいっているのだという思いを持った。白人たちは毎日雨に降られて、すっかり雨には閉口しているのだろう。  白人のパーティと別れたあと、道はまた急坂になり、そこを上りつめると、ふたたび尾根近いところを巻いて行く。ピンジョが、ふいに立ち停まった。 「ナムチェ」  その言葉で前方を見ると、向うの山の頂き近いところに、白い石でも置かれているように人家の散らばっているのが見えた。おそろしく高いところにある集落だなというのが、架山のナムチェバザールに対する最初の印象であった。  架山がピンジョと二人で歩いて行くと、ナムチェの集落は、次第にその全貌《ぜんぼう》を大きく現わして来た。こちらの山の尾根を巻いて行くに従って、こちらの山に続いたもう一つ向うの山の大斜面の頂き近いところに、三百戸ほどの人家が、今にもこぼれ落ちそうな危さでくっついているのが、眼にはいって来たというわけである。  村全体を見渡せる地点まで行くと、他の連中も、そこに休んでいた。路傍に巨大な岩石が、恰《あたか》もこの集落への入口の表示ででもあるかのように置かれてある。  この地点から見ると、あっと声をたてたいほど美しい、ふしぎな集落のたたずまいであった。架山たちが立っているところもボウテコシの大渓谷に沿った山の尾根近い高処であったが、ナムチェもまた同じボウテコシの渓谷に落ち込んでいる山の頂き近いところにある集落であった。  ナムチェの全集落を眼に収めるには、いま架山たちが立っているところが、一番いい地点であるに違いなかった。自然の恰好な展望台をなしてもおり、またその集落にはいって行くただ一本の道の、その村への入口といったところでもあった。道はそのままナムチェをすぐそこに見ながら、ナムチェの背後の山へと回って行っているのであるが、それとは別に、その近くからナムチェの集落へとはいって行く道が一本別れている。 「ねえ、たいへんなところに村があるものだね」  架山が言うと、 「僕は平地の村かと思っていた」  と、伊原も言った。伊原や上松にとっても、ナムチェは初めて見る集落だった。ナムチェを載せている大斜面は大きく抉《えぐ》られていて、その東斜面から南斜面にかけて集落が形成されている。斜面の下の方は急に地盤が断ち切られて、ボウテコシの渓谷に落ち込んでいるのであるが、おそらく誰もそこから渓谷を覗き込むことはできないであろうと思われた。いまは、そのへん一帯を霧が巻いている。  それにしても石の多い斜面である。斜面には夥《おびただ》しい数の大小の石が顔を出していて、その間に人家がばら撒《ま》かれている。大きい石も、小さい石もあるが、大きいのは家の二倍、三倍ぐらいの大きさを持っている。そして石と人家のある地帯を、紅葉した草と灌木《かんぼく》の絨毯《じゆうたん》が包んでいる。 「描きようがないな、この村は。——高さが出ない」  池野は言ったが、なるほどこの集落のある位置は絵でもカメラでも捉《とら》えられないだろうと思う。  架山はナムチェの集落を倦《あ》かず見下ろしていた。ヒマラヤの山地にはいって見る初めての集落らしい集落であった。 「何かの本に、三百戸、八百人とあったと記憶していますが、大体そのくらいの集落なんでしょうね」  岩代は言った。ちょっと見る限りでは三百戸あろうとは思われない。この付近の他の小さい集落でも合わせての上のことではないかと、架山は思った。 「高度は?」 「三四五〇メートル」  いつそんな高さのところまで来たのか。支流ボウテコシの木橋を渡ってから、ずっと急坂が続いたが、なるほど急坂が続いていた筈《はず》だと思う。  ナムチェを載せている斜面は、擂鉢《すりばち》を半分に縦に割ったような形をしていて、その上部に家はばら撒かれ、下部になるに従って、家は少くなり、擂鉢の底の部分には耕地と放牧地があるが、それもごく僅《わず》かで、あとはボウテコシの大渓谷に落ち込んでいる。その落ち込みの深さは誰にも判らない。おそらくナムチェの人たちも、自分の集落の外れの断崖《だんがい》を覗いた者はないであろうと思われる。いまその断崖から霧が湧いていると思っていたのに、次にそこに眼をやってみると、霧はそこから溢《あふ》れて、集落のある斜面を這《は》い上り始めている。霧の中から大きなチョルテンが頭を出している。  大斜面に散らばっている家は、ここから眺めている限りに於《おい》ては、白い煉瓦《れんが》でも並べたようにしか見えない。同じ長方形の煉瓦の一片一片が、いずれも擂鉢の底部を覗き込むように建っており、どの建物にも眼窩《がんか》のように二つか三つの窓が開《あ》いている。  三、四人のポーターが迎えに来た。この集落のどこかの家で、先着の連中が食事の用意をしているということであった。架山たちは、遅い昼食を摂《と》るために、その集落へと坂道を降りて行った。  部落へはいって行くと、極めて当然なことながら、道もあれば、路地もあった。斜面の集落のこと故、むやみに石段があった。家はいずれも石を積んで造られてあり、屋根には板が敷かれ、その上に小石が載せられている。今まで見てきたチベット人の家と同じ造りであるが、石積みの上を白い土で固めたのが多いので、遠くから見た時、家それぞれが白い煉瓦のひときれに見えたのである。家と家との間は低い石垣で境いがしてあり、家の横手の狭い畑なども石垣で囲まれている。急な斜面に階段状に造られた集落なので、家も、畑も、道も、何もかもが滑り落ちないように、石垣で支えがしてあるといった恰好である。 「あそこにあるのが僕の家です」  英語でピンジョは言った。全く同じような家なので、あそこと言われても、架山にはどれがピンジョの家か判らなかった。  路地にはいり、石段を上り、また石段を上る。そんなことをして導かれたのは、集落では高処に属する地帯の一軒の比較的大きな造りの家の前であった。三頭の馬が繋《つな》がれており、ポーターたちが家にはいったり出たりしている。  ヒマラヤ山地のどの家もそうであるように、階下は家畜小屋、二階が人間の住居になっている。ラマ教の経文を刷られた紙片が入口の木の扉にも、その周辺にもむやみに貼り付けられている。小石を積んで造られている家にしては、入口の扉だけはがっちりした木で造られて立派だが、これはどの家でも同じである。悪魔がはいり込まないように、念を入れて入口の扉を造ってあるのかも知れない。 「暗いですよ」  ピンジョの声をたよりに、手探りで二階への階段に辿《たど》り着く。二階はルクラではいった家と全く同じ造りだが、こちらの方が少し広い。竈《かまど》には火が燃え、この家の女たちが二、三人立ち働いている。  部屋はすぐ満員になった。道路に面した方に硝子《ガラス》を嵌《は》め込んだ窓が三つあるが、光線はそこからはいって来るだけなので、部屋の内部は薄暗い。窓と反対側は一面に棚になっていて、大きな銅《あかがね》の湯沸かし釜《がま》が十個ほど並べられてある。 「家の財産なんです。娘を嫁にやる時は、あの湯沸かし釜を一つずつ持たせてやります」  アンタルケが説明してくれた。 「どこで買ってくるの?」 「チベットからです。この村からチベットに道がついています」  すると、岩代が、 「昔からのチベットへの交易路があります。だから、チベットの物が、たくさんこの村にはいって来ています」 「山を越えて行くのはたいへんだろうね」 「職業がシェルパですから、何でもないんでしょう。郷里に帰るようなものですよ。同じチベットの種族ですから」  確かにその通りだと思う。カトマンズまで買いものに行くには片道半月かかる。それよりヒマラヤのどこかの尾根を越えて、チベットに行く方がずっと簡単であるに違いない。今は国籍は異っていても、もともと同じ系統の種族である。そもそもシェルパという名は、チベット族系の高地住民シェルパ族からきており、その大部分が現在ドウトコシ上流地域に住んでいるのである。そしてナムチェバザールがその中心集落というわけである。  めいめい勝手なところに陣どって、昼食を摂った。シェルパの少年たちは、ほかで弁当を食べるらしく、みなどこかへ引揚げて行った。サアダーのアンタルケの言うところによると、この家の娘が一人、この一行に加わって働いているということであったが、どの娘か架山には判らなかった。  ナムチェバザールを出発する時になって、また雨が降り出した。 「今夜はだめでも、あすは晴れます。あさっての夜は皎々《こうこう》たる満月をお目にかけますよ」  伊原は月に関しては、あくまで強気だった。架山は月見が目当てのこんどの旅ではあったが、ここまで来てみると、月が出ようと出まいと、たいしたことではないという気がする。それより今夜の宿営のことの方が気掛りだった。一晩中、テントに当る雨の音を聞きながら眠るのは有難くないと思う。靴ひとつ履くのも億劫《おつくう》になるし、濡《ぬ》れたものを乾かすのも容易ではない。 「晴れてくれよ、晴れて!」  思わず声に出して言うと、 「だめですな、これは。——雨期があけていないんだから仕方ありませんよ」  上松はすっかり諦《あきら》めている口調だった。  ナムチェから道は急な上りになる。その急坂を上りつめると、あとは山の斜面を巻いて行く。上りではあるが、ゆるやかな上りである。この頃になって、雨はあがった。 「晴れましたよ、晴れました。こいつぁ、すばらしい!」  少し先の方で、伊原の昂《たか》ぶった声が聞えている。なるほど、空の一方に青いところが見えている。ヒマラヤの山地にはいってから、初めて見る青空である。  みんな伊原の立っているところまで行って、そこで足を停めた。下はいつかまた姿を現わして来たドウトコシの大渓谷である。 「ルクラ方面が見えています」  シェルパの少年たちが教えてくれた。青空の見えているのは一部であるが、その方角にかけて、幾つかの山脈が重なっているのがはっきり見え、その山脈の向うに一枚の板のように原野が置かれているのを望むことができる。その平原のどこかに、架山たちが小型機で運ばれて来たルクラがあるのかも知れない。 「あんなところから歩いて来たのかな。それにしても、人間というものは、よく歩くものだね」  架山は感心して言った。到底自分が、いま見えているあの遠い平原の一劃《いつかく》から歩いて来たとは信じられなかった。また雨が降って来た。 「大丈夫、すぐやみますよ」  誰かが言ったが、架山は当てにならぬと思った。ルクラ地方が晴れているからと言って、こちらも晴れるとは決まっていないのである。  尾根を巻いて行くと、将来空港ができるという予定地があった。そこを過ぎる辺りから樹木は殆《ほとん》どなくなって、高原風の風景になってくる。足許《あしもと》の草はみな紅葉している。  アンタルケが引返して来て、 「この近くに建設中のホテルがあります。今夜はそこに泊ることにします。屋根だけはありますから、雨が降っても、きのうのようなことはありません」  と言った。架山はほっとした。屋根の下に眠れるというのは、何と有難いことであろうかと思った。 「屋根があるか、有難いね、それは」  池野も、また言った。  四辺は全く高原の風景である。草地を歩いていると、高山の尾根を巻いているような気はしない。地図で調べると、大体三八〇〇メートル地帯である。ナムチェバザールが三四五〇メートルであったから、あれから三五〇メートルも上ったのであろうか。雨はまたあがった。草地の一劃で小休止をとる。 「架山さんも、池野さんも、富士山にさえ登っていないのに達者なものですね。普通なら、この辺りまで来ると、頭痛を訴えるんですがね」  岩代が言うと、 「僕は少しやられている」  と、上松が言った。 「今朝からずっと頭痛がしている。前に富士山のてっぺんで頭痛がして困ったことがあるが、このへんはもっと高いからね。二、三日すれば癒《なお》るんだけど」 「登山家でもそんなことがあるの?」  架山が訊《き》くと、 「どんな登山家でも、高さに弱いのはいます」  すると、伊原が言った。 「僕も少しはやられている。十六、七日目に来るところへ二日目に来てしまったんですからね。邦ちゃんはどうだ」 「僕か、僕はいまのところ平気だ」  すると、 「頭が痛いと言えば、僕も後頭部が多少変なんだ。肩がこった時、よくこうしたことがある。高山病かな」  池野が言った。 「それ、明らかに高山病ですよ。そういうのを高山病と言うんです」  嬉《うれ》しそうな伊原の言い方だった。 「そうか、高山病か」  池野は両手を後頭部に持って行き、 「みんな、それぞれにやられているんだね。邦ちゃんと総裁だけか、鈍感なのは」 「僕は生れ付き、高さには平気なんです。この前も、とうとう僕ひとり何でもなかった。僕はともかくとして、架山さんは強いですね。何でもないんですか」 「何でもないね。頭痛なんて、これっぽっちもない。何とも言えず快適だ。むしろ眠くさえある」  架山は言った。 「眠い? 本当に眠いですか」  上松が眼を光らせた。 「眠いね。歩いていても眠いくらいだ」  架山は本当にさっきから睡気《ねむけ》に襲われていた。横になったら、すぐ眠ってしまいそうである。ナムチェを出た時からずっとそんな状態が続いている。慣れない山歩きの疲労と、ゆうべの寝不足のためだと、架山は思っていた。  伊原が、急ににやにやして、 「架山さん、それ高山病ですよ。頭痛がするか、でなかったら、眠くなるんです」  と言った。 「そうかな」 「そうですよ。——やっぱりねえ」  伊原は笑った。上松も、池野も、岩代も笑った。  先に歩いて行ったシェルパの少年たちの中の二人が引返して来て、すぐそこにホテルの工事場があることを伝えた。少年たちがから身になっているところを見ると、すでに今夜の宿泊地に行って、そこに荷物を置いて来たものと思われた。  高原風の草地を這《は》っていた道は、また渓谷に沿って、丘を巻き出した。渓谷を挟んで向うには大きな山が迫っているが、上の方は霧が包んでいて、いかなる山か判らない。  道が再びその渓谷から離れて、丘の尾根へと伸び始めた時、架山は行手の低地に工事場らしい小屋掛けが二つ造られているのを見た。少し離れてテントも一つ張ってある。そしてその低地の向うは小高くなっていて、そこに背の低い長方形の建物が建っているのを見た。ホテルというのが、それであろうと思った。  宿泊地に着いたことで、架山はほっとした。いったん低地に降り、小屋掛けの前を通って、半造りの建物へと、急な坂を上って行く。最後の上りだと思うと、ふいに足が重くなるからふしぎである。二回休んで、半造りの建物の中にはいって行く。  アンタルケと工事関係の人らしい日本人が、一同をそれぞれの部屋に案内してくれる。長い廊下に沿って同じ大きさの部屋が幾つか並んでいる。部屋にはまだ扉も付いていないし、トイレットもできていないが、寝台だけは備え付けられてある。 「天国だね」  架山は言った。本当に天国だと思った。雨は何回目かにまた降り出している。雨の中にテントを張って眠ることを思うと、殆ど信じられぬほどの贅沢《ぜいたく》さである。  工事場のところまで降りて行くと、水があるということだったが、洗顔は諦《あきら》めて、架山は寝台の上に仰向《あおむ》けに倒れた。歩いている時は眠かったが、いまは眠くはなかった。ただ仰向けに倒れていたいのである。  ピンジョがやって来て、架山の足から靴を取りあげて行った。どこかへ持って行って乾かしてくれるのであろう。  暫《しばら》くすると、忠僕ピンジョはまたやって来て、寝台の上に寝袋を拡げてくれたり、枕許に板切れの蝋燭《ろうそく》台を備えてくれたりした。 「エベレスト、タボツェ、クンビーラ」  しきりに山の名を口から出しては、外へ出て見るように勧めてくれる。架山は寒くもあり、疲れてもいたので、そこにいかなる山があろうと、いまはたいして見たくはなかった。あとで見ればいい、山は逃げはしないと思った。  しかし、山は逃げたのであった。岩代がやって来て、 「いま、ほんのちょっとの間、エベレストが頭を出しましたが、すぐまた匿《かく》れてしまいました。タボツェも出ていましたが、もう見えません」  と言った。  岩代の部屋で夕食を摂《と》った。卓の上に蝋燭を三本立て、その光でフォークとナイフを動かした。戸外は真暗で、部屋の前の露台を雨が叩《たた》いている。 「豪華ですな、今夜の晩餐《ばんさん》は」  上松が言うと、岩代も、伊原も、中学生の頃から山に登っているが、このような豪華な夕食を摂ったことはないと言う。 「クリスマスみたいだ」  蝋燭の光にさえ、伊原は満足していた。そうしたみなのはしゃぎ方に、初めは架山は同調できなかった。顔も洗わず、手も洗わないで食卓に向かっている。なるほどフォークとナイフを動かして、シェルパの少年たちが運んで来てくれる料理を食べてはいるが、架山の場合は、食欲がなかった。風呂《ふろ》にでもはいっていれば、気持もさっぱりするだろうが、昼間と違うところは靴がスリッパになり、アノラックがセーターになっているだけの話である。  時々、岩代たちは交替に席を立っては、外を覗《のぞ》いている。何回目かに、 「しめ、しめ、雨がやんで来た」  伊原が帰って来て言うと、 「本当か」  と、上松が立って行った。 「完全にはやんでいないが、小降りになっている。タボツェの辺が明るくなっている。月が出るかも知れない」  そんな声が聞えると、 「どれ」  と池野も、席を立って行った。食卓はいっこうに落着かなかった。立ったり坐《すわ》ったりしている。 「ここは何というところ?」 「シャンボチェという丘です。三八〇〇です」  岩代は言って、 「いよいよ、あすは目的の僧院のある台地を踏めます。途中にクムジュンという、やはりシェルパの出る部落があります。ナムチェより高いところにある村で、クムジュン出のシェルパの方が、ナムチェ出のシェルパより強いと言われています」 「高いところで育っているから?」 「やはり、そういうことだと思います」  それから、 「それはそうと、睡気の方はどうです?」 「そうだね」  架山は自分を振り返ってみて、また幾らか眠くなっていることに気付いた。 「幾らか眠いようだが、いまの睡気は高山病の睡気ではなくて、本当に眠いのかも知れない」 「まあ、今夜はぐっすり眠って下さい。月が出たら起してあげます」  こんな会話を交しているうちに、架山はなるほど、これは豪華な晩餐かも知れないと思った。三八〇〇メートルの高処で、蝋燭の光で食事をし、エベレストが月光の中に浮かび上がるのを待っている。到底月が出ようとは思われぬが、それをあくまで期待している。架山はシャンボチェの丘の上に立ち籠《こ》めている闇に眼を当てながら、今夜はこの闇に包まれて死んだように眠るだろうと思った。  夕食をすませると、架山はすぐ自分の部屋に引揚げて、寝台の上の寝袋の中にもぐり込んだ。枕|許《もと》の蝋燭の光で煙草を喫《の》んでいると、上松が気持が悪かったら、酸素ボンベを運んで来るが、どうするかと訊《き》きに来た。酸素を吸った方が疲れが癒《いえ》るということであったが、それより眠らせて貰《もら》う方が有難いと、架山は思った。 「あした吸わせて貰いますよ。今夜はまだ大丈夫」  架山は言った。上松が去って行くと、すぐ蝋燭の火を吹き消した。真暗になると、雨の音が高く聞えて来た。残念だが、月見は諦めなければなるまいと思った。工事場の人の話では、この台地を取り巻いているエベレスト、タボツェ、クンビーラ、タムセルクの山々が全部見えたのは八か月前のことで、それ以来一度もそんなことはないと言う。例年なら半月ほど前から全部の山が見え出すのであるが、今年はどういうものか、今もって雨期があけないということであった。  架山は眠った。夜半に一度眼を覚ました。部屋の外の露台で岩代たちの声が聞えていた。 「これだけ明るいんだから、ちょっと雲が動けば、すぐ月が出ると思うんだがね」  岩代の声である。 「出るとすれば、タムセルクの肩だが、肝心のタムセルクが雲の中では見当がつかん」  これは上松の声である。 「今夜は、お月さまもお休みか。あすに備えて、お休みというところだ」  それから大きな嚔《くさめ》、これは伊原のようである。 「風邪をひくぞ、寝よう、寝よう」  誰かの声で、みんな引揚げて行く。そんな戸外の会話を夢うつつで聞いて、架山はまた眠った。  翌朝は早く眼覚めた。疲労はすっかりなくなっている。架山はセーターの上にマフラーを巻き付けて、ここへ来て初めて、部屋から露台に出た。凍りつくようなひどい寒さである。雨はあがっている。  架山はホテルを載せている台地が大きい渓谷に臨んでいるのを、この時知った。このようなところで、自分は眠ったのかと思った。  岩代が二つ三つ向うの部屋から姿を現わした。 「やあ、晴れましたね。エベレストがきれいに見えています」 「どれ?」 「正面の山です。きれいだな。凄《すご》いですね」  それから岩代は、 「社長、晴れました。見えてますよ」  大声で呶鳴《どな》った。すると、架山の隣の部屋から伊原が姿を現わして、 「うえっ、凄《すげ》えなあ。画伯とニューギニアを起してやろう」  そんなことを言って、また顔を引込めた。  ホテルのある台地は大渓谷に臨んでおり、その渓谷を抱くように正面にエベレスト連峰が、その手前の左寄りにタボツェが、更にその手前にクンビーラが、それぞれくっきりと白い稜線《りようせん》を見せている。エベレストの右手にアマダブラムが、更に少し離れてタムセルクがまっ白い姿を天に衝《つ》き上げている。陽は出ていないが、薄|藍色《あいいろ》の空が拡がり、白い真綿のような雲が点々と置かれ、その下に重なり合った雪山が白く輝いている。  岩代たちは、申し合わせたように�凄えなあ�という感嘆の叫びを口から出したが、確かに凄いと言うほかはなかった。  伊原と池野は着ぶくれて、上松は寒そうな恰好《かつこう》で、それぞれ露台に飛び出して来た。 「これで雨期はあけました。今日初めてあけました」  伊原は力をこめた口調で言った。確かに雨期があけたとするなら、それは今日であろうと思われた。空のどこを仰いでも、快晴と言うほかはなかった。  いつかサアダーのアンタルケも姿を見せていた。アンタルケと話していた岩代が、 「あそこに僧院が見えています。今日僕たちが行くタンボチェの僧院です」  みな岩代が指し示す方を見た。渓谷を挟んでタボツェと向かい合う位置に雪のない山があり、その頂き近いところに、小さく建物らしいものが置かれている。僧院と言われれば、なるほど僧院かと思う。 「タボツェの中腹に部落が見えるでしょう。ホルシェという部落で、やはり強いシェルパの出る村です」  そのホルシェという部落は、渓谷を挟んで、僧院とほぼ同じぐらいの高さに位置していた。全くのタボツェの中腹で、そこだけがやや平らにならされた斜面になっていて、そこに数十戸の家がばら撒《ま》かれている。肉眼では見落してしまいそうであるが、上松が持って来てくれた双眼鏡で覗《のぞ》くと、はっきりと部落であることが判る。集落の周辺に、形ばかりの小さい耕地が置かれている。  岩代も、上松も、伊原も、それぞれカメラを持ち出して来て、カメラマンとしての活躍に忙しくなった。 「ホルシェの部落に水煙りがあがっています」  岩代が、カメラを覗きながら叫んでいる。なるほど水煙りがあがっている。水蒸気が山腹の集落を包んでいるのであろうか。  そうしているうちに陽が当り出して、暖くなった。丁度降雪の翌日の陽光の暖さに似ている。タンボチェの僧院にも陽が当り、ホルシェの集落にも陽が当った。正面のエベレストの幾つかの峰は、それぞれ白銀色に輝いている。周囲の山が一つ残らず見えるのは四月以来のことだと言う。  池野は白い毛糸の出目帽《でめぼう》をかむって、一人だけ少し離れたところに立って、スケッチ・ブックを拡げていた。表情が真剣である。  八時、出発。ホテルの丘を降りて、ホテルの露台から見えていたタンボチェの僧院に向かう。  丘を降りると、道の両側はすぐ岩山になる。落石が多い地帯なのか、道と言わず、道に沿っている谷川と言わず、辺り一面に石がごろごろしている。大きな石もあれば、小さい石もある。その石の磧《かわら》を一歩一歩拾って行く。  ルクラを出発して三日目のこの日は、シェルパも、ポーターも、炊事係の老人や女たちも、みんないっしょになり、後になったり、先になったりして歩いて行く。娘たちは何がはいっているのか、それぞれ大きな荷物を背負っている。大きな酸素ボンベを背負わされた馬が動かないで、少年たちは手をやいている。 「どの馬も酸素ボンベは嫌がるようです。重いのか、運びにくいのか、とにかくふしぎに嫌がりますね」  上松は言った。  途中、小川の畔《ほと》りで休憩して、みんな洗顔したり、剃刀《かみそり》を頬に当てたりした。架山は大きな石の上に上って、そこに腰を降ろしていたが、その石にラマ教の経文らしいものが刻まれていることを発見して、その石から降りた。誰が刻んだのか知らないが、彫りは深く、鋭く、いかにも一画一画心を籠《こ》めて正確に彫ったといった文字が何十も並んでいた。架山はきのうも、一昨日も、ドウトコシの河畔で、同じような石を見ていた。路傍の大きな石の面が、ぎっしり経文の文字で埋められているのを見たこともあった。いずれも行路の難渋を避けるための、祈りの心を表現したものであろうが、ヒマラヤ山地に住む人たちは、こうしなければ生きて行かれないであろうと思う。自分一人のために祈っているのではない。自分と同じ立場にある多勢の人たちのために祈っているのである。  架山はこの石に文字を刻んだ人のことを考えた。いつ刻んだのか、いかなる人が刻んだのか知らないが、判っていることは、これが自分一人のための祈りではないということである。この落石が多い岩石地帯を往来する自分たちの仲間全部のために、彼はここを往来する度に一字一字刻んで行ったのかも知れない。あるいは、ここで肉親の者が難を受け、その供養のために、そしてまた再びそうしたことが他の者の身の上に起らないように、何日もここに通って、このたくさんの文字を刻んだのかも知れない。  確かに、こうしたところに生きて行く人たちには、自分一人の幸福ということは考えられないだろう。洪水も、雪崩も、饑饉《ききん》も、みな共同の運命なのである。みなが幸福にならなければ、自分も幸福にはならない。自分の難渋は他人の難渋であり、他人の難渋はまたそのまま自分の難渋なのである。  依然として両側を岩山に挟まれた道が続いていたが、それがかなり急な下りになった時、架山は行手に集落のあるのを見た。長い間、岩石地帯を突切って来た道は漸《ようや》くにして、そこを脱《ぬ》けて、今や周囲を岩山に囲まれた小盆地へ出ようとしていた。  まず大きな山が眼にはいってきた。クンビーラであった。山の上半分は霧に包まれているが、その裾《すそ》に人家がばら撒かれている。クムジュンの集落である。ナムチェの集落は山の頂き近いところに営まれていたが、クムジュンはシェルパたちが崇《あが》めている神の名をそのままその名としている山の裾に造られてあった。文字通り背にクンビーラを背負い、その山裾の斜面に造られている集落であった。ナムチェは三四五〇メートルであるが、クムジュンの方は三七六〇メートルで、ナムチェより大分高くなっている。  部落の入口には石を積んで造った四角な石の門があった。周囲を石で囲まれた真四角な部屋の一方に入口があり、一方に出口があるようなものである。遠くから見ると、普通の門に見えるが、そこをくぐろうとして初めて、内部が四角な部屋になっているのに気付く。  その門をくぐると、道は両側を低い石垣で縁どられて、まっすぐに盆地へと伸びているが、道の右手は大きな広場になっている。その道を歩いて行くと、巨大なチョルテンがあった。それに続いて壁チョルテンがかなりの距離造られてあり、それが切れるところにまた大きなチョルテンがあった。二つのチョルテンは全く異った形をしている。このチョルテン区域で、悪魔はすっかり取り除かれてしまい、人々は初めて集落の中にはいることを許されるといった恰好《かつこう》である。道もそこで、道としての形を失い、あとは盆地が拡がっているだけである。低地は耕地になっており、ゆるい斜面には人家がばら撒かれている。  その小さい盆地の一劃《いつかく》に立った時、架山はまず盆地を取り巻いている周囲の山々を仰いだ。山の上半分を霧に包まれているクンビーラは、いかなる山容をなしているか判らないが、集落に向かって右手にはタムセルクとアマダブラムの白い峰が鋭い感じで聳《そび》え立っている。そしてそれ以外は全部岩山で、それが盆地をぐるりと屏風《びようぶ》のように取り囲んでいるのである。 「凄《すげ》えなあ」  伊原は言った。凄《すご》いというほかはなかった。気の遠くなるような美しい盆地であり、美しい集落であった。しかし、同時にまた、自然の条件一つでは、いつでもきびしい盆地になり、きびしい集落になるであろうと思われる。もし吹雪がこの盆地を取り巻いたら、——架山はクンビーラの怒号と、岩山の叫び声と、アマダブラム、タムセルクの咆哮《ほうこう》がふいに自分を包んで来るのを感じた。  クムジュンの集落のある盆地にはいってから、誰も余り喋《しやべ》らなかった。みんなばらばらになって、思い思いの方角にカメラを向けていた。  集落の中にはいってみた。ナムチェと同じ石積みの家である。ここも石積みの上に白い土を塗っているので、遠くから見ると白い家に見え、白い家の集落に見える。どの家の屋敷も低い石垣で囲まれている。畑も、路地も、みな低い石垣で縁どられているところは、ナムチェと同じである。ただ一つ異っているところは、どの家の板|葺《ぶ》きの屋根にも、ラマ教の祈りの文字を捺《お》した布片《ぬのきれ》を結び付けた棒切れが立っていることである。布片は紅《あか》、白、黄、黒、色とりどりである。シェルパの少年たちに訊《き》くと、口々に�タルチョ�と言う。ラマ教の祈りの旗である。村は巨大な二つのチョルテンで護《まも》られ、家々は更にタルチョによって護られているのである。  部落の中の路地を歩く。到るところに|※[#「釐」の「里」に替えて「牛」、unicode729b]牛《ヤク》がうろついている。海抜四〇〇〇以上のところにしか住まないと聞いていたが、なるほど、このへんは※[#「釐」の「里」に替えて「牛」、unicode729b]牛地帯なのだと思った。この黒色の、見るからに重そうな鈍重な生きものにとっては、クムジュンは住みよい場所なのであろう。  低い石垣で囲まれた畑では、老人や女たちが働いている。平和な眺めである。  アンタルケの案内で、ヒラリーが寄付したという小学校を見に行く。小学校は村の入口の石の門に近いところにあるので、もう一度盆地を突切って行かなければならなかったが、架山はそれがいっこうに苦にはならなかった。  小学校は小さい校舎、と言うより、小さい教室が二棟になって建てられてあった。アンタルケが一つの教室の扉を開けてくれたので、架山は内部を覗《のぞ》いた。すると、それまで授業を受けていた十歳前後の子供たち二十人ほどが、いっせいに立ちあがって、架山の方に手を合わせ、そしてまた坐《すわ》った。胸の前で手を合わせることが挨拶《あいさつ》であることは、架山もシェルパの少年たちによって知っていたが、しかし、突然のことだったので、架山は驚いた。たくさんの小さい手の合掌もさることながら、問題はその小さい眼の黒さであった。  架山のあとから、岩代がはいって来ると、子供たちはまた同じことをした。参観人があったら、いつでもそうするように命じられているに違いなかったが、しかし、その小さいたくさんの眼の持っているものは、そうしたこととは無関係であった。純真と言っても当らないし、清純と言っても当らなかった。クンビーラの山麓《さんろく》で生れ、育った子供たちだけが持っているものであった。電話も、電燈も、自動車も、列車も、レストランも、玩具屋《おもちやや》も、米も、ジュースも知らない子供たちだけの持っているものであった。  架山は涙ぐましい思いで、その小さい教室を出た。子供たちは英語を教わっていた。男の子はシェルパになるために、女の子供たちはシェルパの内儀《かみ》さんになるために、異国の言葉を覚えようとしていたのである。  クムジュンの集落を出発。村外れに雪男の頭蓋《ずがい》なるものを収めているというラマ寺があるが、そこには寄らないで、その前を通って行く。 「なるほど、このへんなら雪男も出そうだね」  池野は言う。 「出ても、ふしぎはないね」  と、架山も言う。雪男がいかなるものか知らないが、何ものが出ようとさしてふしぎはないと思う。  渓谷へ降りて行く。周辺の草と灌木《かんぼく》はみな紅葉している。大きい岩山の中腹にテシナという小さな集落があり、その下を通って行く。下から見ると、テシナは大岩石の山を背負っていて、いつも落石の危険にさらされている感じである。こういう集落での毎夜の眠りはどのようなものであろうかと、架山は思う。  道はまた山の中腹を巻き始めている。片側は大渓谷で、底の方に小さく針金の切れ端でも置いたように流れが見えている。ナムチェ以来|暫《しばら》く眼にしなかったドウトコシの奔湍《ほんたん》がまた現われて来たのである。やがて道はいっきにその渓谷に向かって下り始める。急降下である。三十分ほどで川の岸に出る。ピンジョが、 「魚が居ない」  と教えてくれる。ドウトコシもここまで溯《さかのぼ》ると、魚も住めない冷たさになっているのであろう。しかし、流れは烈しい。奔騰する流れの上に掛けられている木橋を渡って左岸に出る。そこからまた急の上りになると言うので大休止をとって、磧《かわら》で弁当を使う。 「おや、この子供はどこから来たんだ」  伊原の声で振り向くと、磧の石の上に七、八歳の子供が一人坐っている。アンタルケの話では、近くのフンジ・サンゴというところに人家が三軒ほどあるので、そこの子供ではないだろうかと言う。子供は自分が話題になったと思ったのか、少し離れたところの石に移動して行って、そこで石を積んだり、壊したりしている。 「くるまの心配はないが、川が危いな」  上松はそんなことを言いながら、子供をカメラに収めている。  その子供を一人残して、出発。そこから急坂を上って行く。シェルパもポーターも入り混じって、いっせいに上って行く。架山は自分の前を、大きな荷物を背負って行く老人に、その年齢を訊いてみた。七十歳近いと思っていたが、四十九歳ということだった。歯は全部脱けてしまって、前歯が一本だけである。  急坂をじぐざぐに上って、そこを上りつめると、あとは山の中腹を巻いて行く。 「タンボチェ、タンボチェ」  ピンジョは時々、タンボチェが近いことを告げに来てくれる。しかし、なかなかタンボチェには着かなかった。架山は重い足を引きずって、眼のさめるように美しく紅葉した草地を歩いて行く。多少夢心地だった。高処の紅葉のためか、黄も、赤も、褐色も、濡《ぬ》れたように艶《つや》を帯びて光っている。岩代がやって来て、 「さあ、僧院に着きました。門が見えています。三時四十分です」  と言った。  長い間、山の斜面を巻いて来た道は尾根にとりつこうとしており、その上りつめたところに石の門が見えている。 「最後の上りだな」  架山は急に重くなった脚を引きずって、短い坂を登った。クムジュンの集落の入口にあった門と同じ石積みの四角な門で、石の面は苔《こけ》むしている。  その古く小さい門をくぐると、思いがけず、そこには広い台地が拡がっており、その一劃に僧院の建物が置かれてあった。広場を隔てて、僧院と向かい合う位置に、大きなチョルテンが二つ立っている。 「さあ、着きましたよ」  岩代は言って、カメラの三脚を立てる作業に取り掛っている。架山はいま自分がいかなる場所に立っているか、それを見定めようとした。どこへ眼をやっても、ふしぎな眺めであった。  僧院の建物はどこが入口か判らなかった。たくさんの独立した建物が牡蠣殻《かきがら》のように小さい丘の斜面にくっついている。一番高処に見えているのがおそらく廟《びよう》で、その他はそれに付属した僧房の建物であろうと思われた。ただそれがみんなくっついていて、一か所を持ちあげたら、一群の建物全部が持ちあがって来そうに思われる。  その僧院の背後には雪の峰が迫っている。 「きれいですね、カングテが」  岩代の言葉で、架山はそれがカングテであることを知った。架山は僧院とそのカングテを背景にして、岩代のカメラの中にはいっているのである。  カメラを構えている岩代の背には、それぞれ形の異った大きなチョルテンが立っているが、そのチョルテンもまた雪の山を背負っている。 「チョルテンのうしろの山は?」  架山が訊くと、 「タムセルクとカンテガです」  岩代は答え、 「カンテガは鞍《くら》の峰という意味です。馬の鞍に見えるでしょう」  馬の鞍にしたら、大きな馬の鞍である。架山にはただ白い大きな団塊がのしかかっているとしか見えない。  ピンジョが迎えに来た。台地のあちこちでカメラを構えている伊原や上松の姿が見えている。 「とにかく、ひと休みしましょう。仕事はそれからです」  岩代は言った。広場の突き当りに小さい建物が立っている。今夜の宿泊所のゲスト・ハウスだということであった。その小さい建物の背景もまた雪の山である。 「アマダブラム、ローツェ、エベレスト」  ピンジョが言った。 「あれがエベレストか」 「今朝、ホテルの丘から見えたでしょう」  そう言われても、見る場所によって形が変るので、架山には簡単には憶《おぼ》えられない。要するにここはエベレスト連峰の白い屏風《びようぶ》にぐるりと囲まれた台地なのである。  一同はゲスト・ハウスにはいり、床の上にくるま座になって、シェルパの少年たちが運んで来てくれたお茶を飲んだ。とにかく目的の僧院のある台地に着いたということで、誰の顔にもほっとしたものがあった。 「総裁も、画伯も、とうとう落伍《らくご》しないで来ましたね」  伊原が感深そうな言い方をした。 「来ることは来たがね」  池野は、冴《さ》えない顔をしている。後頭部が痛いと言う。 「酸素を吸ったら癒《なお》りますよ。僕たちも頭痛がしています」  しかし、架山は別段、頭痛は感じていなかった。頭痛のかわりに、またさっきから睡気《ねむけ》に襲われている。うしろにひっくり返ったら、そのまま眠ってしまいそうである。 「月は出るかね」 「大丈夫でしょう。いつも夕方から霧が出るそうですが、今日は大丈夫じゃないですか。今のところはまだ霧は出ていません」  上松が言った。 「十四日の月だね」 「そうです。あすが満月です。あすでも、今夜でも、どちらでもいいですよ、月さえ出てくれれば」  月のことは、架山はあまり当てにしていなかった。月を見るためにはるばるやって来たのであるが、ここまで来てみると、月を見られるか、見られないかということは、全くの運次第であった。このところ毎晩のように霧が出るというのであれば、今夜もまた霧が出るだろうと思う。雪を戴《いただ》いたエベレスト連山をまのあたりに見たのであるから、それで満足すべきだという気持である。 「まあ、月の方はどうでもいいさ。ここまで来られたのだから」  架山が言うと、 「気が弱いことを言っては困ります。月を見に来たんですから、月を見ないと帰れませんよ。月が出るまで、何日でもここで頑張りましょう」  伊原が言うと、 「冗談じゃないよ」  と、池野が真顔で言った。確かに何日も頑張れるところではなかった。ゲスト・ハウスと言っても、石積みの山小屋であるに過ぎず、内部が三つか四つに仕切られてはいるが、別段扉があるわけでもない。窓|硝子《ガラス》も何枚か飛んでいる。テントの布片《ぬのきれ》かレインコートなどで補修しない限りは眠れないだろう。  アンタルケがやって来て、火にあたりたかったら、戸外の炊事場に来るように言った。窓から覗《のぞ》いてみると、ゲスト・ハウスの裏手には幾つかのテントが張られ、その一劃《いつかく》に設けられてある石の竈《かまど》に、シェルパやポーターたちはたかっていた。戸外の冷たい空気の中で火に手をかざしている方がいいか、火の気はなくても家の中に居る方がいいか、誰にもちょっと判断はつかなかった。  ひと休みすると、みんなカメラを持って、戸外に飛び出して行った。夕食までの時間を有効に使おうという算段であった。雪の山も、撮り得る時に撮っておかないと、いつまた撮れなくなるか判らなかった。あすという日は全く当てにならなかった。  架山は着ぶくれた恰好《かつこう》で、僧院のある台地を歩いた。カンテガ支稜《しりよう》とタボツェ支稜、クンビーラに、それぞれ大渓谷を隔てて囲まれた小さい台地であった。これほどいいエベレストの展望台はないに違いなかった。  台地は平板ではなく、総体に軽い傾斜を見せていて、あるところは抉《えぐ》られたように大きく落ち込んだりしている。こうした不整形の台地の端の丘に僧院は建てられている。  一番高いところに礼拝堂のある建物があり、それに密着して、寺院の付属建造物が七つか八つ、三段から四段に丘の斜面に沿って建てられている。その多くは僧房であろうと思われた。ヒマラヤ山地の民家のすべてがそうであるように、この寺院の建物のどれもが石を積んで造られてあり、石積みの露出してある部分もあれば、その上に白壁を置いた部分もある。屋根は板|葺《ぶ》きで、その上に小石が並べられ、建物に長方形の窓が幾つか眼のように開いているところも、架山がこれまで見て来た家と少しも変らない。ただ一つ異っているところは、それぞれが単独の建物で、石垣の仕切りまであるのに、それが一個の石にくっついた牡蠣殻のように、ひと固まりになって見えていることである。  この僧院のある丘と対角線をなしているカンテガ側の地点に、もう一つ丘があるが、この方は樹木で覆われている。この二つの丘を除いて、台地の他の部分は全部草地になっている。  架山はその草地の部分を、ぐるりとひと周りした。クンビーラ側の台地の端にも立ってみた。下はドウトコシの渓谷になっているが、もちろん流れを眼に入れることはできなかった。ただその流れの音は殷々《いんいん》と、下から立ち上って聞えていた。宛《さなが》ら例の陣太鼓でも打ち出すような盛んな轟《とどろ》き方であった。  架山はまたゲスト・ハウスの裏手に回ってみた。シェルパや炊事係たちが立ち働いている一劃をぬけると、すぐ台地の端に出た。ここもまた断崖《だんがい》をなしていて、下は覗けないが、周囲を山で囲まれた台地に於《おい》て、この方面だけがやや開けた感じで、ドウトコシの渓谷が、正面のエベレストに向かって伸びており、その細い流れがくっきりと一本置かれてあるのが見られた。ドウトコシの最上流の姿である。そしてその行き着く果てに、ローツェとエベレストのきびしい姿がくっきりと白い稜線を見せている。  架山が台地を歩き回っている間に、どこからともなく霧が流れ始めてきた。あっという間に霧に包まれて身動きできなくなるが、そのまま立ち停まっていると、また霧は流れ去って行き、遠くでカメラの三脚を立てている岩代や伊原の姿が見える。霧は次々にやって来た。いつも夕方になると霧が来るということであったが、その霧が来たのである。ひどく正確な感じであった。  架山は霧の中を僧院の前まで行き、寒くなったのでゲスト・ハウスへ引返そうとした時、僧房の一つから四人の若い白人が出て来るのにぶつかった。みんなカメラを持っていた。アメリカの地質学者の小さいパーティであった。いま到着したばかりだが、霧が流れ出したので、あわててカメラを持って飛び出したという恰好だった。カトマンズを出て十五日目であるということだった。 「何日で歩いて来たのか」  一人が訊《き》いて来た。自分たちが十五日目にここに到着したことが自慢らしかった。普通ルクラまで十五日かかると言われているので、それから推して考えると、健脚揃いの若い学者たちであるに違いなかった。 「飛行機を使ったので、自分たちは、三日目の今日、ここにはいった」  架山が答えると、白人の一人は処置なしといった風に、両手を拡げてみせた。  忽《たちま》ちにして、また一同を霧が包んだ。架山はその霧の中を、何回も立ち停まった果てに宿所に引揚げた。岩代たちも次々に引揚げて来た。  月のことは、誰も口に出さなかった。伊原だけが時々窓を覗いては、霧が薄くなったとか、流れが早くなったとか、そんなことを言った。彼だけが諦《あきら》めていなかった。  やがて夜が来た。時計を見ると、五時になったばかりであったが、宿所はすっかり夕闇と霧にふかぶかと包まれてしまった。  くるま座になり、三本の蝋燭《ろうそく》を真中にして、夕食を摂《と》った。ひどく寒かった。架山はありったけの衣類で体を包んだ。  丁度食事を終った時、アンタルケが飛び込んで来た。 「月が出た!」  と言った。その言葉でまっさきに伊原が立ちあがり、続いて岩代が立ちあがった。 「月が出る筈《はず》はないが」  上松はそんなことを言いながらも、カメラを手にして出て行った。 「霧の中の月か」  池野と架山はもういっぱい紅茶を飲んでいた。すると、 「月が出ますよ。早くいらっしゃい」  岩代が報《しら》せて来た。  戸外へ出てみると、カンテガの支稜の肩から、今まさに月は出ようとしていた。カンテガの支稜は雪がないので、真黒に見えているが、その肩の部分が際立って明るくなっている。やがて月が顔を出し始めた。 「五時五十五分」  岩代が言った。月が完全にあがってしまうには何程もかからなかった。 「五時五十七分」  二分で月はそのまるい姿全部を現わしたのであった。と同時に、右手のアマダブラムが霧の中から白い姿を現わし始めた。ほかの山は全く霧に包まれている。  岩代も、伊原も、上松も、池野も、みんな黙って月を仰いでいた。申し合わせたようにズボンのポケットに両手を突込み、背をまるくして、月を仰いでいる。ヒマラヤの月を見るためにはるばるやって来、その月がいまあがり、それを仰いでいるのであるが、誰もひとことも口から出さなかった。暫《しばら》くしてから、伊原が、 「とうとう出たな」  と言った。それだけが、確かにその場に居る全部の者の正直な感懐であった。とうとう月は出たのである。 「何十日めかの月だそうですよ」  アンタルケと並んで月を仰いでいた岩代が、アンタルケが口から出したと思われる言葉をみなに披露した。 「えらいものだね、やっぱり出たね。月もわれわれの来るのを待っていたんだな。——ああ、やっと着いた。よし、それでは顔を見せてやろう、そういうことで、お月さまはカンテガの肩の上にお出ましになった」  伊原が言うと、 「社長の一念ですよ。ひとりで息まいていたが、とうとう月を引張り出しちゃった」  上松が言った。  アマダブラムとカンテガの二つの雪の山が銀色に輝いている。月は二つの雪山だけに照明を当てている感じで、この台地を囲んでいる他の山はどれも霧の中である。神々しいとも、美しいとも言えぬ異様な月の出であった。 「さあ、凍り付かないうちに小屋にはいろう」  岩代の言葉でみな引揚げることにした。凍り付きかねなかった。上松がゲスト・ハウスの方へ走り出すと、ほかの者も小走りに駆けた。  架山は、その夜、寝袋の中に横たわったままで、池野の方から回ってきた酸素ボンベのマスクを口に当てた。寒さは烈しかったが、酸素マスクを口に当てていると、何とも言えず安穏な思いであった。実際に呼吸もらくになり、疲労も引いて行くに違いなかったが、それとは別に一種独特の安穏な思いがあった。酒を飲んでいるのでも、煙草を喫《の》んでいるのでもなかった。酸素を吸っているのである。  ゲスト・ハウスの裏手で、少年たちは火を焚《た》いて、それを囲んでいるらしく、時々合唱の歌声が聞えて来た。耳を澄ませて聞いていると、しあわせなら何とかという日本の歌である。登山家たちから教わった異国の歌を、このヒマラヤ山地で生い育った少年たちは、いま歌っているのである。�しあわせ�という言葉が、何回も何回も聞えている。一体、しあわせとは、人間の幸福とは何であろう。架山はヒマラヤ山地に踏み入ってから初めてこの時、人間の問題に思いを馳《は》せるゆとりを持った。歩くのが精いっぱいで、何一つ考えないで、ここまでやって来たが、酸素のおかげで、架山はひとなみの人間に立ち返った恰好《かつこう》であった。  架山はいったん眠ったが、すぐまた眼を覚ました。時計を見ると十時である。部屋には幾つかの寝息が重なって聞えている。みんな正体なく眠り込んでいるのである。架山は小用を足すために、懐中電燈の光をたよりに、小屋を出た。凍り付くような冷たい空気の中に、月光が散っている。  月はさっき見た時よりずっと高いところにあるが、台地を囲んでいる山々はみな暗い。さっき白銀色に光っていたアマダブラムも、カンテガも、みな黒々とした姿に変っている。  そうした中で、僧院の建物だけが月光に白く浮き出している。壁は真白で、窓だけ暗い。身を寄せ合った一群の建物の輪廓《りんかく》もくっきりと見え、月はいかにも僧院の建物だけに照明を当てている感じである。カングテも、クンビーラも、エベレストも、ローツェも、アマダブラムも、カンテガも、みな黒々と不機嫌に台地を押し包み、台地の上の僧院だけがひとり月光を独占している。二つのチョルテンもまた白く輝いている。  永劫《えいごう》、——そんな思いが、ふいに架山を捉《とら》えた。ほかにいかなる感懐も起らなかった。地球の一劃《いつかく》には、永劫に変らないものがあるといった思いであった。何千年も、何万年も昔から、少しも変らず、月はこのようにこの台地を照して来たのである。その台地では草も眠り、木も眠り、生きとし生けるものはみな眠っている。さっき�しあわせ�の歌を、異国の言葉で歌っていた少年たちも、娘も、老人も、みな眠っている。  架山は小屋に戻ると、また寝袋の中にもぐり込み、すべてのものが眠っているように自分も眠ろうと思った。何か考えなければならぬことがあるように思ったが、その思いを向うに押しやった。月がただ一つ照明を当てているその台地の上で、自分もまた眠らなければならぬ。架山は足を縮め、両手で胸を抱くようにして、できるだけ身を小さくして眼を瞑《つむ》った。そしてすぐ眠った。  どれだけ眠ったろう。架山はまた眼を覚ました。岩代が枕|許《もと》に立っていた。 「月が凄《すご》いですよ。ちょっと出て見ませんか」  その言葉で、架山は起きあがった。 「何時?」 「二時です」 「みんなは?」 「起してみたんですが、起きそうもないので、そうっとしておいてやります」  岩代は小屋を出て行った。架山はありったけのものを身に着けて、そのあとに随《したが》った。  なるほど凄かった。台地はさっきとは全く異ったものになっていた。僧院も、二つのチョルテンも、すっかり黒々としたものに変り、雪山だけがいっせいに白銀色に輝いていた。雪のない山は暗く、雪山だけがその暗い山の上に白く輝いた姿を載せている。エベレストも輝き、ローツェも輝き、アマダブラムも輝いている。月は台地の真上にあり、そこから雪山だけに照明を当てているのである。  架山は煙草をくわえて、深夜の台地に立っていた。月はその時々で、照明をあてる対象を変えているとしか思えなかった。この前の十時の時は、台地の上の僧院の建物が選ばれ、深夜の今はエベレスト、ローツェが選ばれている。選ばれた対象だけが生き、あとのものは死んでいる。  この時もまた、架山は永劫という思いに捉われた。太古から、月の夜は、いつもこうして台地の一劃が白い月光を浴びたり、替ってエベレストが月光に照されたりして来たのである。おそらく少しも変らぬ夜々が、太古から今日まで繰り返されて来ているのであろう。 「一体、この僧院はいつ建てられたんだろうね」 「アンタルケの話では、百二十年前に全シェルパ族が協力して建てたんだそうです。尤《もつと》も、五十六年前に一度焼けて、今のは再建の建物らしいです。ただチョルテンは二つとも最初の時のものだと言っていました」  それから、 「やはり、みんなを起してやりましょう。この月を見ないで寝ているてはありませんよ」  岩代は言って、小屋の方へ歩いて行った。  寒くはあったが、架山は立ち去り難い思いだった。そもそもこんなところにやって来たのは、みはると二人だけの会話を交すためであったが、いまの架山はそうした気持にはなれなかった。生き残っている父親と、死んでいる娘との会話は、この台地に立っている限りに於《おい》ては成立しなかった。人は生れ、人は死んで行く。ただそれだけのことである。生れる意味もなければ、死んで行く意味もなさそうであった。そんなことを、いま台地の真上に掛っている月は言っているようである。  さきに岩代が戻って来、暫くしてから、伊原も、池野も、上松もやって来た。 「寒いね、ヒマラヤの月は」  池野が言うと、 「眠いね、ヒマラヤの月は」  伊原が言った。確かに寒くも、眠くもあるヒマラヤの月であった。それでも伊原は月のエベレストを撮ると言って、三脚を立て始めた。  架山はさきに宿舎に引返して、また寝袋の中にもぐり込んだ。東京では、夜半眼覚めると、容易なことでは寝付かれなかったが、ここではすぐ眠ることができた。  次に眼覚めたのは六時だった。宿舎の外に出ると、カングテの真白い山容を背景に、僧院の建物がくっきりと浮かびあがっていた。夜はすっかり明けていた。  六時半に、少年たちが朝のコーヒーを運んで来た。みんなでくるま座になってコーヒーを飲みながら、今夜の満月をどこで見るかということについて相談した。 「ここの月はゆうべ見てしまったから、こんどはドウトコシの磧《かわら》で月見をしましょう」  その岩代の提案に、みなが同意した。  朝食をすますと、みなカメラを持って、宿舎を飛び出した。九時半に、ここを出発して、帰路に就くということになっていたので、カメラの仕事は、それまでに果さなければならなかった。架山もカメラは持って出たが、二、三枚、お義理にぱちぱちやっただけで、あとはピンジョに渡して、手ぶらで台地を歩いた。  七時五分に、僧院の建物に陽が当った。太陽はどこにも出ていないが、陽だけが建物の一部に当っている。何とも言えず、暖い感じだった。その方に歩いて行くと、クンビーラの鋭い鋸《のこぎり》の刃が見えて来る。  僧院の前に立って、宿舎の方を振り返ると、遠くにエベレスト、ローツェの白い峰が見え、その手前にアマダブラムの二つの峰が、堂々たる貫禄《かんろく》で天を衝《つ》いている。いずれも真白である。僧院を背景にして立つと、タムセルク、カンテガ、これも真白い姿でのしかかっている。  七時半に、すぐそこに迫っているカンテガの支稜《しりよう》の肩から太陽があがった。きのう月が出たところである。  台地は急に暖くなった。シェルパやポーターたちも、あちこちに散らばり出した。遊んでいるのも、用事をしているのもあるが、何となく台地は校庭の感じを持って来た。きのう霧の中で会った白人のパーティも、一昨日ナムチェバザールの近くで会った白人のパーティも、それぞれ台地に姿を見せている。全部で七、八人の白人たちが陽の当り出した台地のあちこちを思い思いに歩き回っている。暗く寒かった長い夜は終って、暖く明るい昼がやって来たという感じである。  白人たちは交互にチョルテンの前に立っては、記念撮影をしている。架山が傍に近寄って行くと、白人の一人が、 「下界では、新しい戦争は起っていないか」  と、声をかけて来た。 「起っているかも知れないし、起っていないかも知れない」  架山が答えると、 「まあ、どちらでもいい。ここに居る限りは無関係だ」  他の白人の一人が言った。その傍で長身の若い女が体操をしている。  チョルテンは、ナムチェ、クムジュンのチョルテンよりも古くて素朴な造りであった。しかし、いかにもこの台地の鎮めといった必死なものをその姿に持っていた。到るところ苔《こけ》むし、石と石との間には草が生えていた。チョルテンは見るものでも、僧院の装飾物でもなかった。それ自身が、祈り、呼吸し、生きていた。  出発前に、僧院の内部を見せて貰《もら》った。現在二十二名の僧侶《そうりよ》が居るということであったが、架山たちを案内してくれた若い僧以外、その姿は見えなかった。礼拝堂にはいると、シェルパの少年たちは、何回も何回も、上半身を折り曲げて礼拝した。真剣な表情だった。  みんなが台地の一劃《いつかく》に集って、いよいよ出発しようという時になって、岩代はもう一度ドウトコシの源近い姿をカメラに収めて来ると言って、ひとりだけ宿舎の裏手へ回って行った。  架山も、岩代のあとに続いた。もう再びこの台地に来ることがあろうとは思われなかったので、架山の方はカメラにではなく、自分の眼にドウトコシの最上流の姿を入れて来ようと思ったのである。  エベレストも、ローツェも、僅《わず》かの間にもう頭を霧の中に匿《かく》していた。しかし、その方面に伸びているドウトコシの渓谷には陽が当っていた。そしてカンテガ支稜の裾《すそ》の斜面に小さい集落が二つ見えている。二十戸か三十戸の小さい集落らしいが、樹木に埋まるようにして、幾つかの屋根が辛うじてその存在を示している。 「まだあんなところに村があるね」  架山が言うと、 「手前のがパンボチェ、あそこにも雪男の頭蓋《ずがい》のある寺があります。その向うがディンボチェ。——さっきアンタルケから聞いたんですが、やはりここより少し高いです。パンボチェが三九一〇メートル、ディンボチェが四三四〇メートル。最後の部落だそうです」 「たいして遠くないね」 「でも、いったん渓《たに》へ降りなければならないので、四、五時間はみませんと。——やはり一日行程でしょうか」 「一日で行けるんなら、行ってみたいね。折角ここまで来たんだから、最後の部落というのを見ておきたいね」 「そうは言いますがね、——」  岩代はカメラのレンズに蓋《ふた》をしてから、 「ここから更に奥に踏み込むとなると、部隊を編成し直さないとなりません。シェルパ、ポーター全部で少くとも百人ぐらいにはなります。ここからは本格的な登山隊の編成でないといけません」 「百人!?」 「百五十人でしょうか。架山さん、池野さんを連れて行くとなると、そのくらいの人数がほしいですよ。いったんカトマンズに帰って、準備万端整えてやりますか」 「なるほど、ねえ」  架山は驚いた。登山家の考え方というものはきびしいものだなと思った。 「社長とニューギニアに誘いをかけたら、二人とも、うわっと言うと思いますよ。ゆうべ、ここまで来て、山に登らないで帰ったとあっては、羽田で飛行機から降りられない、そんなことを話し合っていました」 「まあ、黙っておくんだね」  架山は笑いながら言った。伊原も、上松も、さぞ登りたいことであろうと思った。  九時三十分に僧院のある台地を出発した。きのう通って来た同じ道を歩くわけであったが、架山にはどうしても、同じ道とは思われなかった。ドウトコシの大渓谷を左手に見ながら、山の中腹の細い道を、二十五人の隊員が一列に並んで行く。 「こんなところを、きのう歩いたかな」  池野も架山と同じことを思っているらしかった。少し行くと、真白いカングテの鋭い峰を背景にホテルのある台地が渓谷を隔てて遠くに見えている。 「ホテルのある台地の中腹を道が走っているでしょう。今日はホテルには寄らないで、あの道を通って一路ナムチェを目差します」  上松が説明してくれた。 「あれがナムチェに行く道?」 「そうです。ナムチェ街道です」 「クムジュンは?」 「クムジュンにもはいりません」 「惜しいね。もう一回、クムジュンの部落にはいってみたかった」 「この次に来た時、立ち寄ることですね」 「そうしよう、残念だが」  架山は言った。しかし、再び来るということは考えられなかった。ヒラリーの小学校で、いっせいに立ちあがったあの純真|可憐《かれん》な子供たちに、再び相会うことはないだろう。|※[#「釐」の「里」に替えて「牛」、unicode729b]牛《ヤク》にも会うこともないだろうし、あのすばらしい二つのチョルテンを眼にすることもないだろう。  ピンジョが、路傍に咲いている花を見付けると、その度に足を停めて、架山の注意を促した。白いエーデルワイスが咲いていたり、竜胆《りんどう》に似た小さい青い花が咲いていたりする。紫の花もあるが、どれもみな小さい。  道は上ったり、下ったりしているが、架山はきのうまでの疲れは感じなかった。帰路についているということが、気持をらくにしてもいたし、空気のうすいのに馴《な》れたということもあるに違いなかった。 「さて、今夜の満月をどこで見ますかね」  伊原が話しかけて来た。 「大丈夫かな、月は」 「もう大丈夫です。雨期はきのうであけたんです。これからヒマラヤは当分の間月夜が続きます。滞在しますか、どこかに」 「僕の方はいいが、社長の方は困るだろう」 「もうここまで来れば、同じですよ。店が焼けようと、地震で潰《つぶ》れようと、たいしたことはありません。歩きますか、カトマンズまで」 「歩くのは困る。ナムチェあたりに滞在するんなら、考えてもいい」 「本当ですか」 「本当だよ」  もちろん冗談ではあるが、その何分の一かは本気でないことはなかった。伊原も同じだろうと思う。半月や一か月、日本に帰るのが遅くなっても、ふしぎにたいしたことではなくなっている。みんなそんな顔をして歩いている。  急坂を下り始める。この急坂もまた架山の記憶にはなかった。きのうこんなところを登ったのかと思う。石がごろごろしている急斜面を降りると、あとはまた山の中腹を巻いて行く。  やがてクムジュンの方へ行く道と、直接ナムチェバザールを目差す道との分岐点に到着する。そこで休憩して、ナムチェへの道をとる。ここからナムチェまでは、きのう通らなかった初めての道である。  休憩を打ち切って、みなが腰をあげかけると、 「デハ、ボツボツ、デカケルトスルカ」  ピンジョは言った。ピンジョは時折り出発の時に、このような日本語を口から出すが、実に口から出すべき瞬間を心得ている感じである。遅過ぎもしないし、早過ぎもしない。 「お前は、日本へ連れて行っても、一級の馬子になれる。では、兄貴、ぼつぼつ出掛けるとするか。兄貴を入れろよ。いいか、——では、兄貴、ぼつぼつ出掛けるとするか」  ピンジョに判ろう筈《はず》はないが、伊原はそんな軽口を叩《たた》いている。  道は紅葉した山の斜面を巻いて行く。見晴るかす限り、赤、青、黄、褐色の濡《ぬ》れ光った色彩で織りなされた絨毯《じゆうたん》である。その上を二十五人の隊員が一列になって歩いて行く。 「天国だね」  前を歩いて行く池野が振り返って言った。確かに天国だと、架山も思う。  次々に幾つかの山の斜面を巻いて行く。新しい山に移る度に、幾らか樹種が違うのか、黄色が多くなったり、朱色が多くなったりする。  ポーターたちは重い荷物を背負ったまま、路傍に腰を降ろしていることがある。架山たちはそうした前を通って行くが、また程なくあとから来るポーターたちに追い抜かれてしまう。互いに抜いたり、抜かれたりしながら歩いて行く。美しい紅葉の斜面を歩いているためか、さして疲れは感じない。ルクラから歩き出した最初の日に較べると、たいへんな違いである。  四時間ほどでナムチェにはいる。こんどは村にははいらないで、村を見下ろせる地点で大休止をとることにした。少年たちはそれぞれ自分の主人を自分の家に連れて行きたがっているが、ピンジョだけはそういう態度は示さない。母親がないので、架山を連れて行っても持成《もてな》すことができないと考えているのであろうか。そう思って見ると、心なしか架山の眼にはピンジョという十七歳の少年の顔が淋《さび》しげに映っている。  架山はピンジョと並んで地面に腰を降ろして、村を見下ろしていた。少年の家へ行くのであろうか、少年と並んで歩いて行く伊原や上松たちの姿が小さく、斜面の集落の路地に見えている。  辺りは静かだった。池野はスケッチに出掛けていたし、岩代は岩代で、誰か会わねばならぬ者でも思い出したらしく、アンタルケと二人で、村への斜面の道を降りて行った。  あとに残っているのは架山とピンジョ、それからポーターの老人や娘たち、全部で五、六人である。残っているのはナムチェとは別の集落の出の者たちであろうと思われた。  と言って、大休止地点が淋しくなっているわけではなかった。いつか村の子供たちや内儀《かみ》さんたちがそこらに多勢集っていた。  架山は、自分ひとり家へは帰らず、自分の家のある集落を見下ろしているピンジョに付合ってやる気持になっていた。  ——しあわせなら……  と、ゆうべ少年たちが歌っていた歌詞を架山が口にすると、すぐピンジョはそれを受けとって、大きな声で歌った。よく意味も判らぬ異国の歌を、たのしそうに歌うこともまた、架山には哀れに思われた。  三十分ほど経つと、休憩地点を離れていた連中が次々に戻って来た。最初に帰って来たのは上松で、 「驚きましたよ。ザンブーという荷を運んでいる少年が居るでしょう。あの子の家を覗《のぞ》いたら、兄さんが山で死んで、その葬式をやっていました」 「葬式?」 「いや驚きましたね。多勢家の中に人が集っているので、何事かと思ったら、葬式でした」 「その少年は知らなかったの?」 「そうらしいです」 「じゃ、ポーターが一人減るね」 「ところが、ザンブーは後から来るらしいです。やはりルクラまでついて行くと言っています」 「でも、兄さんの葬式ではね」 「家に残るように、アンタルケにも言って貰《もら》ったんですが、どうも家には残らんようです。却《かえ》って家に居たら悲しいのかも知れません。何分、そういうところの人情は判りません。言うようにさせるほか仕方ありません」  上松は言った。やがて、上松が言っていたように、そのザンブーという少年はやって来た。仲間のシェルパやポーターたちに取り巻かれて何か話しているところを見ると、兄の死について語っているのかも知れなかった。  架山はザンブーという少年に眼を当てていた。小柄で、敏捷《びんしよう》そうな少年だった。多少真剣な表情をしているが、別段悲しんでいるふうにも見えず、出発時刻になると、自分が背負う荷物の紐《ひも》を締め直している。 「今夜の満月を見る場所ですが、ボウテコシとドウトコシの合流点付近はどうでしょうか。僕はあそこが一番いいと思うんですが」  岩代がみなの意見を訊《き》いた。誰も異存はなかった。出発! アンタルケが日本語で呶鳴《どな》った。  ナムチェバザールをあとにする。村を出る時、巨岩のある地点で架山は多少の感懐をもって、再び訪れることのないシェルパの村を振り返った。  ——さよなら。  この平凡な別離の思いが、この時ほど架山に生き生きと、しかし切なく感じられたことはなかった。集落とも、そこに生きる人たちとも、チョルテンともさよならであった。もう再び眼にすることはないだろう。ボウテコシの大渓谷には、この時も霧が湧いていた。やがて、集落の斜面を霧は這《は》い上って行くだろう。  道は暫《しばら》くボウテコシの大渓谷に沿った山の斜面を巻いたあと、一本の支流が流れ込んでいる合流点に向かっていっきに急坂を下る。その合流点付近でボウテコシを木橋で渡って、右岸に出、再び急坂を上る。そして新しい山の中腹を巻いて、次に急坂を下って、再びボウテコシの磧《かわら》に出る。  これから先の地帯については、架山もよく憶《おぼ》えている。ボウテコシの木橋、ドウトコシとの合流点、ドウトコシの釣橋、大岩壁。そしてもう一つ木橋を渡って、右岸を少し行ったところが、岩代が選んだこの日の宿泊地であった。大岩壁の下の広場である。シェルパに地名を訊くと、  ——ラルチャ・タンガ。  と答える。タンボチェの僧院の近くにフンギ・タンガと言うところがあり、そこを通る時、アンタルケが、  ——フンギは驢馬《ろば》、タンガは河畔。  と説明してくれたことを、架山は思い出した。従って、ラルチャ・タンガは、河畔の広場とでもいう意味であろうかと思った。全くのドウトコシの岸で、磧を覆っている草や灌木《かんぼく》の茂みで青い流れは見えないが、例の陣太鼓を打ち出すような流れの音は高く聞えている。  広場ではすぐテントを張る作業が開始された。山峡の早い夕闇がシェルパの少年たちを包み始めている。  一日晴れていたので、月が出ることは確実であるにしても、渓谷だけに、月が顔を出すのはかなり遅い時間であろうと思われる。  テントが張られ、広場の一隅の炊事場で火が焚《た》かれると、みなそこに集った。架山ひとりはテントの中に仰向《あおむ》けに倒れていた。寒くはあったが、身を横たえている方がらくだった。まだヒマラヤの山地であるに違いなかったが、何となく低いところに居る気持だった。地図を拡げて調べると二八〇〇メートルと記してある。僧院のある台地が三八六〇メートルであるから、今日一日で一〇〇〇メートルほど下ったことになる。  観月の宴席は一番大きいテントに設けられた。 「満月ですな、今夜は」  伊原は言ったが、テントの外は漆黒の闇で、川の音だけが高く聞えている。 「何時頃月が出るだろう」 「夜半じゃないか」 「それまで眠るんだな」  しかし、眠ってしまったらもう起きられないだろうと、架山は思った。  夕食が終ると、架山は池野と二人で、広場の一番下手のテントにはいった。時刻は早かったが、寝袋にはいるより仕方がなかった。テントの外でシェルパの少年たちの騒いでいる声が聞えていたが、それも流れの音に包まれて、遠く幽《かす》かだった。 「あすはルクラ、あさってはカトマンズ」  池野はそんなことを言っていたが、間もなく寝息に変った。架山も同じことだった。流れの音に打たれながら眼を瞑《つむ》っていると、体全体が眠りの沼の中に引き込まれて行った。  夜半眼を覚ました。テントの隙間から冷たい月光が流れ込んでいる。架山はそのまま身を横たえていたが、睡気《ねむけ》はなかった。懐中電燈の光で時計を見ると、一時だった。  寝袋の中から脱《ぬ》け出して、ズボンを履き、アノラックを着、マフラーで首を包んだ。テントを出ると、広場は仄《ほの》明るくなっていて、山向うの大岩壁の肌が白く輝いている。月はキャンプ地の真上に掛っていた。間違いなく満月であった。  架山はほかの連中を起してやろうと思ったが、どのテントに居るか判らなかった。架山は、自分のテントの隣のテントの前に立って、仲間の名を呼んだ。  ——社長。  と呼んだり、  ——邦ちゃん。  と呼んだり、  ——ニューギニア。  と呼んだりした。  テントを二つ三つ、仲間の名を呼びながら移動した。すると、アンタルケが姿を現わして、何事が起ったのかというような顔をした。架山が月を示すと、なんだというような顔をして、岩代たちのはいっているテントに案内してくれた。架山のテントのまうしろにあるテントであった。伊原が顔を出し、 「よう、出ましたな、月が」  と、夜空を仰ぎ、それからまた顔をテントの中に引込めた。架山は自分のテントに戻り、池野を起した。 「月が出た」 「寒いだろうな、外は。折角だが、まあ、眠らせて貰おう」  架山はまたテントを出た。岩代と伊原がやって来た。 「ニューギニアは?」 「ゆうべ寒気がすると言っていましたから、出て来ないと思います。——とうとう満月にお目にかかりましたね。三笠《みかさ》の山に出《い》でし月かも、ですね」  伊原は月を仰ぎながら言った。そこへ、来ないであろうと思われていた上松がやって来て、 「僕の場合は、ニューギニアの山に出でし月かも、ですよ」  と言った。その言い方には、しみじみとしたものが感じられた。 「少し歩きますか」  岩代が言ったので、みなそれに従った。五分も歩かないうちに橋の袂《たもと》に出た。  橋の上から見るドウトコシの眺めは凄《すご》かった。上流はすぐ折れ曲って見通しはきかないが、下流の方はどこまでも川筋がまっすぐに伸びている。上流も、下流も、磊磊《らいらい》たる石の原で、石と石との間を、烈しい勢いで水が迸《ほとばし》り流れている。月は真上にある。月光に石も輝き、奔騰する水も輝いている。そして一刻の休みもなく陣太鼓は打ち出され、地軸を揺がすような流れの音が、深夜の山峡を押し包んでいる。  流れの両岸には大岩壁が迫っているが、その岩の屏風《びようぶ》もまた、ある個所は月光に輝き、ある個所は陰になって黒々と押し黙っている。  ひどく寒かった。長くは橋の上には居られなかった。引返そうとすると、 「向うに渡って、少し行くと、雪山が見えたな。あそこまで行ってみよう」  伊原は言った。伊原が歩き出したので、みなそれに続いた。対岸に渡って、少し歩いて行くと、なるほど下流に向かって、左手の方に雪山の山頂が見えた。天の一角に白銀の欠片《かけら》が置かれてある。 「何という山かな」  架山が訊《き》くと、 「クスム・サガ。——三つの神の山という意味だそうです」  岩代が答えた。僧院の台地で見た雪山のように、クスム・サガもまた、月光に白く照り輝いていた。ただ、この場合は、山の頂きが見えているだけなので、白く輝いている部分はごく少く、白銀の欠片とでも言うほかない。 「プル(釣橋)まで行ってみるか」  上松が言ったが、こんどは架山は応じなかった。 「風邪をひくよ。やめよう」  黙っていると、どこまで行くか判らなかった。プルまで行ったら、誰かがボウテコシの流れ込んでいる合流点まで行こうと言い出すであろうし、合流点まで行くと、また誰かがボウテコシの木橋まで行こうと言い出すに決まっている。 「帰ろう。まだあすがある」  架山が言うと、 「そうですね。これで月見は打ち切りましょう。無事なうちにテントに引揚げましょう」  伊原は言った。すると、 「まあ、その方が無難でしょうね」  岩代も応じた。二人の言葉には妙に実感があった。架山は、瞬間言い知れぬ畏怖《いふ》感に襲われた。深夜こんなところをうろついていると、何となく一人一人、消えて行きそうな気がする。ここはみなが必死に神に祈って生きているヒマラヤ山地なのである。深夜うろつき歩くような場所ではないに違いなかった。  テントへ引揚げると、体は氷のように冷え込んでいた。寝袋にはいったが、容易に暖まらなかった。  架山は体を小さくし、眼を瞑っていたが、睡気はいっこうにやって来なかった。夕食後すぐ寝ていたので、疲れも癒《なお》っていたし、月見騒ぎですっかり眼が覚めてしまった恰好《かつこう》であった。  架山は、この夜、こんどの旅で初めて、亡き娘みはるの面輪《おもわ》を瞼《まぶた》の上に載せた。  ——歩くのに夢中で、君どころではなかったよ。  ——えらいわ。よく歩けましたね。心臓|麻痺《まひ》でばったりなんてことになるんじゃないかと思ってましたが、そんなこともなかったし、——でも、まだあすがあります。  ——もう大丈夫だ。一歩一歩、空気は濃くなって行く。満月の夜、君と話そうと思って、はるばるこんなところまでやって来たんだが、来てみると、あまり話すことも思い付かない。  ——だって、そんな遠いところにいらっしゃるんですもの、お話ししたくたって、お話しできませんわ。ずいぶん、お父さんとは遠くに離れていますわ。時間的にもずいぶん離れてしまったし、空間的にもずいぶん遠くに離れてしまいました。  ——そうだね。君は時間的にも手の届かないところに行ってしまったし、空間的にも、ヒマラヤの山の中と琵琶湖ではね。  架山は眼を瞑っていた。日本という国が遠く、小さく思えた。海の中に横たわっている小さい島である。北から南へと、小さい島が幾つか並んでいる。その島の一つに小さい水溜《みずたま》りがある。それが琵琶湖である。  ——大三浦老人は、満月の夜、琵琶湖に船を浮かべると言っていた。いっしょに月を見ようと言っていた。時差の関係で、すでにもう見てしまったのか、これから見るのか知らないけれど、ね。  ——丁度、いま、見ていらっしゃいますのよ。わたしたちが横たわっているところへ船を近づけて、お月見をしています。ヒマラヤの月に劣らず、琵琶湖の月もきれいです。そのきれいな琵琶湖の月を大三浦さんは見ています。さあ、三人で月を見よう、そんなことを私たちに言いながら、その実、一人だけで月を見ています。  架山は、大三浦が半身を船縁《ふなべり》から乗り出して、湖面に顔を近付け、ぼそぼそとひとり言を言っている姿を眼に浮かべていた。青い月光を浴びているそんな大三浦の姿もまた遠く、小さかった。架山は息を詰めていた。息を詰めて、その小さく遠い大三浦の姿を見守っていた。  翌朝は七時起床。一分の違いもなく、ピンジョとチッテンが、モーニング・コーヒーを運んで来た。こうしたコーヒーをテントに運んで貰《もら》うのも、今日が最後になるだろう。 「さあ、今夜はルクラ、あすはカトマンズ」  池野はコーヒーを飲みながら言った。帰心矢の如しといった恰好である。 「さあ、あすの朝、飛行機が来るか、来ないか、それだけが問題だ」 「大丈夫だろう。少し曇っては来ているが」  確かに曇って来ていた。ゆうべの満月はあんなにすばらしかったが、朝になってみると、曇天が覆いかぶさり、対岸の大岩壁の上の方を霧が流れている。  朝食後、みな合流点付近に写真を撮りに行く。ゆうべ白銀色に輝いて見えていたクスム・サガも、その前山も、すっかり曇に包まれていて見えない。  八時出発。右岸を下流に向かって歩いて行く。相変らずアップ・ダウンが続いている。木橋で左岸に渡る。時々ぽつんと一軒だけ農家が建っているのを見掛ける。そんなところは里に近付いた感じである。  そうした農家の屋根にも、路傍の石にも、タルシン(祈り旗)が立てられてある。小さい何軒かの集落の入口には小さいチョルテンが造られてある。壁チョルテンもある。  農家の前を通ると、入口から幼児と驢馬《ろば》が顔を出したりする。時には老婆が裸足《はだし》で戸口に腰かけていることもある。その老婆の背の扉にはラマ教の経文を刷った紙片がたくさん貼り付けられてある。  みんな祈って生きている。朝が来ると祈り、夕方が来ると祈り、祈りの呪文で固められた石の部屋の中で、不自由で不足勝ちな明け暮れを送っているのである。  架山は老人に会うと、老人のために祈り、幼児に会うと、幼児のために祈りたい気持になっていた。老人も幼児も、顔を合わせると、機械的なしぐさで合掌してくれる。それに応《こた》えて、架山の方もまた前で両の掌《てのひら》を合わせる。池野も、岩代も、伊原も、上松も、同じようにしている。向うが恙《つつが》なくと祈ってくれるので、こちらも相手のために恙なくと祈ってやっているのである。 「いいね、こういう挨拶《あいさつ》の仕方は」  架山が言うと、 「小さい子に手を合わせられると、胸が痛む。生れてこの方、合掌されるなんてことはなかったからね。——拝まれることも、拝むこともいいな。合掌するということは、相手のために祈ってやっているということなんだろうね」  池野は言った。しかし、いくら祈っても、祈られても、災害や不幸はやって来るだろう。ポーターのザンブーの兄に死が見舞ったように。  木橋を渡って、ドウトコシの左岸に出ると、往《い》きには気付かなかったが、経文の刻まれた石があちこちにあるのが眼に付いた。路傍の石の場合もあれば、磧《かわら》に転がっている石の場合もあった。小さい石もあれば、大きい石もあった。  やがて往きの第一宿泊地であったモンジョ部落を過ぎる。人影が全くないので無人の集落といった感じである。  モンジョを過ぎて、少し行ったところで、路傍の巨石にぎっしりと経文の文字の彫られてあるのを見た。凸凹のある石の面に確《しつか》りした彫りで刻まれてある。しかもその同じ石の面には木版刷りの経文まで貼られてあった。雨のために文字は消えたり、紙片の大部分はなくなったりしているが、それでも執拗《しつよう》に石の面にしがみついている感じである。  相変らず急坂を上ったり、急坂を下ったりして、支流モンジョ川の岸に出て、そこを渡り、再びドウトコシの大渓谷に沿って、尾根を巻いて行く。そして幾度目かの急坂を降りたところで、木橋を渡って右岸に出る。暫《しばら》く白樺《しらかば》の生えている美しい河岸の道が続き、そこで山羊《やぎ》の大群にぶつかる。何となく里近い感じである。  水の美しい支流を合流点付近で越える。このへんまで来ると、ドウトコシの流れは白濁していて、支流の流れは澄んで青く見える。橋の袂《たもと》にタルシンの立てられてある磧で昼食。  急坂を上り、急坂を下る。坂という坂には石が堆積《たいせき》していて、ひどく歩きにくい。また支流の岸に出て、木橋で左岸に渡り、再びドウトコシの渓谷に沿って行く。烈しいアップ・ダウンが続き、二本の支流を渡る。そして本流の岸に出たり、離れたり、そんなことを繰り返しているうちに、いつか次第に本流ドウトコシの大渓谷から離れて行く。漸《ようや》く四辺は高原の様相を呈して来て、眺望は大きく開けてくる。  高原のあちこちに、大集落が点々と置かれているのが見える。塔チョルテンも壁チョルテンも多くなる。どれも小型のものばかりで、集落のものと言うより、私家製のチョルテンといった恰好である。  やがて大急坂を上り、大急坂を下る。 「ドウトコシはどこへ行った?」  架山が訊《き》くと、それには答えないで、ピンジョは左手の方を示して、 「滑走路が見える」  と言った。なるほど小さい渓谷を隔てた向うの台地に短冊型の青い滑走路が置かれている。高原のあちこちには霧が流れ、小雨が落ち、いつか薄暮が迫ろうとしている。  霧雨に濡《ぬ》れながら、滑走路横の小屋にはいる。窓には扉も、硝子《ガラス》も嵌《は》まっていないので、先着のポーターたちが、その小屋の中にテントを張る作業に従事している。 「やれ、やれ」  架山が床に腰を降ろすと、 「ヤレ、ヤレ」  ピンジョは荷物を背から下ろした。注意すると、少年シェルパたちは、口々に�ヤレ、ヤレ�を連発している。出発点に帰着した時に口にする挨拶とでも思っているのかも知れない。  早く夜がやって来た。夕食は戸口の右手の部屋で摂《と》った。そこだけに囲炉裏風のものが造られてあり、一同そこで火を囲んだ。シェルパの少年たちはほかに宿舎があるらしく、夜になると、サアダーのアンタルケと二人の娘たちだけを残して、あとはみな引揚げて行った。アンタルケと二人の娘は馬鈴薯《ばれいしよ》を焼いたり、紅茶を入れたり、それぞれに忙しかったが、架山たちは妙に口数少くなって、火を囲んでいた。 「今夜が最後だね」 「あすの朝、迎えの飛行機が来ればね」  しかし、あの神経質なスイス人の操縦する小型機が飛んで来るか、来ないかは、誰にも判らなかった。夜になってから、雨は本降りになっていた。誰にとっても、今や飛行機が来るか、来ないかが、残されているただ一つの問題だった。  架山とて、そのことに変りはない筈《はず》であったが、しかし、架山は小型機が来なければ来ないでもいいような気持になっていた。はっきりとは自分でも判らなかったが、何となくこのままカトマンズに運ばれてしまっては困るといった思いが、心のどこかにあった。もう少し、このままにして置いて貰った方がいいのではないか、そんな気持であった。  一体、この思いは何であろうか。架山は火を見守りながら、われとわが心の中を覗《のぞ》き込むようにしていた。 「エベレストの月も見た。ドウトコシの月も見た。もう思い残すことはないね」  池野が言うと、 「万事ふしぎにうまく行きましたね。目的地に着いたその夜、八ヵ月ぶりの月が出たとは驚きましたね」  岩代が言った。  アンタルケがどこかへ出て行ったと思ったら、やがて小さい甕《かめ》に酒を入れて持って来た。近くの農家へ行って買って来たということだった。 「ここは二四八〇メートルだったね。もう大丈夫だろう。ひっくり返ることはあるまい」  上松が言うと、 「強いですよ、チャンは」  用心深く岩代は言った。 「大丈夫、大丈夫」  池野は茶碗《ちやわん》を探しに席を立った。酒を飲めない伊原は、さっきから馬鈴薯を焼く仕事をひと手に引受けていた。ひどく小さい馬鈴薯である。  架山にとって、ヒマラヤ山地における最後の夜は、ひどく安穏な、しかし、何とも言えず淋《さび》しいものであった。なぜ淋しいか判らなかったが、とにかく淋しかった。みなが火を囲んで、日本の濁酒《どぶろく》に似た酒を飲み始めた時、アンタルケが、 「みなさんをここに運んでから、そのあと、きのうまで飛行機は来なかったようです。きのう初めて来たと言っていました。山の方は雨期があけたようでしたが、このへんはまだ天気がぐずついているそうです」  と言った。岩代がそれを通訳すると、 「うわっ!」  と、伊原は悲鳴をあげ、上松はうしろにひっくり返った。 「じゃ、あすもだめだな」  池野もうんざりした顔で言った。 「大丈夫ですよ。来ますよ」  岩代は言ったが、来るということにいかなる根拠があるわけでもなかった。架山は、飛行機が来なければ来ないでもいいという気持だった。もう二、三日、このままここに置いて貰《もら》いたかった。が、そのことは口に出さなかった。 「この雨ではね」  とか、 「まあ、諦《あきら》めるんだな」  とか、そんなことを暫く言い合っていたが、 「さあ、みんな寝ましょう。あすは四時起床。飛行機が来るまでに荷造りします。そして要らないものはシェルパたちにやって下さい。ただし、やり方ですが、勝手にやらないで、みんな一か所に集めて、公平に分配したいと思います。誰も自分のものは、自分のシェルパにやりたいと思いますが、そうしないで下さい。不公平になりますから」  岩代は言った。そして、 「五時半に食事、六時にはいつでも飛行機に乗ることができるようにしておいて下さい。飛行機が来たら、すぐそれに乗り込みます」  岩代の言葉で、誰もが何となくあすここを出発できそうな気持になった。火の傍の団欒《だんらん》を解くと、それぞれ自分の寝所に引揚げた。  架山は池野と、同じテントにはいった。テントを張るだけあって、どこからか雨が漏って、テントの周囲は濡れている。 「帰ると、また忙しくなるな」  暗い中で池野が言った。この時もまた、架山は余り帰りたくない自分の心につき当った。忙しい仕事の中にはいって行くためではなかった。みはるの死体が沈んでいる湖のある国へ戻るのが、何となく気になっているのである。そこへ戻って行く用意ができていない気持なのである。心の中で整理しておかなければならぬものがあるが、それが整理できていない気持なのである。  架山は眠れなかった。ヒマラヤ山地にはいってからは、いつも寝袋にもぐり込むとすぐ睡魔に襲われたが、この夜は違っていた。あすの朝は四時に起きなければならないので、早く眠りに就こうと思うのであるが、いつまで経っても眼は冴《さ》えていた。  架山はみはると二人だけの会話を持とうと思った。もともとみはると、そうした会話を取り交すために、このようなヒマラヤの山の中までやって来たのである。  ——みはるよ、君と本当の話を、一組の父と娘としての本当の話をするために、こんなところまで来たんだが、とうとう話さなかったな。タンボチェの僧院の台地でも、ホテルの丘でも、ドウトコシの河岸でも、とうとう君とは話さなかったな。  ——そうですわね。わたしのことなど、ちっとも思い出して下さらなかったわ。ゆうべほんのちょっぴり、琵琶湖のお月見のことを考えて下さったけど、すぐお眠りになりました。  ——やっぱり疲れていたんだな。いい年齢《とし》をして、エベレストの麓《ふもと》くんだりまでやって来たんだからね。歩くのが精いっぱいで、君のことなど思い出すゆとりがなかった。  ——お疲れになったことは本当ね。でも、わたしのことを思い出して下さらなかったのは、疲れていらしったためではないと思いますわ。もっとほかのこと。  ——なんだ?  ——永劫《えいごう》。お父さんは夜半に僧院の台地の上をお歩きになって、月や、月に照されている雪の山をごらんになった時、永劫といった思いをお持ちになったでしょう。  ——そう。それ以外、何も感じようがなかった。あの台地の夜には太古からの時間が流れていた。月も、雪の山も、太古と少しも変らない姿で、あそこにあった。  ——でしょう。永劫という思いにお触れになってしまった。ああいう思いをお持ちになってしまったら、もう、わたしなどの坐《すわ》る場所などありませんわ。永劫の前には、人間のことなど、どうすることもできないほど小さいんですもの。人間はただ生れて、死んで行くだけ。太古からそれを繰り返しているだけ。永劫という時間の中では、生きたことの意味も、死んだことの意味も、忽《たちま》ちにして消えてしまいます。  ——そういうことだろうね。  ——月は照っているだけ、時間は流れているだけ。  ——いやに悟ってしまったね。  ——でも、そういうものでしょう。地球上では、いまこの時間も、たくさんの人が死に呑《の》まれています。そして次々に永劫という時間に繰り入れられています。生の意味も、死の意味も、その瞬間に消えてしまいますのね。そして、あとにはただ月が照っており、時間が流れているだけです。  しかし、人間が死んだあと、月が照り、時間が流れているだけであろうかと、架山は思った。  ——人間が死んで、永劫の時間に繰り入れられてしまうと、それでその人の生きた意味も、死んだ意味も消えてしまうと、君は言ったが、果してそうだろうか。君が亡くなって、七年経ったが、君が生き、死んだ意味は、まだ消えていない。父親の心の中に消えないで残っている。  ——そうです。だから、悲しいんです。大三浦さんも、お父さんも可哀そうなんです。いつまで経っても大三浦さんは息子さんのことを、お父さんはわたしのことを忘れることができないで、悲しんだり、悔んだりしています。もう肝心の私たちは死んでしまって、何も考えられなくなってしまっているというのに。——お父さんは、ヒマラヤに来たおかげで、暫《しばら》くわたしのことを思い出さないでいらしったけど、また、だめね。そろそろ、くよくよし始めていらっしゃる。——永劫、永劫、永劫、この言葉を忘れないで覚えていらっしゃらないと。  ——東京の生活に戻ると、永劫なんてものに触れることはなくなるだろう。しかし、考えると、おかしなことだね。君たちは亡くなって、永劫の時間に繰り込まれてしまっているのに、父親の心の中にだけ悲しみとして生きている。悲しみを起させるものとして生きている、君たちは——。  ——あら、君たちとおっしゃいましたね。初めてですわ。わたしと、わたしといっしょに亡くなった青年を複数にお呼びになったのは。  ——そうかな。  ——そうですわ。今までは決していっしょにはなさらなかった。あの青年は青年、娘は娘として、別々に考えていらしった。  ——そうかな。そう言われてみれば、そうだったかも知れない。  ——やはり、それ、永劫というものにお触れになったためね。  架山ははっとした。みはると、みはるといっしょに亡くなった青年を、別々に取り扱っていない自分の心に気付いたからである。  架山はテントから出、建てつけの悪い扉を開けた。戸外は凍り付くような寒さだったが、いつか雨はあがり、夜空にはたくさんの星がばら撒《ま》かれていた。架山は滑走路を斜めに突切って行き、小用を足すと、暫く星空を仰いでいた。ここにも永劫の時間が流れていると思った。この小さい飛行場を一部に嵌《は》め込んだ高原様の地殻の表面には、太古から少しも変らぬ夜の静寂が置かれているのである。  架山はその静けさの中に立っていた。みはると青年の死の真相が何であるか知るべくもないが、永劫の時間の中に置いてみると、そうしたことは意味を失い、そこにはただ若い男女の悲しい死があるだけであった。  暁方二、三時間眠って、四時に起きた。六時まで荷造りに忙しかった。不用になったものは、全部シェルパたちのために残しておくことにした。アノラック、ズボン、レインコート、靴下、肌シャツ、襟巻、セーター、そういった身に着ける物から、懐中電燈、ボールペン、サングラス、洗面道具の余分なもの、薬品類、要らないと思うものは全部一か所に集めた。  それをシェルパの少年たちやポーターたちに分配し、朝食を終った時は六時で、高原を取り巻いている山々には陽が当り始めていた。 「万事うまく行くな。ゆうべは雨でも、朝になると、ちゃんと晴れている」  伊原は言った。しかし、誰もがまだ幸運には酔っていなかった。飛行機が来るかどうか、判らなかったからである。  七時に爆音が聞えたと思うと、やけに小さく見える飛行機が渓谷の霧の中から舞いあがって来て、器用に滑走路にはいった。シェルパの少年たちの間から歓声があがった。  機から例の神経質のスイス人の機長は降りて来ると、近寄って行った岩代の方に首を横に振って見せた。あまりいい状態ではないと言うのである。 「とにかく乗ってしまうことだね」  上松が言った。確かに、何はともあれ、乗ってしまう方がいいと思われた。  しかし、すぐ乗るわけにはいかなかった。どこからともなく数人のネパール人が現われて来て、機内から、積んで来た木材を下ろし始めた。その作業が二十分ほどの時間を要した。その間に、架山たちはシェルパの少年たちと何回も別れの挨拶《あいさつ》を交した。握手したり、抱き合ったりした。架山は母のないピンジョに手袋でも、万年筆でも何でも与えたくなったが、その思いに耐えた。不公平になってはいけなかったし、それに大体この山地の少年たちに見境いなく物を与えることは、確かにいいことではないに違いなかった。材木の最後の一本が下ろされると、一同はすぐ飛行機に乗り込んだ。しかし、機長は乗り込まないで、この前と同じように長身を前屈《まえかが》みにして、そこらを歩き回っては空模様を窺《うかが》っていたが、やがて、 「十分ほど様子を見よう」  と言った。その十分が十五分になり、二十分になった。いつか陽はかげり、滑走路には、渓間《たにあい》から這《は》い上って来た霧が流れ始めていた。誰の眼にもいい状態とは思えなかった。 「いったん降りてくれ。——僕はきょう、午後カトマンズで大切な用事があるんだ」  機長は不機嫌に言った。大切な用事があるのに、もし飛び立てなかったら、責任はお前たちにあると言わんばかりの言い方だった。甚だ道理に合わなかった。  架山たちはいったん乗った飛行機から降りた。滑走路には霧が流れているが、機長が相変らず霧の中に立ったまま、時々空を見上げているところを見ると、満更望みがないわけでもなさそうであった。  揃ってゆうべ厄介になった小屋に引揚げ、また火を囲んだ。アンタルケが機長を呼びに行ったが、機長は小屋にはやって来ないで、飛行機に乗ったと言う。 「飛行機に乗ったとはぶっそうだな。自分だけ乗って飛び立たんものでもない」  伊原は真顔で言った。 「まさか。——とにかく紅茶でも持って行ってやろうじゃないか」  上松が提案した。アンタルケはその通りにした。それでなくても気難しい機長である。この際機嫌でも損じられては、万事終りであった。  午前中は霧が立ち籠《こ》めていたが、午後になると、霧がなくなって、滑走路全部が現われ、遠い山の一部に陽の当っているのが見えた。  機長は時折り機から降りた。滑走路に機長の姿が見えると、その度に架山たちは小屋を出て、機長のところに近寄って行った。機長はいつも煙草をくわえては、空を仰いでいる。 「どんな具合か」  誰かが訊《き》くと、その度に、 「お前自身の眼で見ろ」  機長は言った。そしてしきりに腕時計を覗《のぞ》いている。 「夕方までには発《た》てるか」 「発てないと、僕が困る」 「君も困るだろうが、こちらも困る」  架山が言うと、その時だけ機長は笑った。 「笑った、笑った」  伊原が珍しいものでも発見したように言うと、それをどう解釈したのか、機長は伊原のところに近寄って行って、腕時計を示しながら、 「五時になるのを待て」  と言った。五時までには空模様がよくなるという意味であろうと思われた。  一同はまた小屋にはいった。火を囲みながらその五時の来るのを待つことにした。  二時に、アンタルケはサンドウィッチとコーヒーを機長のところに運んで行ったが、帰って来ると、 「有難うと言っていましたよ」  と、アンタルケは報告した。 「機長だって、腹はへるだろうからね」  池野は言った。  二時頃、シェルパの少年たちは、もう一度別れの言葉を言いに来た。これからドウトコシ沿いのそれぞれの村に帰って行くので、別れを告げにやって来たのである。こんどの挨拶はひどく慌しかった。少年たちは小屋に飛び込んで来ると、五人の日本人たちに一人一人握手し、そしてそれが終ると、また慌しく走り去って行った。寸暇を得て、別れにやって来たといったそんな感じだった。  帰る時、ピンジョは入口で、もう一度架山の方に手をあげて、頭を下げた。そうした仕種《しぐさ》は、母親のない子供らしくていじらしかった。少年たちの中には、成人して世界に名を知られるようなシェルパになる者が居るかも知れなかった。ピンジョ、チッテン、ノルブ、ナムギャル、ドルジー、それからポーターのザンブー、キッチンボーイのムソリー、ほかにまだ架山が名前を覚えなかったたくさんの少年たちが居た。そうした少年たちに、架山は言葉には出さなかったが、  ——丈夫で生きろ。  と、一人一人に心の中で言った。丈夫で生きるということは、ここで生い育って行く少年たちにとっては、たいへんなことであった。  少年たちが帰って行ったあと、アンタルケと女たちは、再び小屋の中にテントを張り出した。戸外には小雨が落ち出していた。テントが張られると、架山はゆうべ寝不足だったので、寝袋の中にはいった。  二時間ほど眠って、テントから出ると、すっかり夜になっていた。とうとう飛行機は発てなかったのである。火の燃えているところへ行ってみると、機長の顔もあった。戸外にひとりで頑張っているわけにもいかず、仲間に入れて貰《もら》いに来たのであろう。機長は馬鈴薯《ばれいしよ》を頬張ったり、お茶を飲んだりしながら、みなとけっこう楽しそうに話している。 「あすは五時に飛び立つそうです。大丈夫かと訊いたら、絶対に大丈夫だと言うんです。僕たちより機長自身が帰りたがっています」  岩代は笑いながら言った。若いスイス人にしたら、こんなところで一夜を明かすことはやりきれないに違いなかった。しかし、こうしたことは度々経験しないわけにはいかないであろう。多少わがままで、気難しくなっても、仕方のないことかも知れない。 「今夜ここに寝た方がいいんではないかな。飛行機の中は寒いだろう」  架山が言うと、 「触らないでおきましょう。好きなようにさせておきましょう」  岩代は言った。九時頃、機長はアンタルケが出してくれた毛布を抱えて、自分の飛行機に帰って行った。 「やっぱり根性はあるな」  伊原は言ったが、確かに自分の飛行機に戻って行ったところは天晴《あつぱ》れと言うべきだった。  夜半二回眼覚めたが、二回とも雨の音が聞えていた。  全員六時に起床。滑走路に出てみると、もう空を見上げているパイロットの姿が見られた。雨はやんでいるが、雲は深く、南方の山の一角だけが姿を現わしているだけである。  機長をも混じえて、火を囲んで、朝食を摂《と》った。 「今日は大丈夫か」 「大丈夫」 「雲が深いではないか」 「やってみる。やってできないことはないと思う」  若いスイス人は、しきりに�トライ�という言葉を口に出している。 「無理しない方がいい」  池野が言うと、 「大丈夫だ」  パイロットは言う。 「君は独身かも知れないが、俺たちは女房子供もあるんだからな」  伊原の言葉を、岩代が英語に直してやると、 「僕にだって愛人はある」  機長は言って、笑った。その笑い顔は初々しく若かった。愛人はあると言ったが、愛人を作ろうと思ったら、何人の愛人でもできるだろうと思う。美貌《びぼう》でもあれば、度胸もある。気難しいところも、やはり魅力であろう。  食事が終ると、それぞれアンタルケに礼を言って滑走路に出て、飛行機に乗り込んだ。 「きのうよりもっと空の状態は悪いのではないか」  機にはいる時、岩代が、相変らず空を仰いでいるパイロットに言うと、 「きのうは悪かったが、きょうはいい。やってみよう」  若いスイス人は言った。  六時五十分離陸。渓谷に向かって斜面を滑走した機は、やがて機首を上に向けて、旋回しながら上へ上へとのぼって行く。雲は深い。パイロットは機内から空を窺《うかが》い、機は山肌を攀《よ》じのぼる感じで上昇していたが、やがて雲の上に出る。エベレストが雲の海の上に頭部だけを出している。  パイロットは背後の席を振り返って、うまく行ったろうと言うように笑ってみせた。一同ほっとする。  みなが雲海の上のエベレストをカメラに収めている間に、雲の間から下界が少しずつ見え出して来た。やがてカトマンズ盆地が青い絨毯《じゆうたん》を拡げ始めた。人間の住む地帯に舞い戻って来た感じである。  機がカトマンズ空港に着くと、架山たちは次々に若いスイス人と握手した。感謝の握手であると同時に、それは別れの握手でもあった。 「有難う。——さよなら」  架山は胸の前で手を合わせた。するとパイロットもまた同じように、笑いながらチベット人の挨拶《あいさつ》の仕方で応《こた》えて来た。架山は若いスイス人のために祈ってやったのである。祈る以外、この青年のためにしてやれることは何もないといった気持であった。 [#改ページ]     野 分  カトマンズに三日滞在して、ヒマラヤ山地の旅の疲れの癒《いえ》るのを待って、ポカラ行きの飛行機に乗った。こんどの飛行機は三十何人か乗りの旅客機であったが、ポカラ空港の上まで飛んで、雨のため引返してきた。やはりここも滑走路が草地なので、雨の日は着陸が無理だということであった。  次のポカラ行きの飛行機が出るまでには三日ほど待たなければならなかったし、三日待つのはいいとしても、また雨だと引返さなければならなかった。そんなわけで、多少心残りはあったが、みなで相談の結果、ポカラ行きは諦《あきら》めて、帰国の途に就くことになった。それに岩代も、伊原も、それぞれに大使館宛てに送られて来た家からの手紙によって、仕事の上で、一日も早い帰国が必要になっていることを知らされていた。一日も早く帰ったほうがいいことでは、池野も、上松も同様であった。その点、架山も例外であろう筈《はず》はなかったが、架山は会社からの手紙で、十日や半月、早かろうと、遅かろうと、さして変りない状態にあった。どうせはるばるやって来たのであるから、どこへでも行きたかったが、そうわがままを通すわけにはいかなかった。  ニューデリーで二泊、カルカッタで一泊、香港で一泊、そして香港から東京に向けて飛んだのは十月の中頃であった。ヒマラヤ山地で満月を見てから十一日ほど経っていた。  架山は、その旅の最後の飛行機の中で、大三浦のことを考えた。みはるのことも、みはるといっしょに亡くなった青年のことも考えなかったが、大三浦の顔だけが、何となく瞼《まぶた》に浮かんで来た。多少|鬱陶《うつとう》しい気持もあったが、その半面ある懐しさもあった。  こんど大三浦に会ったら、何か話すことがあるような気がした。いかなることか、その話すことの内容は、架山自身検討していなかったが、とにかく何か話すことがあるように思った。  架山は刻一刻日本に近づきつつある飛行機の中で、大三浦との会話を考えていた。  ——どんなところでございましょうか、ヒマラヤというところは。  ——いいところです。あなたなどが生れそうなところですよ。  ふいに、そんな会話が成立した時、架山ははっとした。確かにヒマラヤ山地の集落はどれも、大三浦が生れ、育ったところと言ってもおかしくはないだろうと思う。大三浦の郷里については知らないが、きっとあんなところではないかと思う。でなかったら、大三浦のような人間は育とう筈はないのである。  架山が大三浦という人間に対して、ある親しさを感じたのは、この飛行機の中に於《おい》てが初めてであった。これまで架山は、大三浦に対して、いつも釈然としないものを持っていた。素朴と言えば素朴だが、その素朴さもやり切れなかったし、謙譲と言えば謙譲だが、その謙譲さも我慢できなかった。架山には、時に、そのいずれもが胡散《うさん》臭く感じられた。取りようによっては、素朴なところも、謙譲なところも、図々《ずうずう》しさに変じた。どこかに人を喰《く》った図々しさを匿《かく》し持っている人間のように感じられた。  しかし、この飛行機の中に於て、大三浦のことを思い出した時、架山はひどく自分が素直になっているのを感じた。大三浦は素朴な人間であり、謙譲な人間であり、人のいい人間であり、それ以外の何ものでもなく思われた。架山は、ドウトコシの河岸の宿営地で、満月の夜、琵琶湖に舟を出している大三浦の姿を思い浮かべたことがあったが、この時もまたその満月の夜と同じ大三浦の姿を瞼の上に思い描いていた。その姿には、どこにも非難すべきものはなかった。七年前に亡くなった二人の若い男女の死を悲しんで、毎年のように湖心に舟を浮かべている一人の老人の姿があるだけであった。その老人が、亡くなった二人の、どちらの父親であろうと、今やそんなことはどうでもよく思われた。不幸だった二人の若い男女と、それを未《いま》だに悲しみ悼んでいる一人の老人がそこには居るだけであった。  架山は今まで、自分が大三浦という人間に対して素直になれなかったことが、ふしぎに思われた。どうして、こんなことが判らなかったろうという気持だった。  架山は帰国して、ヒマラヤ疲れが癒《なお》ったら、琵琶湖へ出掛けてみようと思った。渡岸寺のあの颯爽《さつそう》たる十一面観音にも、もう一度会いたかったし、まだ見ていない湖畔のたくさんの十一面観音も、できるなら、それを拝みたいと思った。十一面観音を拝みたいという気持は以前からであるが、大三浦という人間に対する見方の変化は、こんどのヒマラヤの旅によって新しく得たものと言うことができた。みはると話すことはできなかったが、しかし、今の架山には、そのことはたいして問題になっていなかった。  羽田空港に着いて、税関から吐き出されると、一行それぞれに出迎えの者が待っていた。架山の場合は、出立の時の見送り人よりずっと多い人たちが集っていた。 「いずれ打揚《うちあげ》式は改めてやることにして、今日はこれで別れたら?」  池野が言ったので、みなそれに同意した。架山と池野は東京であるが、あと三人はそれぞれ行先を異にしており、否応《いやおう》なしに別行動を取らざるを得なかった。  架山はみなと別れて、会社で用意してあった小さい待合室にはいった。そして出迎えてくれた人たちを前にして、形ばかりの挨拶をし、出迎えに対する礼を述べた。 「あんまり黒くなっていないじゃないか」  と言うのもあれば、 「前より肥《ふと》ったよ。本当にヒマラヤに行ったのか」  そんなことを言うのもあった。また、 「ご無事でご帰還なさいまして。——雪男は出ませんでしたか。怖いところにお行きになりましたなあ」  そんな挨拶にもぶつかった。料亭のお内儀《かみ》である。  やがて、一人ずつ待合室から出て行って、少し静かになった頃、顔見知りの若い新聞記者が近寄って来た。 「いかがでした、月見は?」 「いい月が出た」 「きれいでしたか」 「まあ、きれいというんだろうね。エベレストを始め、雪をかぶっている山々が銀色に輝いて」 「月光|皎々《こうこう》」 「そういう感じはないね。永劫《えいごう》というか、何か人間という存在を小さく見せる神秘的なものを感じた」 「レクリエーションにはなったでしょう」 「まあ、ね」 「改めて、東京という町のことを考えましたか。——たとえば公害とか、道路事情とか」 「全然考えない。考えたらレクリエーションにならないよ」 「なるほど、そりゃそうですね。しかし、何かを考えたでしょう、実業家として」 「甚だ申し訳ないが、何も考えなかった。ただヒマラヤ山地の人々の生活を見て、どんなに生きにくい条件があっても、なおそこから離れないで、そこに定着している人間があるということを知った。生きにくい条件の中で、神に祈って生きている。打たれたね」 「どういうところに打たれたんですか」  架山は記者の顔を見た。しかし、記者の質問を咎《とが》めるわけにはいかなかった。 「それが、僕自身にも判らないんだ。どういう点に感動したか、これから東京の生活の中で考えてみたいと思っている」  架山は言った。実際そう思っていたのである。  帰国して一週間ほど経った頃、架山は会社で大三浦からの電話を受けとった。 「お帰りなさいませ。ご苦労さまでした。さぞお疲れになりましたことでございましょう」 「有難う。多少は疲れましたが、まあ元気です。あなたの方はお変りありませんか」 「私の方は相変らずでございます。貧乏暇なし、しかし、体は至って元気でございます。新聞でご帰国のことを知りました。エベレストの満月はすばらしかったようでございますね。あの夜、私は私で湖に舟を出しまして、供養いたしました。エベレストの月には遠く及びませんが、琵琶湖は琵琶湖で、なかなかいい月でございました。よく二人に申しました。いま月光の中で二人のことを考えているのは、この私だけではない。エベレストの月を見ながら、私以上に二人の冥福《めいふく》を祈っていらっしゃるお方がある」 「いや、有難う。それは、有難う。さぞ二人は悦《よろこ》んだことでしょう」  架山は、事件以来初めて大三浦の前で、この時、みはると青年をいっしょにした�二人�という言い方を口から出した。二人の死の真相が何であれ、それは永遠に判らないことである。ボートにいっしょに乗ったという事実だけを認める以外仕方なかった。それだけがただ一つの確かなことであった。ボートを顛覆《てんぷく》させたものが突風であったか、相手の青年のボートを操る技術の拙《つたな》さにあったか、それを今更問うても始まらなかった。どちらであろうと、事故は起きてしまったのである。それからまた青年の自殺事件に、みはるは巻き込まれてしまったのではないかと、いつか架山の頭を掠《かす》めたことのある疑いも、またそれとは違って、二人は心中したかも知れないという大三浦の勝手な想定も、共に今となっては意味をなさなくなっている。永遠に解決できない問題は、どこへも行きようはなく、永遠に同じところに置かれているだけである。そんなことはどちらでもいいではないか。おそらくどちらでもないだろう。歳月は雪が積るように、事件の上に積っている。今はただ若い男女の死があるだけである。言い方をかえれば、事件をそのように解決させるために、歳月というものは、その事件の上に降り積んで行くのである。  いまの架山は、こんな気持であった。これは、ヒマラヤの山地で、遠く小さい日本の、その中の遠く小さい湖の、そしてその小さい湖に沈んでいる二つの小さい死体を思った時、架山の心に生れた事件への感懐であり、解釈であった。永劫という時間の中に置いた時、架山は初めて事件をそのように考えることができたのである。 「一度、お会いしたいですね」  お世辞でなく、架山は言った。妙に大三浦と会ってみたかった。 「上京なさることありますか」 「めったにございません。殆《ほとん》ど暇という暇を、例の湖畔の観音さまの方に使っておりますので」 「そうでしたね」 「大体、毎月、月の初めの三、四日を、観音さまのためにさいております」 「こんど、またお邪魔して宜《よろ》しいですか」 「どうぞ、どうぞ。いつでも悦んでご案内いたします。十一月の初めは、いかがでございますか。十一月の初めは、古い観音さまを一つ見せて頂くことになっております。もう、大丈夫でございます。やかましい堂守でございましたが、どうにかお厨子《ずし》の扉を開くところまで漕《こ》ぎつけております」 「十一月初めは、ちょっと難しいと思います。十二月の初めでしたら」 「宜しゅうございます。それでは、十二月の初めに、幾つかご案内できるように、お膳《ぜん》立てをしておきましょう」 「もう、ずいぶんたくさんの十一面観音を拝んでいらっしゃるでしょう」 「いや、あまりはかばかしくは参りません。もう、あと十体ほど拝みますと、近江の十一面は大体。——でございますが、あとの十体は、どれも難物でございます。六十三年目に扉を開けますのもございますし、鍵《かぎ》をなくしてお堂は開けることのできないのもございます。本当に鍵をなくしておりますか、どうか、その点ははっきりいたしませんが、なくしたと言われますと、どうすることもできません」 「お泊りになるのは佐和山さんのところですか」 「左様でございます。最近は佐和山もすっかり十一面に夢中になっております。おひとりでお出掛けの時は、佐和山にご連絡なさるのが宜しゅうございましょう。土地に住んでおりますので、始めたのはこの間でございますが、もう十体近く拝んでいるようでございます。匿《かく》しておりますので、よく判りませんが」 「匿していると言いますと」 「自分は拝んでいるんですが、それを私に匿しているんでございます。そういうところはちょっと信用のおけぬところがございますが、そのほかは、まあ、よくできた男と言って宜しゅうございましょう」  大三浦は言った。  十月末から十一月にかけて、架山は忙しく過ごした。別に新しい仕事を計画しているわけでもなく、むしろ徐々に仕事を整理、縮小して行く方向にあったが、それはそれで面倒な問題があった。 「時の利を得ている時は仕事は勝手に動いて行く。黙って見ていればいい。ところが反対に、戦線を縮小して、兵を纏《まと》めて行くといったことになると、むやみに忙しくなるね。ちょっとでも手を抜くと、たいへんなことになる」  架山は社の幹部に、こんなことを言ったことがある。実際にそう思ったのである。  仕事で、嫌なことが幾つか重なって、鬱陶《うつとう》しい思いになっている時など、岩代や伊原たちから電話がかかって来ると、瞬間、気持は晴れた。 「今日の新聞をごらんになりましたか。凄《すご》いエベレストの写真が載っています」  大抵、そんな報告だった。山に関すること以外では、めったに電話はかかって来なかった。登山家というものは、本当に山が好きだと思う。これだけ夢中になれるものがあるということは、人間仕合わせであるに違いない。  十一月末に、三日ほど暇ができた。外国の商社との間に結ばれてあった契約を更新しなければならなくなり、そのための会議に十一月末の三日間を当てていたのであるが、先方の事情で、それが月が変ってから行われることになったのである。  架山は十二月の初めに琵琶湖に出掛けて行って、大三浦に会い、彼に案内して貰《もら》ってまだ見ていない十一面観音を拝もうと思っていたが、それが会議の日取りの変更のために、だめになってしまった。  架山は、十一月の終りの三日間を琵琶湖行きに当てることにした。大三浦には会えないが、それはそれとして、湖畔の宿で二、三日のんびり休んで来ようと思ったのである。ヒマラヤの旅から帰って、まだ今日までに休養らしい休養は取っていなかった。どうせ休養を取るなら、みはるの眠っている湖の畔《ほと》りがいいと思った。二、三年前なら、こうしたことは夢にも考えられないことであった。琵琶湖という名を聞いただけでも胸は痛み、その湖の面に眼をやるにはそれだけの覚悟が要ったのである。が、いつか、そうした時期は過ぎていた。  ——みはるよ。ヒマラヤでは、結局話はできなかった。こんどは君の眠っている琵琶湖に出掛けて行く。湖畔の宿なら、倦《あ》きるほど、君と話ができそうな気がする。  架山はそんな気持だった。十一面観音も、どこか一つぐらいは、自分の力で見ることができそうに思う。  架山は午後の列車で東京を発《た》ち、米原で下車、すぐタクシーで長浜の町中の旅館へ向かった。事件の時以来、ここへ来る度にいつも厄介になっている旅館である。  その夜、南浜の佐和山のところへ電話をかけた。 「東京の架山ですが——」  と言うと、相手はすぐ判ったらしく、 「いらっしゃいませ。どこかひどく遠いところへいらしったと、大三浦さんから伺っておりましたが」  と言った。 「あす、あさってと、もう二泊ほどしたいんですが、お宅にご厄介になれますか」 「私のところですか。——来なさることは結構ですが、お構いできませんでな」  それから、 「ともかく、これから、そちらに伺いましょう」  佐和山は言った。  一時間ほどすると、佐和山はやって来た。とっくり首の毛糸のシャツの上に上着を羽織っている。 「あんたさまも、諦《あきら》められんと見えますな。こうやって琵琶湖を見に来なさるところを見ると」  佐和山は言った。 「まあ、ねえ、娘ですから。——しかし、もう娘のために涙を出すことはありませんよ。前にはよく涙が出ました。人前ではそういうことはありませんが、夜中などに眼を覚し、寝床の中で娘のことなど考えていますと、ふいに涙が出て来ました。が、いまは、もうそういうことはありません」  架山が言うと、 「そうでしょうねえ。やはり歳月ですわ。そりゃ、悲しみの薄らぐ筈《はず》はないでしょうが、当然涙は出なくなりましょう。人間、そういつまでも、めそめそしているわけには参りません。そこへ行くと、あの大三浦の老人は、変っておりますな。変っておりますとも。えら変りや。ああめそめそ、死んだ息子のことばかり言っててはいけません。みっともないし、じじむさい。私は一度、あの老人に言ってやりました。辛《つら》い、辛いと言うのはいいが、私の前で言うな。まるで面当《つらあ》てに言っているように聞える!——そうしましたら、怒りましたな。えらい怒り方でしたわ。いや、大|喧嘩《げんか》しました。私も敗けてはいませんでした。そりゃ、私のところのボートで顛覆《てんぷく》したことは事実です。だから、ずうっと、肩身狭い思いをして来ています。それなのに、大きな顔をして、人に何かと言い付けて、それが思うようにならんと、難しい顔をしよる。もう、ああなったらだめですわ。ぼけました。ぼける年齢《とし》ではないのに、とうとうぼけてしまった」  佐和山は言った。 「この間、大三浦さんと電話で話しましたら、あなたが自分の見た観音さんのことを匿しているというようなことを言っていました」  架山が笑いながら言うと、 「そうですか、そんなことを言っておりましたか」  佐和山も笑って、 「あのひと、もうあと五体か、六体しか残っていないと思うんです。湖畔の観音さまという観音さまは、みんな押しのひと手で見てしまいました。あとに残っているのは難物ばかりです。お堂の管理をしている人が頑固だったり、堂守がいっこく者だったりして、なかなか拝ませてくれません。その中の一つを私がひとりで拝みましたので、そのことを恨んでいるのでございましょう」 「一体、それはどこの観音さまのことですか」 「医王寺《いおうじ》の十一面観音さまです。これは、また何とも言えずいいお姿をしていらっしゃる観音さまです。山の中の無住のお堂にお住まいで、村の人が管理しておりますが、お堂を開けて貰うのは、容易ではありません。みんなが集って相談した上で、それでは拝んで貰おうと言うことになります。私は、祖父がその村から出ている関係で、いろいろつてがあって拝ませて貰えます。もしお望みなら、あすにでも、ご案内いたしましょう」 「拝めますか」 「大丈夫です。あすの朝、先方に電話して、誰かに鍵《かぎ》を持ってお堂の前に待っていて貰います」 「そうですか。では、拝ませて頂きましょう。——大三浦さんはまだ拝んでいないんですね」 「そうです。うるさいですからね、あのひとは」 「でも、可哀そうですよ」 「いや、年が改まったら見ることができます。お堂を開く日が一月何日かに決まっていて、大三浦老人も、それを知っています。その日でいいですよ。何も一日を争うことはありません。それにうっかり紹介しますと、あとで村の方から文句を言われます。最近は、あなた、長々とお経をあげたりしまして、手間がかかります」 「ほう、お経をよみますか」 「いや、もう達者なものです。二つも、三つもお経をあげます。そういうところは見境いがありません。堂守の方は迷惑します」  佐和山は言った。 「すると、大三浦さんは、その医王寺の観音さまのことで、あなたを怒っているんですね」 「それもありますが、長命寺の観音さまのこともあります。この方は三十三年目に一回の開扉で、普通にはなかなか拝めません。一年に一回お厨子《ずし》の掃除がありますが、その折りを覘《ねら》う以外仕方ありません。先月、そうして拝んだんですが、恨まれましたね、これには」 「教えてあげなかったんですか」 「教えるも、教えないもありません。当日の朝、知ったんです。大三浦老人に報《しら》せてやりたくても報せてやりようがありません。それでやむなく、私だけ拝んだんですが、怒りましたね、あの時は。烈火のように怒りました」 「————」 「そういうのを、げすの根性だと言いました。貸ボート屋の根性でもあり、民宿屋の根性だとぬかしました。私も腹を立てました。腹は立てましたが、我慢していました。何しろ、私のとこのボートで事件を起していますので、こういう場合は、じっと我慢する以外仕方ありません」 「————」 「私のとこのボートで遭難し、今も死体があがっていないので、私もボート屋をやめて、観音さま回《めぐ》りなどを始める気持になったんです。それなのに、あの老人は私を何だと思っているんでしょう。やたらに威張るんです。交渉ができていないと言っては怒り、話の持って行き方が下手だと言っては怒ります。ばかにしていますよ。何回お前さん出て行ってくれと言いかけたか判りません。こちらは商売で泊めているんです。あんまりうるさいことを言えば断わりますよ。でも、ねえ、夕方など裏の浜に出て、ぼんやり竹生島の方角を見ていられると、何とも言えなくなります。大抵の人が、七年も経てば傷口はいくらかでも塞《ふさ》がります。それなのに、あのひとは違います。先月などは、あなた、寝言で子供の名前を呼んでいるんです」 「ほう」 「いい加減にしてくれと言いたくなりますよ。私にしてみたら、まるで面当てとしか思えないんです。そんなに諦められないんなら観音さま回りなどやめて、自分で飛び込んだ方が早いと言ってやったことがあります、そうしましたら考え込みましてね。——あの時は困りました。自殺でもしかねないと思いまして、家内と交替で見張りですわ」  佐和山は佐和山、大三浦は大三浦で、いろいろなことをやっていると、架山は思った。  翌日、九時に佐和山がくるまを持って迎えに来てくれた。架山は宿の勘定をすまして、佐和山のくるまに乗った。 「これから、このまま高月町の充満寺《じゆうまんじ》という寺に参ります。ここに、私もまだ見たことのない十一面観音があります。いつか折りがあったら拝みたいと思っておりましたが、丁度いい機会ですので今朝ほど電話で交渉してみました。すぐには拝めないようなことを、大三浦老人が言っておりましたので、なかなか難しいのではないかと思っておりましたが、なんの、あなた、二つ返事で気持よく拝ませて貰《もら》えますがな」  佐和山は言った。 「大三浦さんは拝んでいるんですね」 「あのひとは、確か一昨年の秋、見せて貰ったと思います。まあ、これで、私も新しい十一面観音さんを一つ拝むことができます」 「有名なんですか」 「そういうことになりますと、とんと知識がございませんが、よく充満寺の観音さま、充満寺の観音さまというのを耳にしますので、やはり名のある観音さまではないかと思います」  くるまは国道八号線を高月町に向かっている。長浜の町を出ると、右手に山脈が重なって見え、左手には田圃《たんぼ》が拡がって来る。湖との間の平坦《へいたん》地がみごとな耕地になっている。  やがて右手前方に山が五つほど重なって見えて来た。 「ゆうべお話申しあげました医王寺というのは、向うに見えている山と山との間にあります」 「ずいぶん遠いんだね」 「くるまでしたら、たいしたことはありません。さきに充満寺に行き、それから医王寺に向かいます」  そんなことを話している時、架山はくるまが渡岸寺へのはいり口を通過して行くのに気付いた。 「渡岸寺はここから曲るんだったね」 「そうです」  暫《しばら》くすると、架山はまた言った。 「石道寺へ行くのは、ここを曲るんじゃなかったかな」 「そうです。よくご存じですね」 「大三浦さんと行ったものね。——あなたは?」 「私の方はまだ拝んでおりません。大三浦老人がいつか連れて行ってやると言いましたので、それを当てにしているんですが、どうも、ね」  佐和山は言った。 「いい観音さまだから、機会があったら拝むことですね。だが、なかなか簡単に拝まして貰えないことも事実です」  架山は言った。村娘に似た十一面観音の面輪《おもわ》が、何とも言えぬ懐しさで、架山の眼に浮かんで来た。  やがて、くるまは国道から左に折れて、湖畔の平原の中にはいって行く。山に突き当ったり、山|裾《すそ》を回ったり、山を越えたりする。そして最後にくるまが停まったのは山裾の小さい集落の中の寺の前であった。大きな山門のある立派な寺であった。時計を見ると、長浜の宿からこの充満寺という寺まで四十分ほどかかっている。  佐和山は自分だけ山門をくぐって、庫裡《くり》の方へ行ったが、暫くすると戻って来て、 「この近くに薬師堂があって、観音さまはそこにはいっているそうです。いま寺の人が案内してくれます」  と言った。間もなくこの寺の住職らしい人と、酒屋の前掛けをした人物の二人がやって来た。 「この人が総代さんでして、鍵《かぎ》を持って来てくれました」  住職は、佐和山にとも、架山にともなく、前掛けの人物を紹介した。  架山と佐和山は総代さんのあとについて歩いて行った。寺からごく近いところに広場があり、そこに小さいお堂が二つあった。一つは阿弥陀《あみだ》堂、一つは薬師堂で、十一面観音は薬師堂の方にはいっているということであった。二つのお堂はいずれも雪を防ぐためか薦《こも》で囲いがしてある。  総代さんがお堂を開けてくれたので、佐和山と架山は内部にはいった。正面にお厨子が見えている。総代さんはまたお厨子の扉を開けてくれる。二体の仏像が並んで立っている。いずれも等身大である。 「右は薬師如来、左は十一面観音です」  住職が説明してくれる。  架山はさきに薬師如来立像を拝んでから、十一面観音像の前に立った。がっちりした体格の観音さまである。頭の仏面は小さく、しかも煤《すす》けて真黒になっており、殆《ほとん》ど彫りや刻みは判らない。いつか体だけに漆が塗られたらしく、体だけが黒く光っている。顔も堂々としており、胸のあたりも、僅《わず》かに捻《ひね》った腰も堂々としている。 「なかなか立派な観音さまですね」  架山が言うと、 「この観音さまをお守《も》りしていますと、ほかの観音さまが貧弱に見えてきて困ります。何しろ、胸も厚いし、腰回りもみごとです」 「いつの頃のものですか」 「藤原時代の作だということです。大正十五年に重文に指定されています」 「琵琶湖の方を向いて立っておられますか」 「いや、琵琶湖は背になります。琵琶湖に背を向けてお立ちになっていらっしゃいます」  総代さんは言った。  総代さんがお堂を閉める間、架山と佐和山はお堂を出て、冬枯れた田圃の拡がりに眼を当てていた。晩秋と言うより、もう完全に冬の眺めである。遠く正面に山が重なって見えている。 「左手のが己高山《こだかみやま》、右が小谷《おだに》山、遠くに伊吹《いぶき》が見えています」  住職が説明してくれる。 「琵琶湖は?」 「反対側になります。この裏の山を西野山と言いますが、西野山の向う側が琵琶湖になります」 「なるほど、そうなると、観音さまは琵琶湖に背を向けていらっしゃることになりますね。以前からこうしてお立ちだったんでしょうか」  架山は訊《き》いた。 「さあ、昔のことは判りません。この二体の仏像ももとは泉明寺《せんみようじ》という大きな寺にあったものらしゅうございます。何でも己高山一帯に大きな伽藍《がらん》があり、たくさんの寺があったと言われていますので、泉明寺もそうした寺の一つであったろうと思われます」 「————」 「その寺が、浅井時代に兵火にかかり、建物は焼けましたが、仏像だけは救い出され、在所の人の手でお堂が造られ、ずっとそこにはいっていました。いまのお堂は、それを造りかえたものです。そうですね、このお堂を造ってから、もう二十五年ほどになりましょうか」  架山たちは、住職の勧めで充満寺に戻り、庫裡でお茶をご馳走《ちそう》になってから、そこを辞した。 「これから医王寺に参ります」  くるまに乗ると、佐和山は言った。 「さっき見えた山の向うだと言いましたね」 「そうです。しかし、たいしたことはありません。小さい山を一つか二つ越します」 「十一面観音を拝むのもたいへんですね」 「まことに。——でも、拝んだあとは気持のいいものですね。大三浦老人が夢中になるのも判りますよ。夏頃、あの人に連れられて、二、三体拝んでいるうちに、とうとう病みつきになってしまいました」 「僕も同じだな。大三浦さんのおかげですよ。あのひとに連れられて渡岸寺の観音さまを見せられ、石道寺の観音さまを見せられ——」 「それはそうと、山へ行くと少し寒いかも知れませんよ」  佐和山は言った。架山も、寒くなるかも知れないと思った。気温は落ちている。秋はゆうべのうちに終り、きょうは完全に冬になっているのである。  くるまは木之本町にはいり、そこから山間部にはいって行く。道は谷間《たにあい》に沿って走っていて、全くの山の中の感じである。  やがて峠を越える。湖畔の観音さんを見に行く感じではない。道は次第に下って、高時川という川を渡り、川合という集落にはいる。そしてそこを抜けて、高時川に沿って上流へと溯《さかのぼ》って行く。山奥へ、山奥へと、はいって行く感じである。杉林が続いている。 「このへんは、冬になると、雪が深いですよ」  運転手が言う。 「これから行くお寺は、この川の上流なんですね」  架山が言うと、 「そうです。もう近いと思います」  それから運転手の方へ、 「もう少し行くと、橋があるから、その袂《たもと》で降ろしてくれ。橋の向うに観音堂があるが、そこまではくるまははいれまい」  佐和山は言った。  やがて、橋の袂でくるまは停まった。付近に農家が点々としているが、集落といった感じはない。農家はどこも軒まで薪《まき》を積みあげている。  くるまを降りた時、架山は淋《さび》しいところへ来たといった思いを持った。付近には何軒か家もあり、くるまの走る道もあり、別に人跡|稀《まれ》な土地へはいったわけではなかったが、何となくひどく淋しいところに来たような気持になった。どうしてそういう気持になったか、すぐには判らなかったが、橋を渡って、観音堂のある方へ歩いて行く時、 「あれ、野分の音でしょう」  架山は足を停めた。遠くに風の渡る音が聞えていて、こんなところに淋しさの原因はあるかも知れないと、その時架山は思った。 「いつか風が出ているんですね。凄《すご》い音ですな」  佐和山もまた足を停めて、風の音に耳を傾けている。二人が立っている道の両側には大きな薄《すすき》が密生していて、その枯れた茎がいっせいに風に揺れ動いており、何となく茫々《ぼうぼう》としたとりとめない感じである。  間もなく、その薄の道の左手に、観音堂の建物が見えた。傍に「国宝十一面観世音|菩薩《ぼさつ》」と大きな文字を刻んだ石の碑が立っている。こうした碑が立っているところから見ると、誰でもはいって簡単に拝めそうに思われる。 「自由にはいれるんじゃないの?」  架山が訊くと、めっそうなというふうに佐和山は大きく首を振り、 「この観音堂も無住ですし、このお堂を管理していることになっている医王寺という寺も無住です」 「その医王寺という寺は遠いの?」 「いや、このお堂の横手に見えていますが」  なるほど、観音堂から一段下がった隣接台地に寺らしい建物が見えている。 「ここで待ち合わせることになっているんだが、誰も居らんな」  佐和山はそんなことを言いながら、寺の方へ歩いて行った。架山は小さいお堂の前に立っていた。相変らず時折り野分の通って行く音が聞えている。どのような観音さまか知らないが、このような山奥の無住のお堂にひとりで住んでいることはたいへんだと思う。これから当分の間、付近の山野を二つに割って行く野分の音ばかりを聞くことであろうし、野分の音が聞えなくなると、そのあとは雪である。お堂はすっかり雪に包まれて、内部は冷蔵庫のようになってしまうことであろう。  佐和山が洋服姿の中年の男のひと二人といっしょにやって来た。いずれも見るからに朴訥《ぼくとつ》そうな人物である。 「よく拝みに来て下さいました」  一人が言った。 「お忙しい中を」  架山が言いかけると、 「なんの、お安いことです。私たちも、こうした機会がないと、観音さんを拝めません。特に拝みたいという人があれば、いつでも悦《よろこ》んで扉を開けますが、なかなかそんなことを言って来る人はありません」  もう一人の人物が言った。こんなことを言うところからみると、秘仏にはなっていないようである。  やがてお堂の扉が開けられ、みんな堂内にはいった。正面に須弥壇《しゆみだん》が設けられてあり、その前は畳敷になっていて、十七、八枚の畳が敷かれてある。  腰ぐらいの高さの須弥壇の上に、お厨子《ずし》が置かれてあり、すぐその扉が開かれた。 「ほう」  架山が思わず感歎《かんたん》の声をあげると、 「きれいな観音さまでしょうが」  と、厨子の扉を開けてくれた人物が言った。 「若くて、きれいですわ。きれいなくらいですから、おしゃれです」 「いいお顔をしていらっしゃる」  架山が言うと、傍にいた佐和山が、 「人間にはありませんな、これだけの美人は」  と、言った。確かに端麗な顔の十一面観音である。等身大よりやや小さいが、全身をいろいろな飾りもので飾っている。胸飾りも多いし、頭飾りも多い。歩き出したら、あらゆる飾りが鳴り出しそうである。  胸のふくらみは殆《ほとん》どなく、総体にきりっとした体つきで、清純な乙女の体がモデルに使われてでもいそうに思われる。以前は全身金色に輝いていたのであろうが、いまは大部分が剥《は》げて黒くなっている。あるいは護摩《ごま》の煙で黒くなったのかも知れない。  観音堂は昭和五、六年に建てられたものらしく、それ以前は十一面観音は医王寺の方に祀《まつ》られてあったと言う。 「その頃は無住のお寺ではなかったんですね」  架山が訊《き》くと、 「昔はかなりの寺だったらしいです」 「観音さまは、ずっとこの寺にあったんですか」 「いや、長浜の古い鋳物屋の店先にあったのを、この寺の坊さんが持って来て、ここにお祀りしたと言うことです。栄観とかいう名の坊さんです。その栄観が持ってきてお祀りした。明治二十七、八年頃のことだと伝えられております」  架山は改めて、美しい十一面観音の面に視線を当てた。 「いつ頃のものですか」 「藤原時代のもので、一本の木で造られているということです。——どうです、向うの寺の方で休んで頂きましょうか」  その言葉で、 「有舞うございました。おかげさまで、きれいな十一面観音を拝むことができました」  架山は礼を言った。厨子の扉が閉められ、堂の扉が閉められた。  医王寺に案内される。寺は大きい構えを見せているが、いまはすっかり荒れてしまっている。玄関も、長い縁側も、みな戸締りされてあって、庫裡《くり》の入口だけが開いていた。  内部へはいると、広い土間があって、あがり口の広い板敷の間の一隅に炉が切ってある。大きな薪《まき》がくべられて、赤い|※[#「火+啗のつくり」、unicode7130]《ほのお》を見せている。みんなでその囲炉裏を囲んだ。 「もったいないですね、このお寺は」  架山は言った。 「もったいないですが、と言って、誰も住み手はありません。すっかり荒れていますし、冬は一メートル以上の雪が積ります。人家から離れていますので、何かと不便です。まあ、観音さんぐらいしか住めませんわ」  一人が言った。それにしても、美しい観音さまではあるが、なかなかたいへんな過去を持っていると、架山は思った。長浜の鋳物屋からこの山奥の寺へ、そして観音堂へと、判っているだけでも三度、居を変えている。長浜の鋳物屋以前の歴史は不明である。この土地で造られたのか、あるいは他国で造られ、湖畔に移って来る運命を持ったのか、そうしたことは何も判っていない。 「春になったら、もう一度来ませんか。このへんも春はのどかでいいです」 「来たいですね」  架山は言った。たくさんの装身具を頭や胸につけた乙女の観音さまを拝むのは、春光と春風のもとが一番いいに違いないと思われた。  医王寺を辞して、架山と佐和山は再び枯薄の荒れた道を通って、橋を渡り、くるまのところに戻った。 「こんどは西浅井《にしあざい》の山門《やまかど》へ行ってくれや」  佐和山が運転手に言うと、 「腹に何か詰め込まんとな」  運転手は言った。 「腹がへっているのはお前ばかりではない。木之本の町にはいったら、よさそうなところへ着けろや」 「よし」  それから、 「おそい飯食って、山門まで行くと、帰りは暮れるぞ」 「暮れることはあるまい」 「いや、暮れるな」 「暮れるなら暮れても構わんが」  佐和山と運転手はそんな会話を交して、煙草をくわえている。 「では、出発しますか」  佐和山の言葉で、架山はくるまに乗った。  木之本の町中の食堂で遅い昼食を摂《と》った。架山は饂飩《うどん》を、佐和山と運転手は何かどんぶりものを注文した。  くるまは木之本町から、敦賀に向かう国道に出る。賤ケ岳トンネルを出ると、道は暫《しばら》く湖に沿い、正面に竹生《ちくぶ》島が見えている。  架山は竹生島を見ても、気持がさほど揺れないことを確かめるような気持になっていた。大三浦なら、きっと息子への言葉を、声に出して言うのではないかと思った。  架山は警察署のモーターボートで、竹生島の周辺を回った時のことを思い出していた。昼間のこともあれば、暮れ方のこともあった。水の色も、水の騒ぎも、水の面への陽の散り方も、夕明りの漂いも、その時その時で、架山はよく思い出すことができた。あの何日かは、自分の生涯の中で最も辛《つら》い時だったと思う。  架山は七年前の湖上の出来事を、遠い一枚の絵として眺めることができるようになっていた。その一枚の絵の中には、自分も居れば、大三浦も居る。もちろんみはるも居れば、大三浦の息子も居る。  歳月というものが、自分をこのように変えてしまったと、架山は思う。しかし、あらゆる物が風化して行くように、自分たちの事件もまた風化して行くのである。静かに風化せしめよ。愛も、憎しみも、悲しみも、怒りも、みな風化せしめよ。架山はそんな気持になっている。  暫くくるまは入江のようにはいりこんでいる湖の縁を走っていたが、やがて湖岸から離れて山間部に向かった。  長いトンネルを抜けて、盆地に下ったり、また山へはいったりする。大浦という集落の入口から再び山にはいる。辺りは全くの田舎の風景である。  やがて山門という集落にはいった。目差す善隆寺《ぜんりゆうじ》という寺は山際にあって、付近には藁《わら》屋根の農家が点々としている。寺の境内は幼稚園にでもなっているのか、すべり台やブランコが設けられてあり、それを取り巻くように本堂、鐘楼、庫裡などが並んでいた。収蔵庫と思われる建物もあるので、十一面観音像はそれに収められているのかも知れない。  佐和山が庫裡の方へ顔を出している間、架山は近所の農家の内儀《かみ》さんらしい女性と立ち話していた。 「幼稚園ですか、ここは」 「農繁期の託児所です。その時は賑《にぎ》やかですが、いまは静かです」 「あれは観音さまの収蔵庫ですね」 「そうです。四十年にできました。観音さんも、とうとうあんなところへ入れられてしまいました」 「立派な収蔵庫じゃないですか」 「そりゃ、あそこに居なされば、火の心配も、水の心配もありません。でも、息苦しいでしょうね。拝みたいという人が来たら、寺でもせいぜい拝んで貰《もら》うようにしておりますが、そうでもしてやりませんと、観音さんも堪《た》まりませんが」  そんな会話を交している時、住職がやって来て、収蔵庫の扉を開いてくれた。  身長一メートルの小振りの観音像である。頂上仏は大きい。住職の説明によると、平安時代の檜《ひのき》材|一木《いちぼく》造り、頭部に戴《いただ》いている仏面の一つは欠けており、重文の指定は大正十五年であるという。決してすらりとした感じの観音さまではない。ずんぐりして、がっちりした体付きである。横手に回ると、これこそ日本で、しかもこの地方で造られた観音さまだという気がする。顔も健やかで福々しい。 「腰は殆《ほとん》んど捻《ひね》っていませんね」  架山が言うと、 「腰を捻るなんてことは嫌いなんでしょうな。この観音さんは」  佐和山が言った。そう言われてみれば、そうかも知れないと思う。飾り気というものの全くない質実な美しい女体《によたい》を、この観音さまは持っておられる。 「この収蔵庫にはいる前は、どこにおられたんですか」  架山が訊くと、 「ここから二〇〇メートルほど北の山際に神社がありますが、その神社の隣に観音堂がありまして、長くそこにはいっておりました。が、そのお堂が雨もりがひどくなって、棄ておけなくなりましたので、ここに収蔵庫を作りました」  住職は言った。 「この集落全部でお守《も》りしているんですか」 「いや、そうだといいんですが、——この観音さまをお守りする講ができていて、それが管理したり、お祀《まつ》りしたりしているんですが、その講をつくっていますのが、なにぶん今は五軒だけでして。——その五軒が交替でお守りしています。講の名は和蔵《わくら》講と言いますが、昔、隣の庄村の和蔵というところにお堂があって、そこに観音さんははいっておりました。そんなところから和蔵講と呼んでいます。大正十五年の重文指定の書付には�和蔵堂旧蔵�と記してあります。和蔵堂にはいっている頃は、この善隆寺も庄村にありましたが、江戸末期になって、天台から真宗に宗旨替えしまして、こちらに移って来ました。その時観音さまだけはそのまま和蔵堂に置いて来たらしいんですが、何か夢のお告げがあって、こちらに移すことになったと聞いています。堂守の新三郎という者がそのいきさつを書いた文書《もんじよ》が、いまも寺に残っております。文化十四年の日付があります」 「和蔵堂以前のことは?」 「何も判っていないようですね。大昔から、このへんの土地の者がお守りして今日に到っているんでしょう」  架山と佐和山は、収蔵庫を出てから、庫裡《くり》に行って、お茶をご馳走《ちそう》になった。そして、そこを辞した時は、すっかり暗くなっていた。運転手が言ったように、帰りは夜になってしまったのである。  帰りのくるまの中で、佐和山も眠り、架山も眠った。充満寺、医王寺、善隆寺と三つの十一面観音を拝んだその疲れであった。まさに観音疲れであった。架山はうとうとすると、医王寺の観音像の顔が瞼《まぶた》に浮かんだ。はっとして眼を開くと消えるが、眠りにはいると、また現われた。幼い感じの美しい観音さまの顔であった。  架山はその夜佐和山家で厄介になった。いつも大三浦が泊るという同じ離れの六畳間に落着き、夕食の時は母家に行って、囲炉裏の傍で佐和山と二人でビールを飲んだ。 「こんなところに泊って頂くのも、ふしぎなご縁というものです。ごいっしょに観音さんを見て歩くのもご縁、ごいっしょにビールを飲みますのもご縁」  佐和山は言った。佐和山は十一面観音|回《めぐ》りのためか、以前とは多少人間が変ってしまった感じだった。言うことが抹香臭くなっている。  縁と言えば、確かに縁であるに違いなかった。大三浦という人間を知ったのも、佐和山という人間を知ったのも、みはるの事件のためであった。二人の若者が佐和山のボートに乗ったというだけのことで、三人の間にふしぎな人間関係が成立してしまったのである。それまでは誰も、湖畔の十一面観音像などにはいささかの関心も持っていなかった筈《はず》である。それがいまは、どうやら三人共、十一面観音に血道をあげている恰好《かつこう》である。 「あすは長命寺にご案内いたしましょう。私の持ち駒はもう三つしかありません。長命寺、円満寺《えんまんじ》、蓮長寺《れんちようじ》、——この三つ以外は、あなたさまもご存じのものばかりです。いかがでしょう、あすはひとつ、この三つをぐるりと回ってみましょうか」  佐和山は言った。 「三つとなると、なかなかたいへんですね。きょうもかなりの強行軍でしたが、あすもう一回、これを繰り返すことになると、お互いにばててしまいませんか」  架山は言った。 「いや、長命寺、円満寺の二つは、どちらも近江《おうみ》八幡《はちまん》市にあります。蓮長寺だけが中主《ちゆうず》町というところにあって、少しだけ離れていますが、たいしたことはありません。しかし、何も三つ回らなければならぬわけのものでもありません」 「どれか一つ見せて頂きましょう。あすは東京にも帰らなければなりませんから」 「と言うことになりますと、長命寺ですね。大三浦老人も見ていないのを、お目にかけましょう」  佐和山は言った。  長命寺と聞いて、架山は後込《しりご》みする気持になった。大三浦の見ていない十一面観音像を、医王寺以外に更にもう一つ先回りして見るのもどうかと思われた。 「大三浦さんより先に見るのは、どうも、ね」  架山が言うと、 「構いませんよ。あの人はあの人で、来年見せてやります。見せないというわけではない。来年、ちゃんと見せてやります」 「じゃ、僕の方も、来年にして貰いましょう。大三浦さんといっしょに見せて貰う、その方がいいですよ」 「そうですか。まあ、そうおっしゃるなら、そうしましょう。では、蓮長寺の十一面を拝みに参りますか」 「それは、簡単に見せてもらえますか」 「確か年に三回の開帳だったと思います。大三浦老人が、行っても見せては貰えない、行くだけ無駄だと、私にくどく言っておりました。ところが、行ってみましたら、ちゃあんと見せてくれました。秘仏ではあるが、わざわざ遠いところから拝みに来た人には拝ませないわけにはいかない、そう言って、拝ませてくれました。これが、本当だと思うんです。——どうも、大三浦老人は、自分のものでもないのに、見せ惜しみしていけません。二言目には、秘仏だ、秘仏だと言って、なるべく私などを近付けないようにします。どういう了見か、そういうところはよく判りません」 「僕などには、そういうところは見せませんがね」 「ふしぎに十一面観音のことになると、とたんに意地悪くなります。なるべく私に見せまい、見せまいとする。なにも自分だけ独占しないで、見せたらいいじゃありませんか。自分が見に行く時は、こちらにも声ひとつ掛けてくれたら、どんなに気持いいか。私の方も協力しますよ。あの人は他国者ですが、私は土地の者です。土地の者だけにできることだってあります」 「そりゃあ、そうでしょう」 「少しぼけました。息子を亡くして、苦労して、可哀そうにぼけてしまいました。観音さんも迷惑です、あんなのに食いつかれたら」  架山は、ふと大三浦に会いたくなった。佐和山に言わせると、ぼけたということになるが、まさか短期間にぼける筈はないと思う。佐和山の眼にぼけて見える、そんな大三浦に、架山は急に堪まらなく会ってみたくなったのである。 「大三浦さんのところへ電話はかかりますか」 「ええ、いつでも」 「どんなぼけ方をしたか、心配だから、電話をかけてみましょうか」  架山は言った。 「では、呼び出してみましょう」  佐和山は席を立って行った。間もなく、大三浦が電話口に出たことを、内儀《かみ》さんが報《しら》せに来た。  架山は奥の間にはいって行って、佐和山に代って、受話器を取りあげた。 「医王寺にいらしったそうですね。宜《よろ》しいでしょう、あそこの観音さまは。——あなたさまが来ておいででしたら、私もそちらにお伺いしたんですが、とんと存じませんで、残念なことをいたしました。あすはどうなさいます」 「あすですか。さっきからその相談をしていたんです。多分、佐和山さんに蓮長寺というお寺に連れて行って貰《もら》うことになりそうです」  架山が言うと、 「蓮長寺の観音さまも結構でございます。あすいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお伝え下さいませ。もう、かれこれ二年ほどごぶさたしております。長命寺にはいらっしゃいましたか」 「いや、まだです」 「それなら、この次の機会に長命寺の方をご紹介いたしましょう。三十三年目の開帳で、普通なら容易なことでは拝めませんが、時々、住職がお厨子《ずし》の掃除をいたします。その折りを覘《ねら》って参りますと、簡単に拝むことができます」  大三浦は言った。五分ほどで架山が受話器を置いて、囲炉裏端に戻ると、 「どうでした、大三浦老人は?」  と、佐和山が訊《き》いた。 「普通でした。ぼけているとも思いませんよ。この次に長命寺を紹介すると言っていました」 「本当ですか」 「本当です」 「変だな」  佐和山は立ちあがりかけたが、すぐまた坐《すわ》ると、 「とうとう、あの老人は長命寺の観音さまも見ましたか。ああなると敵《かな》いませんわ、見せてくれるまでは通いますからね」  佐和山は浮かない顔で言った。  翌日、佐和山の案内で、架山はくるまで蓮長寺という寺に向かった。寺のある中主町は近江八幡の町から三十分ほどのところにあり、近江平野のほぼ中央に位置していた。  この日も、晴れてはいたが、時折り、平原を野分が吹き渡って行った。秋と冬の、二つの季節の間を吹き抜けて行く風であった。きのう医王寺に行った時は、山野を二つに割る何とも言えず淋《さび》しい風の音であったが、平野で聞く限りは、そうした淋しさはなかった。しかし、野分であることは同じであった。この平野にも秋に替って、冬がやって来ようとしていた。  十一面観音が収められてある観音堂は、それを管理している蓮長寺という寺から少し離れたところにあった。  観音堂にはいると、正面奥にお厨子があり、その前は畳が二十枚ほど敷かれた部屋になっていた。寺の人の手で厨子の扉が開けられるのを、架山は観音堂の縁側に立って待っていた。  厨子の中から現われて来たものは、思いきって大きく腰を捻《ひね》った観音さまだった。胸も、腰も、肉付きはゆたかで、目も、鼻も、口|許《もと》も、彫りは深くはっきりしていた。姿態も、表情も、できるだけ単純化してあり、その点いかにも余分なところは棄ててしまったといった感じの観音像だった。  光背はなく、頭飾りも、胸飾りもなかった。頭に戴《いただ》いている十一の高い仏面は、単純な造りではあるが、それぞれの表情までが読みとれるほどはっきりと刻まれてあった。ひと口に言うと、陰翳《いんえい》のない観音像で、表情、姿態から受けるものは、それだけに意志的であった。  寺の人の説明によると、平安前期の作で、一木造り。初めは金|箔《ぱく》で全身が塗られていたが、いまはすっかり落ちてしまって、地の漆が黒々と光っている。この観音さまも、昔は高福寺《こうふくじ》という大きい寺に祀《まつ》られていたが、その寺が火事で焼け、この観音像だけが残ったと言う。現在の観音堂は、明治中頃の新しいものである。  蓮長寺を辞すと、米原に引返し、午後の列車に乗った。列車の中で、架山はできたら年内にもう一度、まだ見ていない十一面観音を拝むために近江の寺々を訪ねたいものだと思った。  自分がその気になれば、大三浦は長命寺は勿論《もちろん》のこと、なお幾つかの観音像を拝むことができるように取り計らってくれるだろうし、佐和山に頼んでも、二体や三体の十一面観音なら拝めそうな気がする。  それにしても、大三浦、佐和山、自分と、七年前の事件に直接関係を持った三人が、揃いも揃って、いま十一面観音というものの擒《とりこ》になっていることは、奇妙なことだと思う。佐和山はふしぎな縁だと言ったが、さしずめ縁とでも言うほかなさそうである。  大三浦の場合は、亡き者への供養といった気持から始めたことであり、いまもそれは変っていない。湖中にある二つの遺体を、湖畔の観音さまにお預けしているのである、そんな気持から、大三浦は湖畔のすべての十一面観音を拝もうとしている。大三浦自身の言い方で言うと、�一体、一体、親しくお目にかかって、お礼を申しあげなければ気がすまない�と言うことになる。  自分の場合はと、架山は思う。そうした大三浦に誘われて、渡岸寺の十一面観音像を拝んだのが最初であり、それ以後今日までに、短い期間ではあるが、何体か湖畔の十一面観音像を拝んで来ている。大三浦同様死者に対する供養といった気持もないわけではないが、それより自分を動かしているものは別のもののような気がする。  きのう医王寺に行った時のことである。あの野分に包まれた無住の小さいお堂の中で、幼く清純な、という言い方はおかしいが、しかし、そんな感じの、あの美しい十一面観音を拝んだ時、やっとのことでみはるに似た観音さまにめぐり会えた。とうとうめぐり会えた、そんな気持だった。  自分はもしかしたらいつも、十一面観音の面に亡きみはるの面影を探していたのではないか。それぞれまるで異った表情と姿態を持っている十一面観音像ではあるが、そのどれにも、みはるの面輪を感じようとすれば、そうできないことはないような気がする。  十一面観音というものは、娘を失った父親に対して、そのくらいの大きい心を示して下さっているに違いない。どの十一面観音像にも、どこかに理想化されたみはるが嵌《は》め込まれてあるような気がする。ある時は幼いみはるを、ある時は清純なみはるを、ある時は豊麗なみはるを、自分はその時々で、自分がその前に立っている十一面観音像の面のどこかに感じていたかも知れないのである。  自分はみはるとは無関係に、十一面観音というものに惹《ひ》かれていたように思っていたが、実はやはりそこにはみはるが関係していたと考えるべきであるかも知れない。大三浦と自分とでは、十一面観音というものへの惹かれ方は違うが、しかし、やはり二人とも、自分の子供の死と無関係ではあり得ないようである。  自分は、現在、みはるの遺体の沈んでいる湖の岸に立ったり、湖の面に視線を投げたりすることができるようになっているが、これも考えてみると、十一面観音のおかげかも知れない。十一面観音によって救われているのかも知れない。信仰というものには無関心であると考えるのはこちらの小さい計らいで、十一面観音はそんなことには頓着《とんちやく》なく、自分を大きい掌《てのひら》の上に載せて下さっているのかも知れないのである。 [#改ページ]     桃と李  大《おお》晦日《みそか》の夜、架山は池野を誘って、銀座の小料理屋で夕食を摂《と》った。ゆっくり話をするのは、ヒマラヤから帰って初めてであった。 「俺たちの行ったところは、今頃どんなになっているのかな。雪で真白かな」  池野は言ったが、 「さあ」  と、架山も言うしか仕方なかった。どんなになっているか見当はつかなかった。 「多分、ナムチェも雪に塗《まみ》れ、クムジュンも雪に塗れているんじゃないか。ああいう山の村のことを思うと、気持がしいんとするね」  二人は、専らヒマラヤ山地のことを話題にして、越年の酒を飲んだ。途中で、池野は九州の岩代のところへ電話をかけた。何を話しているのか、池野の笑い声が時折り座敷まで聞えていたが、やがて戻って来ると、 「総裁の声を聞きたいそうだ」  と、池野は言った。架山は廊下に出て、受話器を取った。久しぶりで耳にする岩代の声であった。 「いま池野さんと話したんですが、三月の終りか、四月の初めに集りませんか。なるべくなら、また京都のこの前のところに設営して頂くと有難いですが。——こんどは、割勘で行きましょう」 「割勘でなくてもいい。僕の方で持つ。まだ何かと借りがそのままになっている」  架山は言った。実際にそんな気持だった。登山家たちには、みんな借りがあると思う。 「三月でも、四月でも、架山さんのご都合のいい時に合わせます。関西にご用事のある時を選んで下さい」 「その頃なら暖くなっているから、いつでも用事は作れる。そちらで日を決めてくれたら、それで結構。ヒマラヤ式でやってくれ、それに従うよ」  架山は言った。その頃なら、もう寒くないので、いつでも琵琶湖へ行けると思う。みなと京都で顔を合わせるのも楽しいし、そのあとか前に、琵琶湖へ行って、まだ拝んでいない十一面観音の前に立つのも楽しいであろう。席に戻って、 「ヒマラヤから帰ってから、例の湖畔の十一面観音を四体見ている」  架山が言うと、 「そうか。たいへんだね」  池野は言った。 「別にたいへんではないが」 「いや、僕はうっかりしていて、君のお嬢さんのことは知らなかった。最近知った」  池野は低い声で言った。 「まあ、ね、観音さまというものは、それを見ていると、こちらの気持を楽にしてくれるからね。が、娘の事件の打撃からは、もう回復している。そのために十一面観音像を見て回っているわけではないが、琵琶湖の岸に平気で立てるようになったのは、観音像|回《めぐ》りのおかげかも知れない」  架山は言った。 「君はヒマラヤの月光の中で、愛人のことを考えたいと言ったことがあったが、愛人というのは、亡くなったお嬢さんのことだったんだね」 「まあ、そういうことではあるがね。だが、ご存じのように、そういうわけにはいかなかったね。それどころではなかった」  架山は笑った。そして、 「でも、これも、行ってよかった。あの僧院のある台地で、深夜の月を見ながら永劫《えいごう》といったものを感じたね。娘の事件も、それに対する自分の苦しみや、悲しみも、みなその前では小さく思われた。実際に、また小さいものね」  と、言った。  年が改まって、松が取れたばかりの一月半ばに、架山は会社の用事で大阪に行き、その帰りに大津市内の湖畔のホテルに一泊して、翌日近江八幡市多賀町の円満寺を訪ねた。  同じ近江八幡に例の、大三浦も、佐和山も紹介しようと言ってくれている長命寺があったが、ここは春になってから大三浦に案内して貰《もら》うことにして、こんどは円満寺という寺の十一面観音を拝むことにしたのであった。この前、佐和山の口から聞いた寺だったので、大津のホテルから佐和山のところに電話をかけ、円満寺への連絡を頼み、その上で出掛けて行ったのである。  くるまは堅田へ出、琵琶湖大橋を渡り、守山、野洲《やす》といった町を経て、近江八幡の町にはいり、町を抜け、再び田野の中に道を取る。この前来たのは野分の頃であったが、今は冬の真中である。湖畔の田圃《たんぼ》はすっかり霜枯れていて、大根畑が僅《わず》かに青さを見せているぐらいのものである。  やがて、くるまは八幡山という山に突き当り、その山の裾《すそ》を回って行くと、小さい集落があり、その集落の入口に円満寺という寺はあった。門をくぐると正面に本堂があり、それに庫裡《くり》がくっついている。門は小さいが二層である。  中年の上品な感じの女性が出て来て、主人は出張中で留守であるが、厨子《ずし》の扉を開けてあるので、自由に十一面観音を拝んでくれるようにと言った。訊《き》いてみると御主人は市役所に勤め、息子さんは学校の先生であると言う。 「檀家《だんか》は六軒きりですから、主人も、子供も、どこかに勤めておりませんと」  檀家が六軒では、なるほど寺としての収入はないであろうと思われた。  陽当りのいい庫裡のあがり口に腰を降ろして、靴を脱がせて貰う。庭は手入れが行き届いていて、山茶花《さざんか》の花が美しい。  庫裡から本堂にはいる。本堂は外陣に当るところには十六枚の畳が敷かれ、その奥の内陣は板の間になっていて、左右には八体ずつの羅漢像が置かれている。正面には腰ぐらいの高さの須弥壇《しゆみだん》が設けられ、その上に小さい厨子が載っていて、その厨子の左右にはたくさんの小さい仏像が置かれている。厨子は小さい仏像で取り巻かれている感じである。外陣の、表からの入口は硝子《ガラス》戸になっていて、光線はそこからはいっている。  正面の厨子の前に行って、その内部に収められてある十一面観音像の前に立つ。 「像高八十センチ、二尺七寸五分、昭和二十五年に重文の指定を受けております。一木《いちぼく》彫りで、藤原時代の作だそうでございます」  夫人が説明してくれた。総体にまっ黒に古びてしまって、顔かたちもはっきりしなくなっている。頭に戴《いただ》いている十一個の仏面は小さく、頭飾りのかげに匿《かく》れて見えにくい。 「古い感じがよく出ていて、結構ですね」  架山は言った。これまでに湖畔で拝んだ何体かの十一面観音像の中で、この小さい観音さまが一番古さを素直に身に付けているかも知れない。言い方をかえれば、それだけ、この観音像が経て来た過去の歳月というものは、容易ならぬものであるかも知れなかった。 「この観音さまは、ずっとこのお寺にあったんですか」 「そうだろうと思います。この寺は現在臨済宗ですが、もとは天台でして、建物は二百年ぐらいだと聞いております」 「観音さまは琵琶湖の方を向いて、立っておられますか」 「いいえ。——そうですね、右手とうしろが琵琶湖になりましょうか。完全に背を向けてはおられません。横眼をなさると、琵琶湖の一部が眼にはいって来るのではないでしょうか」  夫人は言った。架山はもう一度小さい十一面観音像に眼を当てた。いかなる顔立ちであるかはっきりしていないが、何とも言えず静かで、いい感じである。自分の過去にどれだけの時間が降り積んでいるか知らない。何事が起ったか、いかなる事があったか、いっさい知らない。自分はただこうしていつもひとりで立っていただけである。——小さい十一面観音像はそう言っているかのようである。  架山は、この十一面観音像にも、やはりみはるを感じていた。みはるもまたこのようにして、どこかに静かに立っているだろうと思った。そしてみはるの上に休みなく時間は降り積って行く。みはるは何も考えないで、何も見ないで、ただ立っているだけである。ひとりで、静かに立っている。死とは、おそらくそのようなものであろうと思う。  架山は本堂を出ると、明るい庫裡でお茶のご馳走《ちそう》になった。陽当りのいい部屋で、ここで観音さまのお守《も》りをしながら、読書でもしていたら、さぞいいだろうと思った。  二月にはいると、さして広くない庭に一本ずつある白梅と、紅梅が同時に咲いた。いつもは半月ほど白梅の方が早く、白梅の盛りが過ぎてから紅梅が咲き出すのであるが、それが今年はいっしょになった。  架山は自分の部屋の縁側の籐《とう》椅子に腰を降ろして、毎朝のように白と赤の早春の花を見ながらお茶を飲んだ。二本の梅が咲き盛っている時、二回雪が降った。翌日になると跡形もなく消えてしまうが、それでも雪が降っている時は、庭の芝生の上が白くなった。雪の白さの中に置いてみると、白梅の白さは微《かす》かに黄色を帯びて見え、紅梅の赤さの方はどういうものか桃色がかって見えた。雪がなくなると、白梅も紅梅も、それぞれまたもとの色を取り戻した。  架山は、毎朝のように、梅の花に眼を当てながら、ヒマラヤの山地のシェルパの村々へ思いを馳《は》せた。そこでは、日本の早春のように、花が咲こうとは思われなかった。人々はただひたすら陽光の春めくのを待ちながら、相変らず朝に夕に、神に祈って生きているのであろう。  架山はヒマラヤ山地の人たちの生き方が、何となく気になっていた。毎朝そのような人たちのことに思いを馳せるということは、気になっている証拠であった。と、同時に、架山はまた毎朝のように大三浦のことをも考えた。ヒマラヤ山地に大三浦という人物を置いてみると、どのようなことになるであろうか。時に、架山はそのような空想を馳せることがあった。  ドウトコシの渓谷に沿った斜面を、大三浦は歩いて行く。壁チョルテンのある道を、大三浦は歩いて行く。石を積みあげて造った家の並んでいる集落の中を、大三浦は歩いて行く。いつも俯向《うつむ》いて、祈りながら歩いて行く。  ヒマラヤ山地の人々は、毎日毎日を生きるために神に祈っているのであるが、大三浦の場合は、何のために、何を祈っているのであろうか。いずれにしても、ヒマラヤ山地の自然や風物の中に嵌《は》め込んで、大三浦ほどぴったりする人物はなかった。  二月の中頃に、大三浦から長命寺行きの日を打ち合わせるための電話がかかって来た。二月下旬で都合のいい日を選んでくれということであった。 「二月も終りになりましたら、寒さも薄らぎましょうから、お約束の長命寺へご案内申しあげましょう。お厨子の中の三体の仏像が立派なことは申すまでもございませんが、塔も、本堂の建物も、これはこれで、また格別でございます。また寺からの琵琶湖の眺望も宜《よろ》しゅうございます。長命寺のほかに、もう一つ、鶏足寺へご案内いたしたいと存じます。ここの観音さまも宜しゅうございます。長命寺の方は近江八幡市でございますが、鶏足寺の方はずっと北になります。いつぞやごいっしょに参りました石道の観音さまの方でございます。長命寺と鶏足寺は少し離れておりますが、二つだけでしたら、一日でお回りになれましょう」  大三浦は言った。架山は二月下旬の日曜日を選んだ。二月の終りは珍しく用事が重なっていて、日曜日しか都合がつかなかった。もっと先に延期して貰《もら》ってもよかったが、大三浦には大三浦としての都合もあることだろうし、延期したからと言って、二人がうまく落ち合える日ができるかどうか判らなかった。それで、架山は大三浦の指示に従って、忙しい二月下旬の一日をさくことにしたのである。新しい十一面観音も拝みたかったし、また大三浦にも会いたかった。あるいは大三浦に会いたいという気持の方が強かったかも知れない。ヒマラヤへ出掛ける前は、彼を避けこそすれ、惹《ひ》かれる気持はみじんもなかったのであるが、いまは違っていた。何がどのように作用したのか判らないが、とにかく、架山は大三浦という人物が気になっていた。会って、ゆっくりと話し合ってみなければならぬものがあるような気がした。しきりにそんな気がしていたのである。  しかし、この二月下旬の長命寺行きは、その前日になって支障を生じるに到った。大三浦が風邪をひいて発熱したからである。大三浦は、長命寺にも、鶏足寺にも、自分に代って佐和山を連れて、予定通り出掛けて行ってくれと言った。電話口に出た大三浦は完全に声が涸《か》れてしまっていた。  架山は、琵琶湖行きは延期して、いっこう構わなかったが、そのために大三浦が気を遣うといけないと思って、 「では、佐和山さんに案内して貰いましょう。ただ私の方もなるべくなら日帰りの方がいいので、こんどは鶏足寺だけにしましょう。長命寺の方は春になってからでも、あなたに連れて行って頂くことにして」  と言った。 「そうですか。それでしたら、長浜の町中に、坐像《ざぞう》ですが、知善院の十一面観音さまがいらっしゃいます。これは、佐和山のおっさんもよく知っておりますから、それでもごらんになって頂きましょうか。これはこれで立派な観音さまでございます。それから、——」  大三浦は、時々大きな息使いをしている。それが受話器の奥から聞えて来る。 「もう、それで結構です。電話を切りますよ。すぐおやすみなさい」  架山は言って、受話器を置いた。  翌日、架山は日帰りの予定で、東京を発《た》った。そして正午少し前に南浜の佐和山家にはいった。 「大三浦の老人も風邪をひいたようですね。風邪もひきますよ。年齢《とし》も考えないで、むちゃくちゃなことをしますからね」  と、佐和山は言った。聞いてみると、大三浦は半月ほど前に、船を出して、七年前の事件の現場へ行って来たらしいということであった。 「本人は匿《かく》していますが、どうもそうらしいんです。息子のことを夢にでも見て、急に行きたくなったのかも知れませんが、寒中に船を出すばかはありませんよ。湖の上に出てごらんなさい。凍りつきますよ。大方、その時ひいた風邪でもぶりかえしたんでしょう」  佐和山は言った。そういう話を聞くと、架山には大三浦という人物が哀れに思われた。以前は、不気味でもあり、哀れでもあったが、いまは不気味といった気持はなく、ただひたすらに哀れであった。 「あの人はもう七年も、十一面観音さんばかり拝んでいますが、いっこうに救われません。私の睨《にら》むところでは、あの人、観音さんの前で愚痴ばかり言っていると思いますよ。観音さんとしても、いちゃもんつけられているようなもので、救いようがないんでしょうな」  佐和山は言った。  その日、架山は佐和山と二人で、くるまで木之本町の鶏足寺の十一面観音を見に行った。  架山は木之本町に鶏足寺という寺があって、そこに十一面観音が祀《まつ》られてあるものとばかり思っていたが、そうではなかった。古橋という小さな集落の高台に与志漏《よしろ》神社という神社があって、その前でくるまを降りた。鳥居をくぐって、高台へ上ると、二本の参道が並木で分けられて、平行して走っている。一つは神社の社殿への参道であり、一つは社殿の横前方に造られている薬師堂への参道であった。  その薬師堂へ通じている参道を歩いて行くと、広場があり、そこに大きな収蔵庫の建物があった。 「十一面観音は、ほかの仏像といっしょに、この中に収められています。私にはよく判りませんが、ここの観音さまは宜しいと思います。立派です」  佐和山は言って、 「いまに誰か開けに来ると思います。電話で頼んでありますから」 「鶏足寺という寺ではないんですね」 「鶏足寺という寺は、どうも、あの山にあったようですね」  その山を見るために、二人は広場を少し移動した。いつか充満寺という寺へ行った時、小谷山といっしょに遠望したことのある己高山《こだかみやま》という山であった。 「何でも、昔、あの己高山という山にたくさんの寺があり、それを総称して鶏足寺と呼んでいたようです。鶏足寺という寺も実際にあったらしいですが、古い書きものにはたくさんの寺をひっくるめて鶏足寺と書いてあるようです」 「歴史にも、大分詳しくなりましたね」  架山が言うと、 「観音さんを見て歩いていると、否応《いやおう》なしに、いろいろなことが耳にはいって来ますからね。大三浦老の物知りに、初めは驚きましたが、いまはもう驚きません。あれも、みんな耳学問ですわ」  佐和山は言った。何を話しても、とかく大三浦に対する批判がはいっている。  集落の人らしい中年の人物が、収蔵庫の鍵《かぎ》を持ってやって来た。 「あの己高山というのは、どのくらいの高さです」  架山が訊《き》くと、 「九〇〇メートルぐらいの高さではないですか。あそこに百二十幾つの伽藍《がらん》があって、それを己高山鶏足寺と言っていました。明治四十一年に廃寺になり、仏像をみんな下ろして来ました」  その仏像が、これから開ける収蔵庫に収まっているということであった。  収蔵庫の中にはいると、どれが十一面観音かすぐには判らないほど、たくさんの仏像が正面と左右に並んでいた。  正面の台の上に薬師如来立像、堂々たる一木造りの薬師如来像である。そしてその傍に三|躯《く》の十二神将像。  まず薬師さまを拝んでから、右側の方に眼を移す。やはり台の上に三体の仏像が置かれている。真中が十一面観音、右手が不動明王、左手に毘沙門天《びしやもんてん》が並んでいる。いずれも等身大の同じ大きさであるが、このほかに十一面観音の両脇に小さい仏像が置かれている。阿弥陀《あみだ》如来と十一面観音である。  反対の左側の方に眼を向けると、七仏薬師像がずらりと置かれてあって、壮観である。 「これ、みんな鶏足寺にあった仏像ですか」 「そうです。これだけのものがあるんですから、立派な寺だったと思いますよ。尤《もつと》も、鶏足寺という一つの寺にあったわけではなく、古文書には己高山五箇寺なんて名が記されてありますから、いろんな寺にあったようです。だが、昔のことは判らないので、みんな鶏足寺の仏さんということにしてあります。どれも、みんな立派なものですよ」  案内の人は言った。  架山は十一面観音像の前に立った。そして高い仏面を戴《いただ》いたその面を仰いだ瞬間、いつか大三浦といっしょに見た石道寺の十一面観音に似ていると思った。これもどことなくこの地方の人の面輪《おもわ》を持っている感じで、素朴で、美しかった。石道寺の観音さまのモデルを村の娘とするなら、この方は村の内儀《かみ》さんということになる。みはるに似ているところを探すとなると、笑いを含んでいるようなその口|許《もと》であろうか。 「いい観音さまですね」  架山が言うと、 「そうでしょう」  案内の人が言った。すると、それに続いて、 「めったにこれだけの観音さまは」  と、佐和山が言った。 「全くね」 「そうでしょう」  佐和山はいつかすっかりこの地方の、十一面観音を守《も》っている一団の人々の口調にもなり、表情にもなっている。  十一面観音は彩色が殆《ほとん》ど落ちており、像高は五尺六寸八分というから、大体石道寺の観音像と同じ大きさである。大きな舟型の光背を背負っているところも似ている。 「石道寺の観音さまに似ていますね」  架山が言うと、 「あの観音さまよりこの方が百年ほど古いですよ」  案内の人は言った。多少|身《み》贔屓《びいき》の感じである。  鶏足寺の十一面観音を拝んだあと、架山はどこへも行く気持にはなれなかった。美しく、優しく、貴いものに接したあとの満ち足りた思いを、そのままの形でそっとしておきたかった。  架山は佐和山を誘って、長浜に行って、湖畔の料亭にはいった。大三浦が勧めてくれた長浜の町中の知善院の十一面観音の方は、次の機会に回した。  夕食には少し早い時刻であったが、架山は料理を頼んでおいて、佐和山と二人でビールを飲んだ。このところ、ずっと佐和山に案内して貰《もら》っているので、その労を犒《ねぎら》う気持もあった。 「おかげで、たくさんの観音さまを拝ませて貰いました」  架山が言うと、 「私の持ち駒は、もう長命寺一つになりました。また少し仕入れておかなければなりませんが、あとはもう秘仏ばかりで、私の手には負えません。大三浦老人の、あの粘りでも何年かかかっているくらいですから」  佐和山は言った。 「大三浦さんはもう湖畔の十一面は殆ど見てしまったのではないですか」 「残っていても二体か三体でしょう。例の医王寺の観音さまも拝んだようです。みんな拝んでしまったら、あの老人はどうなるんでしょう。それが心配です」  そう言われると、架山もまたそうした大三浦のことが心配でないことはなかった。 「もう間もなく春になりますが、一回大三浦さんと三人で会いましょうか。大三浦さんを囲んで、観音さまのことでも話しましょう」 「そうできるといいんですが、あの老人は、まためそめそするんではないですかね。いずれにしても、もう事件から離れないといけませんよ。こうして架山さんと話していても、何ということはありませんが、これが大三浦の老人になると、急に陰気なものと顔を突き合わせているような気持になってしまいます。ひとり言をいいますからね」  架山は黙っていたが、自分もまた大三浦と同じかも知れないと思った。自分の場合は声に出さないだけである。みはるとの対話が、全くなくなっているわけではなかった。  東京へ帰って二、三日経った頃、岩代から電話があって、ヒマラヤへ行った連中だけで集るのを三月の下旬の日曜日にしたいが、そちらの都合はどうだろうかと訊いて来た。 「僕の方は構わない。池野画伯の方は知らないが」  架山が言うと、 「池野さんの方のオー・ケーはとってあります。では、三月の最後の日曜日に京都で集ることにしましょう。去年の九月の時のように、ホテルは各自自分の好きなところを選び、夕食だけをいっしょにすることにします。夕食の会場は、申しかねますが、この前の加茂川沿いの料亭をとって頂きたいんです。そこで写真の交換もしたいです」 「写真の交換と言っても、僕の方は貰うばかりだ。少しはカメラのシャッターも切ったが、まあ、知れたものだ」 「写るだけは写っていましたか」 「さあ、ねえ」 「全然だめでしたか」 「どうかね。こんど持って行く。見て貰おう。まだ現像はしてない」 「現像してないんですか。驚いたな。——じゃ、こんど、フィルムを全部持って来て下さい」  岩代は言った。架山は、その三月の末のヒマラヤの集りのあと、琵琶湖畔の長命寺を訪ねたいと思った。そしてそのことを、その日、電話で大三浦に伝えた。 「宜《よろ》しゅうございましょう。私の方は何とでもいたします。三月の終り、結構でございます。悦《よろこ》んでお供いたします。四月にはいりますと、湖畔は埃《ほこり》っぽくなりますから、三月が宜しゅうございましょう。長命寺の方には私から連絡して、間違いないようにしておきます」  大三浦は言った。三月にはいると、架山は楽しいことが先に控えているような気持になった。ヒマラヤの仲間と顔を合わせるのも楽しかったし、そのあとで大三浦と顔を合わせることも、何となく楽しそうだった。  三月の初めに、庭の白梅は殆ど花を落してしまったが、紅梅の方は中頃まで薄紅色の花をまばらに残していた。その紅梅と入れ替りに、沈丁花《じんちようげ》が小さい花を、まるく刈り込んだ株いっぱいに持った。  架山は、毎朝のように庭に降り立って、散りぎわの悪い紅梅の花を見上げたり、沈丁花の株に近寄って行って、鼻をくんくんさせたりした。 「お父さんも、年齢《とし》をとったのかしら。これまでめったに朝ごはん前に庭に降りることなんかなかったのに、今年は毎朝、そこらを歩いていらっしゃる」  光子が母親にそんなことを言っているのを、架山は聞くともなしに聞いたことがある。確かに光子の言う通りであると思う。去年まで庭へ降り立って、沈丁花の花のところへ顔を近づけるような仕種《しぐさ》はしたことはなかった。白梅や紅梅についても、いつ花をつけて、いつ散ったかというような関心は、どうも今年初めてのことのようである。  しかし、架山はそうした娘の光子の眼にまでとまる自分の変化を、年齢によるものであろうとは思わなかった。自分は実際は庭を歩くことも、庭の花を見ることも、花壇の傍に立つことも、決してそんなことを嫌がる性格ではないのである。そうしたことに必ずしも無関心には生れ付いているわけではないのである。  ただこの七、八年、庭に降り立つことにも、庭の花を見ることにも、何となく気が進まなかっただけのことである。庭を歩いても、梅の花を見ても、花壇の傍に行っても、——そんなことをしても、何にもならないではないか、いつもそのような思いに捉《とら》われていたのである。そうした自分の気持の正体を、とことんまで追いつめて考えたことはないが、しかし、そうした気持に、みはるの死が関係なかったとは言えないと思う。何をしても、何となく張り合いというものがなかったのである。  朝庭に降り立って、梅の花や沈丁花の花を見ることに限っているのではない。なべてあらゆることに億劫《おつくう》になっているが、すべて何となく張り合いというものがなかったからである。  そうした気持が多少でも改まったのは、光子に指摘されたように、確かに今年になってからのことであろう。登山家たちとヒマラヤの山地にはいったことが、架山を変えたと思うほかなかった。ヒマラヤの月を見たことか、あるいはシェルパたちの祈って生きている姿を見たことか、とにかくそうしたことが、架山のみはるの事件に対する向かい方を前とは変ったものにしたのである。  架山が京都の時花貞代から電話を貰ったのは、三月の中頃であった。社長室の机に向かったままで、受話器を取りあげた架山の耳に、 「——こちら、時花貞代ですけれど」  いきなりそんな言葉が飛び込んで来た。 「ああ、——僕です、架山」 「突然、お電話いたしましたが、こんど南禅寺《なんぜんじ》の近くのH院というお寺に、みはるのお墓を造りました。戸籍にはまだそのまま名前が残っておりますが、やはりお墓がありませんと恰好《かつこう》がつきませんので、H院のご住職と相談して、お墓を造ることにいたしました」 「なるほど、ね」 「ご異存ありませんでしょうか」 「僕の方には、なんの異存もない。そりゃ、有難う。僕も、そのことを考えないでもなかったが、ついそのままになっていた」 「それで、形だけですが、五月の亡くなりました日に、ささやかな法要をしてやるつもりでおります。京都へいらしった折り、一度お墓を見てやって頂きたいと思いまして」 「いつできるの?」 「実は、もうできております。石の面《おもて》には�時花みはるの墓�とだけ刻みました」 「————」 「場所をお報《しら》せしておきましょう」 「いや、判っている。南禅寺のH院なら、一度行ったことがある。あなたの叔父《おじ》さんに当る人が眠っていたところだね」 「ああ、そうでした。ごいっしょにH院に行ったことがありました。あそこです。山の裾《すそ》から斜面へと墓地ができていますが、みはるのところは山の裾でして、南を受けて、陽当りのいい、気持のいい場所です」 「それは、みはるも悦ぶだろう。こんど京都へ行ったら、H院に行って、見せて貰《もら》いましょう。五月の法要の時も、行けたら行くが」 「法要というような大袈裟《おおげさ》なものではありません。あの子のお友だちだった人二、三人に立ち会って貰うだけのことです」  貞代は言った。 「墓石の下には、みはるが使っていた身の回りのものを入れたいと思います。何かお入れになりたいものをお持ちでしたら、わたくしの方へお送り頂いても結構ですし、直接H院の方へお届け頂いても結構です」  貞代は言った。未《いま》だに遺体はあがっていないのであるから、身の回りの物を祀《まつ》る以外仕方ないわけであった。 「そちらには、入れるものがあるね」 「あります。万年筆、櫛《くし》、バックル、そういったこまごました物ばかりですが」 「僕の方にも何か適当なものがあったら送ります」  架山は言ったが、そういう物が残っていようとは思われなかった。父親の方には何も残さないで、娘は他界してしまったのである。  大体、こんなことだけを話して、電話は切れたが、架山は受話器を置いたあと、暫《しばら》くぼんやりしていた。貞代も終始事務的な話し方であったが、自分の方も同じだったと思う。  八年という歳月は、父親と母親を、そのようなものにしていたのである。架山は、自分がここに来るまでは、なかなかたいへんだったが、貞代の方も、その点は同じことであろうと思った。いや、己が腹を痛めた子供であるから、父親の架山などが知らない苦しみがあったに違いない。  受話器の奥から聞えて来た声は、いかにも社会の一線で働いている女にふさわしく、一種の張りのある若々しいものであったが、しかし、実際に会ってみると、年齢相応に、あるいはそれ以上に老けているのではないかと思う。架山がこのような思いを持つのは根も葉もないことではなかった。  去年の暮のことであるが、どこからか会社に送ってきた大きなカレンダーに、一流の美容師とか、デザイナーとかいった人たちと並んで、貞代の顔が大きく取り扱われてあるのを見たことがあった。架山はその時、すぐそこから眼を反《そ》らした。架山には貞代の顔が痛ましく見えた。年齢も匿《かく》せなかったし、何となく暗く、疲れて見えた。夫とは別れ、その間にできた娘の方はボートの事故で失っている。決して幸福だとは言えない女の顔であった。八年という歳月の間に、貞代はみはるという名を冷静に、事務的に口から出せるようになっていたが、その代り自分の顔を疲れ、老いた、暗いものにしているに違いないのであった。  三月下旬の日曜日に、夕方京都へ着くように、架山は午後の新幹線に乗った。沿線には桃や李《すもも》の花が咲いていた。咲いていると言っても、もとの東海道線とは異って、列車は新しく切り開いた山間部を走っていることが多いので、桃とか李とかいった里の花は、いつも遠くに小さく見えた。  京都へ着くと、すぐ町中のホテルに向かった。花の季節がもうそこに迫っている日曜日のせいか、町は人で賑《にぎ》わっていた。 「きょうはたいへんな人出だね」 「いまはまだいいんですが、四月の声を聞くとたいへんです。この次の日曜日などは、こんなわけにはいきません」  運転手は言った。ホテルの部屋に荷物を投げ入れておいて、すぐみなが集ることになっている加茂川沿いの料亭に向かった。伊原、上松、岩代の三人はすでに姿を見せており、架山が部屋へはいって行くと、いっせいに立ちあがって来た。 「いやに他人行儀なんだね」  架山が言うと、 「ここは山ではありませんから、里のしきたりに従います」  伊原は言って、 「総裁、お肥《ふと》りになりましたね」  ほかの二人も、口々に架山が肥ったと言った。 「肥ったんではなくて、あの時が痩《や》せていたんだろうね」  架山は言った。 「総裁、もう一度いらっしゃいますか」  岩代が言った。 「どこへ」 「やはりヒマラヤですが、去年よりはもう少し高いところまで行きます。出発は多分九月の初めになります。こんどは現役の若いのが、この顔ぶれのほかに五人加わります」 「高いって、どのくらい」 「かなり高いです。総裁は第一キャンプでのんびりしていて頂きます」 「本格的に登るの?」 「そういうわけではありませんが、もう少し高いところまで行ったら、山も、月も変って来ます。でも、楽な状態でお連れします。酸素ボンベのマスクを口に当てながら歩くようにします」 「————」 「去年は結局雨期に於《おい》ての行動でしたが、今年は大丈夫です。去年が特別なんです。あんなことはめったにないんですが、十月にはいっても雨期があけなかった。こんどは、本当のヒマラヤの美しい空をお目にかけます」  岩代は言った。 「やはり、こんども架山さんを総裁に戴《いただ》きたいんです。画伯もお連れしたいんですが、秋の展覧会がひっかかるか何かで、画伯の方は難しいんではないかと思います」  伊原は言った。 「池野画伯にもう交渉したの?」 「いや、何となく打診してみただけです」 「驚いたね」  架山は言った。本当に驚いたのである。 「僕は、ね」 「何ですか、総裁」 「総裁なんて言っても、だめだよ。とにかく九月から十月へかけては、僕はだめだ」 「じゃ、十月、十一月」 「だめだね、それも」  架山は言った。うっかり返事をすると、引込みのつかぬことになりかねなかった。そこへ、池野がやって来た。 「また、悪い相談でもしているんじゃないか。あとで考えたんだが、この間の社長からの電話はただじゃないね」  池野は言って、笑った。 「あなたを打診してみたらしい」  架山が言うと、 「そうなんだ。どうも、そうらしい。僕たちを連れて行って、ベース・キャンプかどこかで荷物の番をさせるつもりらしい。うっかりのると、たいへんなことになる」  池野は言った。料理とビールが運ばれて来ると、一座は賑やかになった。伊原が小型機の機長の空を見上げる時の身振りをすると、 「いや、それなら僕の方がうまい」  と言って、上松が立ちあがったりした。  やがて岩代と上松は、スライドを映す支度を始めた。壁に映写幕を垂らしたり、食卓をずらして、映写機を部屋の真中に据えたりした。架山と池野はビールを飲みながら、曾《かつ》てのヒマラヤの仲間たちの作業を見ていた。 「ヒマラヤでも、僕たちはいつもこうだった。何もしなかった」  池野は言った。確かに、そうだったと、架山も思った。何もかも登山家たちに任せて、二人は何もしないでいたのである。 「シェルパたちはどうしているかな」  池野は、その時だけ遠い眼をして言った。  何十枚かのスライド写真を見た。架山は、自分が現われて来る度に、よくもあのようなところを、あのような恰好《かつこう》をして歩いていたものだと思った。  雪を戴いた山が出て来ると、必ず誰かが歓声をあげた。よおとか、凄《すご》いなあとか言った。そんなところは、みんないい年齢《とし》の男ばかりなのに、ひどく他愛《たわい》がなかった。  スライドの映写が終って、部屋が明るくなると、改めてビールやウイスキーを飲み、ヒマラヤの月見の旅のことばかり話した。シェルパたちの話をし、ヒマラヤ山地に散らばっている集落の話をした。 「ナムチェバザールは、今頃、雪かな」  と誰かが言うと、一瞬みなしんとした思いを持った。ボウテコシの渓谷に落ち込んでいる大斜面、その大斜面の上の方に危っかしく置かれている三百戸ほどの集落。そこへ白い細片を散らしてみると、誰もしんとした思いにならざるを得なかった。 「ああいうところの雪はどんな降り方をするのかな」  池野が訊《き》いたが、誰も答える者はなかった。 「山の雪なら知っていますが、あのへんまで下った里の雪は、ねえ」  岩代はそんな言い方をした。架山は、雪に烟《けむ》っているナムチェやクムジュンの集落を倦《あ》かず眼に描いていた。ナムチェも、クムジュンも遠く、小さく見えた。ヒマラヤ山地で考えた琵琶湖が遠く、小さかったように、今はナムチェやクムジュンが、果しなく遠く、果しなく小さく見えた。そしてその遠く、小さい集落に雪がこやみなく落ちているのである。  あそこでは、みんな祈って生きている!  架山は改めて思った。ヒマラヤの旅から帰ってから、何回も何回も架山の胸に来た思いではあったが、ヒマラヤ山地に於ての生きることの厳しさが、この時ほど強く迫って来たことはなかった。架山に付いたピンジョも祈り、池野のチッテンも祈り、岩代のパサン・ナムギャルも祈っていると思った。そして姉妹のポーターたちも祈り、サアダーのアンタルケも祈っていると思った。災難なく生きることができるように、みんな雪に降り籠《こ》められたヒマラヤ奥地の小さい集落の中で祈っているのである。  十二時を回ってから散会した。料亭の玄関先で、それぞれのくるまに乗る時は、多少みな酔っていた。架山も自分で足許《あしもと》の危いのが判った。 「あすはどうする? すぐ東京へ帰る?」  別のくるまに乗る池野が声をかけてきた。 「いや、あすは京都で用事をすませてから大阪へ行く」  架山は答えた。明日はH院に造られたというみはるの墓なるものを見なければならぬと思った。  翌日、朝食後、ホテルのフロントでくるまを呼んで貰《もら》って、架山はH院に向かった。貞代の手で造られたみはるの墓が、どのようなものか見ておきたかったのである。街には明るい春の陽光が降って、もうどこにも冬の気配は残っていなかった。  H院の前で、くるまを降りて、山|裾《すそ》の寺の中へはいって行く。山門をくぐって左手へ行くと、本堂や寺務所のある一劃《いつかく》に出られるが、架山は反対に右手の道をとった。そして木立に挟まれただらだら坂を降りて行って、墓地のある低地の一隅に出た。ここはH院の第二墓地といったところで、もともと敷地に余裕がなく、広い墓地には造られていない。  架山は見当をつけて、墓地の中を走っている道を山裾の方に歩いて行った。新しい墓が造られるとすると、その山裾の一か所しか考えられなかった。ずっと以前、貞代といっしょに、貞代の親戚《しんせき》の人の墓参に来たことがあったが、その時に較べると、墓地は少しだけ広くなっているようであった。山の裾が少し削られて、幾つかの墓ができているのである。  時花みはると刻まれた墓石はすぐ判った。五、六坪ほどのところが一尺ぐらいの高さの石で囲まれ、その一隅に真新しい墓石が一つ立てられてあった。石の面には�時花みはるの墓�と刻まれてあり、裏には亡くなった日と年齢が刻まれてある。�享年十七歳�の十七歳が、架山の眼に滲《し》みた。生れて十七年経っただけの短い人生であるが、当然なことながら、それを十七という若い数が示している。架山は、みはるの年齢を、この時ほど若く幼いものに感じたことはなかった。石に刻まれた十七歳という文字を見て、初めて、その文字が言い現わしている若さに思い当ったような気持であった。  架山はその墓石の前に立った。墓石には、確かに�時花みはるの墓�と刻まれてあったが、そこにみはるが眠っていようとは思われなかった。これを造った母親の貞代も同じ気持ではないかと思う。しかし、貞代は、五月の末の事件のあった日、つまり故人の命日に法要を営もうとしている。そうしたことをすることによって、貞代はここにみはるが眠っていると、自分自身に思い込ませようとしているのであろう。  架山は、みはるも哀れに、また貞代も哀れに思われた。こうした墓を造られたみはるも哀れであったし、こうした墓を造らねばならなかった貞代も哀れであった。架山は墓石の前で頭を下げた。そこにみはるの墓と刻まれてある以上、そうしなければならなかったが、空虚な思いはどうすることもできなかった。  架山は、H院から帰ると、すぐホテルを引払って、大阪へ向かった。大阪では行きつけのホテルに部屋をとってあったので、そこにはいった。  午後、大阪の支社へ顔を出し、夕食には街中の料亭に人を招いた。ホテルに戻ったのは十時近い時刻であった。少し遅いとは思ったが、大三浦に電話をかけた。 「これは、これは、いま大阪でございますか。左様でございますか。さぞお忙しいことでございましょう」  大三浦はいつもの言い方をした。 「実は、この三、四日中に、もし大三浦さんの方にお暇な日がありましたら、——」  架山が言いかけると、 「長命寺でございますか」 「そうです」 「宜《よろ》しゅうございます。いつでも、お供いたしましょう」 「いつでもと言っても、一番ご都合のよろしい日は」 「いや、この三、四日なら、本当にいつでも宜しゅうございます。あすでも、あさってでも」 「そうですか、では明後日にということにしましょうか」 「承知いたしました」 「何時に、どこへ出向きましょう」  架山が訊くと、 「それでは正午に長命寺でお待ちしておりましょう。長命寺は大津駅からくるまが宜しゅうございましょう。その晩はお泊りになれますか」 「泊れます。その翌日の夕方までに東京に戻ればいいんです」 「ほう、左様でございますか。それなら佐和山の宿にごいっしょに泊って頂くことにいたしましょう。宿とは言えないような宿でございますが」 「この前、あそこに厄介になりましたよ」 「ああ、左様でございました。宜しゅうございます。電話して、特別にお口に合うものを用意させておきましょう。それは結構でございます。有難いことでございます。もう寒さもとれましたので、その気になれば、湖に出ることもできましょう。もし、そんなことにでもなりましたら、二人はどんなに悦《よろこ》びますことか」  大三浦は言った。架山は用心して、それに対しては返事をしなかった。佐和山のところに泊ると返事をしてしまったので、泊らないわけにはいかなかったが、佐和山と大三浦の関係を考えると、多少|鬱陶《うつとう》しく思われないこともなかった。  大三浦と長命寺で落ち合う約束になっている日、架山は列車で大津まで行き、そこからくるまで長命寺に向かうことにした。大三浦が勧めてくれた通りにしたのである。  大阪、大津間の列車の窓から見る沿線の風景は、のどかで明るかった。山崎付近の丘には竹叢《たけむら》が多く、雑木の中でそこだけが濡《ぬ》れたように輝いて見えた。幾つかの集落がばら撒《ま》かれている平原には、点々と桃の花が配され、ところどころに白い李《すもも》の花も見られた。  大津駅で降りると、駅前でタクシーを拾った。 「長命寺という寺へ行きたいんだが」 「近江八幡の長命寺ですね」 「そう」 「上までくるまが行きませんよ」 「大分歩くの」 「石段だけですが」 「それでは、大丈夫」 「八百八段と言いますから大分きついです」 「八百八段?」 「もしかしたら途中までくるまが行くかも知れません。前には行けたんですが、この前行った時はだめでした」  運転手は言った。八百八段というとかなり高い石段だろうが、ヒマラヤ山地の大斜面を上ったり下ったりしたことを思えば、たいしたことはあるまいと思われた。  くるまの往来の烈しい道を通って、近江八幡の町にはいる。この一月、円満寺へ行く時通った同じ道を、くるまは走って行く。この前は幾らか暗いものを町のたたずまいに感じていたが、今は新開地でも持ちそうな埃《ほこり》っぽい明るさである。  くるまは町をはずれ、田園地帯を突切り、八幡山をぐるりと回って行く。この八幡山の裾のどこかに円満寺という古い十一面観音を祀《まつ》ったお寺があったが、正確な地理の記憶はない。  八幡山を回って行くと、また広い田園地帯がひらけて来た。くるまはその田園地帯を斜めに突切って、向うに見えている小さい山の裾に取り付く。 「この山の向うは琵琶湖になっていて、この山のてっぺんに長命寺があります」  運転手は言った。車窓から覗《のぞ》いてみると、かなり高い山である。なるほど八百八段の石段を上らなければ山頂に達しないであろうと思う。やがてくるまの前方に湖面が見えて来た。 「湖の岸にある山なんだね」 「昔はこのへんは湖の中で、この山は島だったそうです。だからこの山の名は奥島山と言うんです。尤《もつと》もいまでは長命寺山と呼んでいますが」 「詳しいんだね」 「このへんはおふくろの在所なんです」  くるまは湖側に出ると、すぐ停まった。 「待っていて下さい。途中まで登れるかどうか訊《き》いてきます」  運転手は湖岸の土産物屋風の家にはいって行った。架山もくるまを降りてみた。道路からいきなり長命寺の石段が急斜面を這《は》い上がっている。上を仰ぐと、長く伸びている石段道は途中で折れ曲っていて、その最上部を眼に収めることはできない。なるほどこの石段を登って行くのは容易なことではないと思った。 「途中までくるまで行けます」  戻ってきた運転手が言った。 「それは有難いね」 「こんなところを登ったらたいへんですよ。そのかわりご利益《りやく》は半分ぐらいになります」  架山は再びくるまに乗った。道はじぐざぐに折れ曲って、長命寺のある山巓《さんてん》へと向かっている。全くの九十九《つづら》折りである。雑木で埋められた山の斜面をくるまは這い上って行く。湖面が見下ろせるが、それが右になったり、左になったりする。ところどころに竹叢があり、風に揺れ動いている。  殆《ほとん》ど山巓に登りつめたのではないかと思われるところで、くるまは停まった。 「ここまでです」  運転手が言ったので、架山はくるまから降りた。湖を見下ろせる台地である。 「正面に見えるのが三上山で、その右手は鈴鹿山脈ですが、ぼんやりしています」  なるほど湖の一部と、その向うの田野を隔てて大きい山脈が霞《かす》んで見えている。  運転手に待っていて貰《もら》って、架山は向うに見えている石段道にはいった。下を見ると、急な石段道が老杉《ろうさん》の間に落ち込んでいて凄《すご》い眺めである。  架山は石段を一つずつかぞえながら登って行った。丁度百段登ったところで小台地に出、そこに門があった。門をくぐると右手に手洗場、左手に本坊らしい建物が見えている。本堂や塔などの寺の主要な建物は、もう一段上の台地にあるらしい。  本坊の玄関にはいろうとすると、恰《あたか》もどこかで見張りでもしていたかのように、奥から大三浦が姿を現わして来て、 「ようこそ、——お疲れになりましたでしょう。さあ、どうぞ、どうぞ」  まるで自分の家にでも招じ入れるような言い方をした。  架山は大三浦のあとに続いた。立派な座敷である。方丈の書院とでも言うべきところであろう。障子を開けて縁側に出、更にもう一つの障子を開けると、眼下に湖の拡がっているのが見えた。  座敷には卓が出ており、それに対《むか》って坐《すわ》る。架山と大三浦がお互いに挨拶《あいさつ》を取り交していると、住職がやって来た。今まで大三浦と話をしていたが、何かの用事で座を立って行ったといった感じで、架山の方へ顔を向けて、 「おや、お着きになりましたか。いっこうに気が付きませんで」 「たいへん無理なお願いをいたしまして」 「いや、前に大三浦さんからも、佐和山さんからもお電話を頂いておりましたが、何分秘仏になっておりますので」 「それは、そうでしょう」 「そんなわけで、きょうまで待って頂きました。きょうは、今年初めてのお掃除をいたします。お厨子《ずし》の扉を少々開きますので、そこから拝んで頂きましょう」  住職は言った。今年最初の掃除を、大三浦の懇願で、きょうという日に割り振ったのではないかと思われた。何となくそんな気がする。 「何しろ三十三年目ごとのご開帳でして、年に一回か二回のお掃除の日に運よく回《めぐ》り合わせる以外、誰も拝むことはできません」  大三浦が言うと、 「この前のご開帳は三十四年でした。従って、この次は六十七年で、二十年先のことになります」  住職は言った。お茶をご馳走《ちそう》になって、暫《しばら》く雑談したあと、 「では、ご案内いたしましょう。先にお堂の方にいらしって下さい。私は掃除の道具を持って参りますので」  住職は立ちあがった。架山は大三浦と連れ立って、本坊から出ると、塔や本堂の建物のある上の台地へと、急な石段を登って行った。石段は途中で折れ曲っており、そこで顔を上げると、前方に堂々たる三重塔が見えていた。  石段を登りきると、高低のある台地の上に出る。本堂の前は平坦《へいたん》な広場をなしているが、塔は低地を隔てて向うの高処にあり、鐘楼は鐘楼で、また別の高処の茂みの中に、その建物の一部を覗かせている。  架山と大三浦は、三重塔のある台地に上って、塔の下に立ってみた。 「寺の話では三十八年に解体修理して、四十年四月にできあがったそうでございます。三重の塔としては大きいものらしゅうございます」  大三浦が説明してくれた。なるほど建物に塗られている朱は新しい。しかし、けばけばしい感じはなかった。  塔の下で、暫く時間を消《ついや》して、二人は本堂のある台地に戻って行った。そろそろお厨子の掃除が始まっている頃ではないかと思われたからである。石段を登ったところで、大三浦はもう一度塔を振り返って言った。 「ここから眺めます塔が一番|宜《よろ》しいようでございます。本堂の屋根の反りが、塔の左側に置かれまして、なかなか結構でございます」  架山は事件当時の大三浦のことを思うと、大三浦という人物はすっかり変ってしまったと思った。素朴なところ、ばか丁寧なところ、それでいて言い出したら諾《き》かない頑固なところなどは、そのまま今も身に付けているらしいが、何と言うか、人間が一段も、二段も上等になってしまった感じである。 「なるほど、ここからの塔はいいですね。塔にも、やはり見る場所があるんですね」 「左様でございます。何回も来ておりますと、自然に見る場所が判って参ります」 「そんな何回も、ここにお出《い》でになっているんですか」 「はい、ここへ一番たくさん来ております。観音さまを拝むのは今日が二回目でございますが、この地方に出て参りますと、どうもここに足が向いてしまいます。このようにお住居《すまい》も高いところにあって、琵琶湖を見下ろすことができます。湖に向かって、朝に晩に祈って下さるために、このようなところにお住居を構えたのではないかと、思いたいくらいでございます。有難いことでございます。ここに参りますと、何とも言えず安心を覚えます」  大三浦は言った。 「なかなか、たいへんですね」  いっこうに心の傷が癒《なお》っていそうもない大三浦という人間を、架山は痛ましい思いで眺めた。これはたいへんだ、そんな他人事《ひとごと》でない気持だった。 「どうぞ」  その声で振り向くと、本堂の回廊に住職が姿を見せていた。  架山と大三浦はすぐ回廊に上がり、本堂の外陣にはいった。弁慶障子によって内陣と分けられてある。  更に内陣に進むと、正面に礼壇が置かれ、その向うに胸ぐらいの高さの須弥壇《しゆみだん》が設けられてある。そしてその前に金色に輝いた小さい十一面千手観音が置かれてあった。 「なかなか美しいお姿をしていらっしゃいますね」  架山が言うと、大三浦は、 「これはこれでご立派でございます。ご本尊はうしろのお厨子の中にはいっていらっしゃいますが、そのご本尊の前に立っておられるので�お前立ちの観音さま�と申しあげます」  それから、 「おや、もうお厨子の扉が開けられているようでございます」  そう言って、急に表情を改めると、すぐその方に向かって深く頭《こうべ》を垂れた。架山もそれに倣った。 「どうぞ、もっとお傍に近づいて拝んで下さい」  厨子の横手の闇の中から住職の声が聞えた。架山は大三浦のあとに従って、礼壇の横を回って、お厨子の前に立った。お厨子の載っている須弥壇そのものが胸くらいの高さなので、当然お厨子の中の仏さまたちは下から見上げることになる。住職が持っている蝋燭《ろうそく》の光が辛うじて厨子の内部に届いて、そこに三体の仏像が置かれてあることを示している。 「中央が千手観音、右が十一面観音、左手が聖観音、いずれも藤原の初期の作で、重文に指定されております」  住職が説明してくれた。架山の眼に最初にはいって来たのは、中央の千手観音である。頭上に十一面を戴《いただ》いているに違いないが、首から上の部分は暗くてよく見えない。腰を捻《ひね》り、右|膝《ひざ》を少し前に出している。そうした姿勢をとっている体躯《たいく》を押し包むように、体の左右から無数の手が出ている。そしてその一本一本の手に握られている物だけは光っているが、あとはどこも黒くなっている。顔も黒いし、体も黒い。  その右手の十一面観音は五、六十センチぐらいの大きさ。この方は金|箔《ぱく》が僅《わず》かに残り、顔は瞑想《めいそう》的である。 「千手、十一面、聖観音三尊一体のご本尊ということで、昔からこの三像を同じお厨子にお祀《まつ》りしております」  住職が言うと、 「いや、有難うございました。なかなか拝むことのできない観音さまを、二回も拝めましたとは、何という果報なことでございましょう。三尊とも、こんな高いところから、湖の方に顔をお向けになっていらっしゃる。有難いことでございます。湖の底に眠っている者たちの眠りも、安らかでない筈《はず》はございません。湖の中が天国のように居心地が宜しいので、若い者たちも湖の中から出て来ることを忘れたのでございましょう」  大三浦は言った。  長命寺を辞すと、架山と大三浦は、待たせておいたくるまで南浜の佐和山家へ向かった。そのくるまの中で、架山は訊《き》かれるままに、ヒマラヤの満月について語った。�ほう、ほう�と、大三浦はいかにも感じ入るといった相鎚《あいづち》の打ち方をしていたが、突然運転手の方に、 「それはそうと、今夜は満月と違うかいな」  と言った。 「知らんな」 「どこかで、くるま停めて訊いて来てくれ」 「どこで訊くんや」 「どこでも訊けるが」 「今夜は満月かどうかって訊くんかい」 「そう」 「月が円くなるとか、ならんとか、そんなこと気にかけてる奴はおらんぞ、今頃」  運転手の返事は余り捗々《はかばか》しくなかった。 「よし、では、どこかそこらの家でくるまを停めてくれ。わしが訊いて来る」  大三浦が言うと、 「訊くのはいいが、そんなことを訊いて、何にするんや」 「何にしようと、おおきにお世話だ。とにかく、そこらで停めてくれ」  すると、 「仕様がないな、それじゃ、まあ、わしが訊いてやろう。もう少し行ったところに親戚《しんせき》の家がある。そこで暦を借りて来てやるから、それを見なされ」  運転手は言った。運転手にそういうことを言わせるものを、大三浦は持っていたのかも知れない。 「左様か、それは有難い。では、そうして下され」  大三浦も語調を穏やかにして言った。  運転手は小さい集落でくるまを停めた。農家の前だった。 「では、ちょっと、待っていて貰《もら》いますわ」  運転手はそんな言葉を残して行ったが、なかなか戻って来なかった。いい加減二人が待ちくたびれた頃になって、漸《ようや》くにして運転手はやって来た。 「長かったね」  架山が言うと、 「暦というものはなかなか持っていませんわ。持っていても、どこに仕舞ってあるか判らんもんらしい」  運転手は�開運暦�という題のついた冊子を大三浦の方に渡し、 「それは要らんそうです。それから間違いなく今夜が満月だそうですよ」  と、言った。くるまは再び走り出した。 「そう、満月です。月の出は六時四十五分、月の入りが五時十四分。——ふしぎですね、今夜が満月とは」  大三浦は多少|昂《たか》ぶった声で言った。  今夜が満月の夜であると聞いて、架山も驚いた。月のことなどこれっぽちも考えてはいなかったのに、たまたま大三浦といっしょに湖畔で過ごす夜が、満月の夜にぶつかってしまったのである。 「満月ですか。——きれいでしょうね、琵琶湖で見たら」  架山が言うと、 「春の月でございますから、秋の月のように澄んではいないと思いますが、おぼろ月はおぼろ月で、また格別でございましょう。見る場所にもよりますが」  それから、少し間を置いて、大三浦は運転手の方に、 「寒いかな、夜、船を出したら」  と、声をかけた。 「そうさなあ、この陽気ではもうさして寒いことはあるまい」  運転手は言った。すると、大三浦は急に声を弾ませて、 「いかがなものでございましょう。今夜船を出しましては。——めったにごいっしょになることはありませんので、二人で詣《もう》でてやりましたら、若い者たちもさぞ悦《よろこ》ぶことでございましょう。これ以上の供養はございません」  と、架山に言った。 「船は頼めますか」 「佐和山に言えば、何とか手配してくれましょう」 「南浜から船を出すんですか」 「いや、南浜からでは距離がございます。もう少し北へ参りますと、船を出すにしましても、簡単でございます」 「そういうことでしたら、どうぞ、——お供しましょう」  架山は言った。 「ご賛同下さいますか、それは、それは。——二人はさぞ悦んだり、驚いたりすることでございましょう」  それから、電話で佐和山に連絡するために、大三浦は次の集落でくるまを降りて行った。この頃になって、運転手は自分のくるまに乗せている二人の客が、普通の客ではないことに気付いたらしく、 「子供さんですか」  と、いきなり訊いてきた。 「そう、突風でボートがひっくり返ってね」  架山は言った。心中事件にでもとられてはいやだった。 「いけませんでしたね。気持がたいへんでしょう」 「もう、八年経っているからね」 「何年経っても、親御さんとしましてはね」  運転手は言った。架山は相手の青年を必ずしも許しているわけではなかったが、その青年の親の方は、いつか許す気持になっていた。  くるまが南浜の佐和山家に着いたのは、春の白っぽい薄暮が湖の面に垂れ下がり始めた頃であった。  佐和山の内儀《かみ》さんが出迎えてくれた。二人は母家には寄らないで、すぐ離れの方に案内された。壁で仕切られた隣り合った部屋を当てがわれた。 「向うに食事の支度ができておりますので、いつでも、どうぞ。——夕ご飯をあがって頂いて、それから船にお乗せするんだと、おっさん駆け回っております」  内儀さんは言った。  母家の囲炉裏ばたに設けられた夕食の膳《ぜん》についた時、佐和山がどこからか帰ってきた。土間に立ったまま、挨拶《あいさつ》ぬきで、 「釣りに使う発動機船を借りることにしました。警察署の警備艇と同じぐらいの大きさです。寒ければ部屋にはいればいいし、月を見たければ甲板に出ればよろしい。この浜から出られます。あっという間に竹生島に行ってしまいますが」  佐和山は言った。 「それはご苦労さん」  大三浦が言うと、 「あんたも、これを最後に、もうめそめそするのはやめるんだね。いくらめそめそしたって、死んだ者が生き返るわけでもあるまいし」 「めそめそして悪かったな」 「八年も、顔を合わせる度に愚痴を言われて来ましたものね。いい加減うんざりしますよ。さあ、今夜は架山さんもごいっしょだ。わしも入れて貰って、三人で船を出し、手打ちをするんだね」 「手打ちとは何だ! ばかなことを言うものじゃない」  大三浦が口を尖《とが》らせた。 「まあ、いいじゃないですか。確かに、あなたにしても、僕にしても、いつまで経っても、気持の整理はできない。確かにいつか一度、ここでこの問題を打ち切ろうと言うように申し合わせでもしないといけませんよ。そりゃ、一生、心の傷は癒《なお》りませんが、それにしても、もう、このへんで、お互いに」  架山が言うと、 「判りました。よく判りました。宜《よろ》しゅうございます。今夜の月見を最後にいたしましょう」  大三浦は言った。内儀さんが銚子を運んで来た。 「私も、お仲間に入れて貰います。言いかけたことだから、少し言わせて貰いましょう」  佐和山は自分の席について、架山と大三浦の盃《さかずき》を充《み》たした上で、 「事件から八年になりますが、あの時以来、お二人が同じ船で、現場へ行くのは今夜が初めてでしょう。とうにこうなればよかったと、私は思うとります」  しんみりしたとも言えるし、ひらき直ったとも言える口調だった。 「私はこういう見方をしております。架山さんは大三浦さんの息子さんのためにこんな事件が起きた、責任はいっさい息子さんにある、そう思っておられたでしょう。いや、今もそう思っておられるかも知れない。な、そうでしょうが、私はそう睨《にら》んでおります。しかし、まあ、八年経ちましたが、何もかも消えてしまいましょう。子供を亡くしたという点では同じですわ」  佐和山は言った。 「確かに、おっしゃる通りです。私は長い間、そうした意固地な気持をなくせませんでしたが、去年の秋ヒマラヤに出掛けてから、いくらか素直になれたようです。そこへゆくと、大三浦さんの方はずっと立派です。八年間、息子さんのことを思いきれず泣いて来られた。それが本当ですね。私などは変なことにこだわって、なっていませんよ」  架山が言うと、 「大三浦さんだって同じようなもんですわ。いつか、私のことを、お前が貸ボート屋なんてくだらんことをやっていたから、あんなことになってしまったと言ったことがあります。まるで事件の責任は私にあるような言い方です。そう言われれば、私としても腹に据えかねるというものです」  佐和山が言った。すると、 「まあ、いいがな」  大三浦は佐和山を制して、 「そりゃ、佐和山のおっさんを恨んだこともあります。貸ボート屋の主人でさえ恨むくらいですから、もちろん、架山さんのお嬢さんも恨んでおりますよ。この世であのお嬢さんに出会いさえしなかったら、うちの息子もこんなことにはならなかった、そう思いました」 「なるほど、そりゃ、そうでしょう、ねえ」  架山は言って、何と迂闊《うかつ》なことだったろうと思った。自分が相手の青年を許さなかったように、大三浦は大三浦でみはるを許さなかったに違いないのである。ただ、そのことを大三浦は自分に気付かせなかっただけのことなのである。 「いや、全く、私は自分本位に考えて、大三浦さんの立場には一度も立ちませんでした。申し訳ありません。確かに、あなたとしたら、息子さんが娘にさえ会わなかったらと、そうお思いだったでしょう」 「でも、いまは少しもお嬢さんを恨んではおりません。湖畔のたくさんの十一面観音さまに、二人の身柄を預けてしまってからは心は平らかでございます」  すると、佐和山が、 「とにかく、お二人がいっしょに、息子さん、娘さんの眠っている場所に行ってやることですよ。今夜、やっとそういう運びになったから、まあ、いいようなものの、呆《あき》れたことですわ」  と言った。架山にしても、大三浦にしても、こう言われると一言もなかった。  八時を過ぎてから、三人は寒くないように着ぶくれた恰好《かつこう》で家を出た。架山は佐和山の内儀さんが出してくれたマフラーを首に巻き付け、その上にやはり内儀さんが出してくれたレインコートを羽織った。  外へ出ると、夜気は少しも寒くなかった。湖岸だというのに、生暖い風の吹いている春の宵であった。  佐和山が貸ボート小屋を持っていたところから少し離れたところに、小さい突堤があり、そこに発動機船は繋《つな》がれてあった。夜釣りに使う船だということであった。  三人が船のところへ行くと、青年が二人出て来て、 「月を見るんだって? 酔狂だな」  と、馴《な》れ馴《な》れしい口調で、佐和山の方に言った。 「そや、大丈夫か、月は」 「どうかなあ、今は雲の中にはいっているが、そのうちに顔を見せるだろう」 「今夜は満月だから、出てくれさえすれば、いい月見ができる」  すると、もう一人の青年が夜空を仰いで、 「星もまばらだな。でも、これは晴れるよ」  と言った。自信のある言い方だった。 「甲板に出ていたら寒いか」 「たいしたことはあるまい。それにゆっくり走らせる。月が出ないことには始まらんからな」  突堤で十分ほどの時間を過ごした。何となく月を待っているといった恰好だった。そのうちに、 「よし、出よう」  青年の一人が煙草を足許《あしもと》で踏みつぶした。それを合図にもう一人が、 「さあ、乗ってくれ。前もって言っておくが落ちないでくれよ」  と、呶鳴《どな》った。佐和山、架山、大三浦の順で船に乗った。警備艇と同じような造りである。佐和山が甲板に席をつくった。架山としては湖上に浮かぶのは事件の時以来、八年ぶりのことであった。  船はゆっくりと動き出したが、すぐ速力が加わった。湖岸の燈火がまたたく間に遠くになって行く。 「寒くはありませんか」  佐和山が訊《き》いた。 「いや」 「大三浦さんは?」 「大丈夫」  あとはみな押し黙っていた。それぞれに感慨はある筈《はず》であった。暫《しばら》くすると、大三浦が、 「悦《よろこ》んでおりましょう。両方の父親が揃って出掛けて来てくれた。こんな嬉《うれ》しいことはない。そう申しておりましょう」  と言った。その時、恰《あたか》もその言葉が合図ででもあるかのように、最初の月光が湖面に降った。船尾の波のうねりが銀色の帯のように見えている。  満月が船の進んで行く背後に、ほぼ中天といっていい高さのところに輝いている。今まで月を匿《かく》していた雲は、月の周辺でゆっくり移動しつつある。雲と雲との間には星をちりばめた薄青い夜空が置かれている。雲も幾つかの集団になって動いているが、夜空の部分の方が多そうである。  月は、やがて、また雲の中にはいった。しかし、うす絹を通したような感じで、月光は淡く湖面に漂っている。 「なるほど琵琶湖の月はいいですね」  架山が言うと、 「宜しゅうございますね。毎年仲秋の名月は見ておりますが、春の月は初めてでございます。これはこれで、また格別、——昼間拝みました長命寺の三体の仏さまも、いまこちらをごらんになっておられましょう。昼間来た二人が、湖心の子供たちのところに出掛けて行っている、そう思っておいででございましょう」  大三浦は言った。すると、佐和山が、 「坊さんはおらんが、いい供養や。いつも別々に詣《まい》ったり、花を捧《ささ》げたりはしているが、あれから二人が揃って現場に来たことは初めてでしょう。いっしょに死んだんだから、いっしょに霊を慰めてやらんことには。——葬式にしたら宜《よろ》しいが、これを」  と言った。 「そうだな」  大三浦は言って、暫く考えていたが、 「架山さん、確かに私たちは二人のために葬式はしてやっていません。私は息子のために二、三年前に墓は造りましたが、どうも墓という気がしません。からっぽの墓です。その墓に詣るよりは、琵琶湖に来てしまいます。しかし、たとえ形だけでも葬式をしたら、魂は墓にはいりましょう」 「そうでしょうね」  架山は言って、 「宜しいでしょう、坊さんは居なくても、読経はなくても、私たちだけで二人を葬ってやりましょう。私の方も、大三浦さんと同じです。娘の母親がつい最近京都に墓を造りました。私も、墓を造った母親のために、そこに娘の霊を入れてやりたいと思います」  架山は言った。そして真実、それがいいと思った。これを葬式にしようと思った。見ると、大三浦は左手の掌《てのひら》で眼を覆っている。これから二人の葬式をしようという感動が、低い嗚咽《おえつ》になろうとしている。架山は大三浦にも、佐和山にも言わなかったが、長かった�殯《もがり》(仮葬)�の期間はいま終ろうとしていると思った。架山もまた心の底からこみ上げて来るもののあるのを覚えた。父親と娘の対話の時期は終らなければならないが、それはそれでいいと思った。  ——娘よ、みはるよ、ずいぶん君とは話したな。考えてみれば、もう話すことは何も残っていない。こんなにたくさん話した親子はそうたくさんはないだろう。さあ、今夜から、君は本当の死者になれ、鬼籍にはいれ。静かに眠れ。そして君を生んでくれたお母さんのもとに還《かえ》れ。これからは君はお母さんを静かに見守ってあげなければならぬ。  船は暗い湖面に銀色の帯を引きながら進んで行った。行手に黒い固まりとして竹生島が見えて来た時、 「このへんでしたね」  佐和山が言った。 「そうです。この辺りです」  大三浦が答えた。架山もまた、自分が何年か前に花を投じたのは、このへんに違いなかったと思った。  佐和山が操縦室へ行くと、船は間もなく停まった。月はまた匿れた。  佐和山は青年たちに買わせておいたという花束を持って来て、架山と大三浦に渡し、その一部を自分の手許に置き、やがて操縦室から出て来た若者の方に、 「お前さんたちも、花を捧げてくれよ」  と言った。 「電話で、花を買って来いと言われた時、多少変だなとは思ったが、——そうですか。遭難ですか。ここが遭難場所なんですね。一体、いつの遭難ですか」  若者は訊いた。 「八年前」 「ずいぶん昔のことなんですね。月見かと思ったら、月見どころじゃないんだな」  また月光が降って来た。月光が降ると湖面は全く異ったものになるが、すぐまた雲に遮られてしまう。 「花を捧げるにしても、もう少し待った方がいいですよ。いまに完全に月が顔を出します。雲が流れてしまうまで待った方がいい」  雲が動くにしても、月が移るにしても、皎々《こうこう》たる満月の光が照り渡るには、まだ大分時間がかかりそうである。しかし、一応その若者の言葉に従うことにした。 「一体、月はいつもどのへんから出るの」  架山が訊くと、 「このへんだと、伊吹の上に出るんじゃないのかな。なあ?」  若者はもう一人の若者の方を振り返った。 「きのうは七時か、七時半頃、伊吹の右肩から出た」 「真上に来るのは?」 「そうさ、なあ。夜中じゃないのかな、よくは知らんが。——去年四月の初めに、夜中の十二時頃、このへんを走ったことがあるが、その時竹生島が月の光を真上から浴びて、きれいだった。竹生島があんなきれいに見えたことはなかった」  若者は言った。 「夜中まで待つこともないでしょうが、月が完全に顔を出すまで待っていましょう。折角のお葬式ですから、その方がいいですよ」  佐和山は言って、 「こうしていると、琵琶湖も夜は静かなもんです」 「釣船も出ていないね。今は何も釣れないんですか」  架山が訊いた。 「これから、四月から五月にかけて、もろことはすの時季です。もう漁は始まっていますが、明るいうちの漁です。四、五人乗りの、発動機船がたくさん出ますが、みなもろこかはす目あてです。——おや、月が照って来る!」  佐和山の言葉で、架山も大三浦も夜空を見上げた。満月が何回目かに顔を現わそうとしている。もう当分の間、雲の心配はなさそうである。間もなく月光が降って来た。湖の面はとたんに銀粉でも撒《ま》いたようになった。 「では、架山さんから花を捧げて下さい」  佐和山が言ったので、 「そうですか。では、お先に失礼します」  架山は大三浦の方に会釈して、 「息子さんと、娘とに、一本ずつ花を捧げましょう。大三浦さんにも、ほかの方にも、同じようにして頂きましょう。ふしぎなご縁で、うちの娘は大三浦さんの息子さんといっしょに、短い生涯を終りました。亡くなってからも、一人ではないので、お互いに淋《さび》しくなくてよかったことでありましょう」  そう言って、花の方へ手をのばすと、 「ちょっと待って下さい」  大三浦は言った。 「二人の若い者たちの葬儀でございます。月も雲から出まして、まことに結構な満月の夜となりました。寒いことも、暑いこともございません。春宵一刻|直《あたい》千金、真実そのような夜でございます。ご異存がなければ、この葬儀に、十一面観音さまたちにお立ち会い頂きたいと思うのでございますが、いかがなものでございましょう」  架山はすぐには返事をしなかった。大三浦の言っていることの意味がよく判らなかった。十一面観音に立ち会って貰《もら》うということはどういうことであろうか。 「結構だと思います」  架山はただそのように答えた。すると、 「では、私にお任せ頂きます。架山さんのご存じない十一面観音さまもあれば、佐和山さんのまだ拝んでいない観音さまもおられます。そういう観音さまにも、みなお立ち会い頂きましょう。私たちの子供の葬儀でもございますし、私たちの存じませぬこの湖で生命《いのち》を棄てた人たち全部の供養でもございます」  架山は大三浦の顔に眼を当てた。月光を浴びて石の面のように無表情で白い大三浦の顔は不気味だった。眼は軽く閉じられている。  大三浦の青白い顔の中で、突然口もとの筋肉が動いた。眼は閉じられたままであった。 「ああ、いま湖北の中でも、一番北にいらっしゃる山門《やまかど》の善隆寺の十一面観音さまがお姿をお現わしになりました。何とも言えずきよらかでお健やかなお顔をこちらに向けて、山を背にしてすっくりとお立ちになっていらっしゃる。小柄で、全身お黒く、お腰の捻《ひね》りは少い」  恰《あたか》も、実際に善隆寺の十一面観音を遠くに望んでいるような、そんな大三浦の言い方であった。 「おや、その左手に、海津の宗正寺の十一面観音さまのお姿があります。いつお現われになったのでございましょう。大きな蓮台《れんだい》の上に、ゆったりとお坐《すわ》りになっていらっしゃいます。端麗なお顔、高く結いあげた十一の頭上仏。——おお、こんどは右手の方に、医王寺の十一面観音さまがお立ちでございます。医王寺の観音さまでございます。いつもは南面して、こちらに横顔を見せていらっしゃいますが、今夜は特別に、いまこちらをお向きになって下さいました」  架山は、ふいに去年の秋、野分に包まれた湖北山間部の無住のお堂の中で拝んだ清純な乙女の観音さまの、たくさんの頭飾りや胸飾りの音を耳にしたように思った。大三浦が、こちらをお向きになったと言ったので、架山の耳におしゃれな観音さまの装身具の揺れる音が聞えたのである。湖北では最も雪の多い地方だと聞いたが、お堂の周辺の雪はもう消えているのであろうか。  山門の観音さまは、医王寺の観音さまを拝んだ同じ日に訪ねて行き、宗正寺の観音さまは、ヒマラヤに行く前に、池野と二人で、豪雨の中を訪ねて行った観音さまである。 「湖北の御三尊に続いて、ああ、次々に、尊いお姿がお立ち下さいます。ああ、次々にお立ち下さいます。有難いことでございます。もったいないことでございます。このようなことがあっていいものでございましょうか。鶏足寺の観音さまが、石道寺の観音さまが、渡岸寺の観音さまが、充満寺の観音さまが、赤後寺の観音さまが、知善院の観音さまが、——」  ここで大三浦は言葉を切った。瞑目《めいもく》している顔は、月光の加減で盲《めし》いているように見えた。  そうした大三浦を真似たわけではなかったが、架山もまた眼を閉じた。瞼《まぶた》の上には、架山が想像したこともなかった世界があった。湖の北から東へかけて何体かの十一面観音像が、湖を取り巻くように配されているではないか。いずれも十一の仏面を頭に戴《いただ》き、宗正寺は坐像《ざぞう》、他はいずれも立像である。知善院の十一面観音像だけは、架山のまだ見ていないものであった。  大三浦は、今いっきに口から出したたくさんの十一面観音の名を、こんどは復唱でもするように、改めて一体、一体、ゆっくりと口から出して行った。  ——鶏足寺の観音さま。  ——石道寺の観音さま。  ——渡岸寺の観音さま。  ——充満寺の観音さま。  ——赤後寺の観音さま。  ——知善院の観音さま。  それにつれて、架山は架山で、自分も知っている湖北、湖東の十一面観音像の姿を、改めてまた次々に瞼に浮かべて行った。  村一番の美しい内儀《かみ》さんをモデルにしたのではないかと思われるような鶏足寺の観音さま。同じ言い方をするなら、内儀さんでなくて、村一番の娘さんをモデルにしたかのような石道寺の観音さま。共に地方色豊かな、素朴な美しさに輝いている観音さまである。が、この二体とはまるで違った凜《りん》としてあたりを払っている威ある美しい女王は渡岸寺の十一面観音。高々と結いあげた頭上仏は世界一の宝冠であろう。  一体だけ背を見せて立っている筈《はず》の充満寺の観音さまもこちらを向いていらっしゃる。大三浦がお頼みして、こちらを向いて頂いたことであろうが、医王寺の観音さまとは違って、頭飾りの音も、胸飾りの音も聞えない。胸も厚く、腰回りも大きく、ひどく体格のいい観音さま。物音ひとつたてず、こちらに体をお回しになったのであろう。  十一面千手は赤後寺の観音さま。しかし、十一の仏面と左手七本、右手五本の肘《ひじ》から先の部分のことごとくを失った無慚《むざん》な、しかし、尊いお姿である。  そうしているうちに、大三浦は憑《つ》かれたように次々に十一面観音の名を挙げ始めた。  ——またお立ちになりました。  とか、  ——お現われになりました。  とか、そんな言葉が次々に大三浦の口から出ている。たくさんの観音さまの名が、次々に呼び上げられている。一体、また一体、湖岸にお立ち下さっている。架山の拝んだことのない観音像であっても、今の架山にはそれのお立ちになるのが判った。湖岸の闇が次々にめくられて行く。ところどころに架山も拝んだことのある十一面観音の名も挟まれている。すると、その度に架山の瞼の上にはくっきりと架山の知っている観音像の姿が浮かび上がる。大三浦はしきりに、お立ちになったという言い方をしていたが、確かに十一面観音像が次々にすっくりと立ち、そして並んで行く感じであった。拝んだことのない観音像は貴い光のようなものとして、一度でも拝んだことのある十一面観音像は不思議と思われるくらいの正確な姿で、架山の瞼の上に立ち現われて来る。  長命寺、福林寺、蓮長寺、円満寺、盛安寺、そうした寺々の十一面観音像もみなお立ちになっている。二本の手を前で合わせ、他の二本で蓮の花と宝杖《ほうじよう》を持った美貌《びぼう》の盛安寺の観音さまも居れば、腰を殆《ほとん》ど捻らずに、真直ぐに立っている同じように美貌な福林寺の観音さまも居た。眼に浮かべただけで心のきよまる十一面観音であった。大三浦の言葉が途切れた時、 「では、そろそろ花を捧《ささ》げたらどうですかな」  佐和山が言った。佐和山も、二人の若者も、大三浦の口から言葉が出ている間は黙っていた。周囲の者を黙らせるだけの気魄《きはく》のようなものが、月光を浴びて口だけを動かしている大三浦の姿にはあったのである。すると、また大三浦は口を開いた。 「ああ、ここ何年か京都の博物館の方にお移りになっていらしった園城寺《おんじようじ》の十一面観音さまが、わざわざお住居《すまい》にお戻りになってお立ち下さいました。信じられないようなことでございます。有難いことでございます。ああ、それから今また、聖衆来迎寺《しようじゆらいこうじ》の観音さまもお立ち下さいました」  それからまた、しばらく瞑目していたが、やがて眼を開くと、少し居住まいを改めて、 「どうぞ、では、お花を架山さんから」  大三浦は言った。架山は言われるままに大三浦の息子とみはるの二人の冥福《めいふく》を心に念じながら、花を月光の散っている湖面の上に投げた。そして次に同じようにこの湖で生命をなくした多数の人たちのために、同じように花を捧げた。  続いて大三浦、そのあとに佐和山、それから二人の若者、みな同じように湖中の霊に花を供えた。  その間、架山はそれぞれの人の動きを眼に収めながら、これを儀式と言うなら、すばらしい儀式であると思った。湖は月光に上から照され、その周辺をたくさんの十一面観音像で飾られていた。これ以上の豪華に荘厳《しようごん》された儀式というものは考えられなかった。 「有難うございました。これでお宅の息子さんも、うちの娘も、ちょっとこれ以上考えることのできないほどの手厚さで葬られたと思います」  架山が言うと、 「いや、こちらこそお礼を申しあげなければなりません。ごいっしょに葬儀を営んで頂いて、息子も悦《よろこ》んでおりましょう。有難うございました」  それから大三浦は改まった口調で、 「では、これで、観音さまにもお引取り頂きましょうか」  と言った。 「結構でございます」  架山が言うと、すぐ大三浦は経を誦《じゆ》し始めた。みな頭《こうべ》を垂れていた。読経はかなり長く続いたが、それが終った時、架山は実際に湖岸に並んでいたたくさんの十一面観音が、すっかり姿を消してしまったような思いを持った。湖面を縁取っていた妖《あや》しい光は消え、湖は本来の姿に戻ったのである。 「もうこれで、私も気持を変えることができます。ずいぶん、佐和山さんにも迷惑をかけた。失礼なことも言った。かんべんして下され」  大三浦は言った。 「なんの」  佐和山はそれを遮って、 「お二人の葬儀に、そしてここで生命《いのち》をなくした多勢の人たちの供養に立ち会わせて貰《もら》って、私も気持がすっとしました。それにしても、人間一人死ぬと、まわりの人の悲しみというものはたいへんなものですな」  と言った。 「そろそろ帰るとしますか」  若者の一人が言った。それを受けて、 「帰っていいですかな」  と、佐和山が改めて大三浦の方に訊《き》いた。 「観音さまたちにも、それぞれお引取り頂いたので、私たちも帰るといたしましょう。いつまでここに居ても詮《せん》ないことでございます」  大三浦は誰にともなく言った。湖上にはさっきと同じように月光が降っていたが、何となく暗く淋《さび》しく感じられた。大三浦が言ったように、湖を取り巻いてたくさんの十一面観音が立ち並んだ壮《さか》んな眺めが消えてしまったからであろうか。  それにしても夢とも、現実ともつかぬ奇妙な幻覚の中に、自分は居たと、架山は思った。自分ばかりでなく、大三浦もまた同じ幻覚の中に居たのであろう。  燦《さん》として列星の如し。——そんな言葉を、今になって架山は思い出していた。つらなる星のように、十一面観音は湖を取り巻いて置かれ、一人の若者と一人の少女の霊は祀《まつ》られたのである。  若者の父親も、少女の父親も、愛する者を失ったという問題を解決できず、その悲しみをどうすることもできなかったが、ともかく霊を祀るという形で、それぞれが今やどうにか自分の気持を納得させることができたようであった。  ——みはるよ。  しかし、架山の呼びかけに対するみはるの声はなかった。その時、恰《あたか》もそれに答えでもするかのように、 「もう二人は、この湖の中にはおりません。神になりました。仏になりました。もしかしたら天に上って、星になったかも知れません」  大三浦は言った。  いつか、船はエンジンの音を響かせて、湖面を滑り出していた。  大三浦の口から出た星という言葉で、架山は自分がもう一つの星の中の自分の影であると思い込もうとしたことがあったのを思い出した。自分の一番苦しい時期であったと思う。あの頃は湖が怖かった。  そうした自分に較べると、大三浦は終始若い二人が眠っている琵琶湖から離れなかったのである。たえず湖にやって来て、泣いたり、愚痴をこぼしたり、湖畔の十一面観音に訴えたりして今日まで過ごして来たのである。そして結局のところは、架山は大三浦によって、愛する者の死を処理する方法を教えられたような気がする。悲しむこと、祀ること、おそらくこの二つ以外、いかなる愛する者の死への対《むか》い方もないに違いないのである。 「今日はめそめそせなんだろうが。うまくできている。丁度今日あたりで涙の方も涸《か》れてしまったし、湖畔の観音さまも大方拝みつくしてしまいましたが」  そんなことを佐和山に言っている大三浦の声が、急に高くなったエンジンの音の中から聞えている。長かったみはるの�殯《もがり》�の期間は終ったと、改めて架山は思った。 [#地図(地図1.jpg)] [#地図(地図2.jpg)] 角川文庫『星と祭 下』昭和50年3月10日初版発行            平成19年10月25日改版初版発行